5分でわかる戦艦大和!沈没した最後の戦い、生存者などをわかりやすく解説!

更新:2021.11.13

世界最強と言われた戦艦大和。「無敵の不沈艦」と恐れられたにも関わらず、悲劇的な最後を迎えてしまいました。その背景にはいったい何があったのでしょうか。この記事では、大和の概要、最後の戦いと生存者などをわかりやすく解説し、あわせておすすめの関連本をご紹介していきます。

ブックカルテ リンク

戦艦大和とは?概要を簡単に紹介

技術大国として、自動車産業や家電などものづくりの分野でトップクラスを走り続けている日本。その先駆けともいえるのが「戦艦大和」です。

1904年に起きた日露戦争で、日本がロシアのバルチック艦隊に勝利したことは、当時世界中に報道されました。そして日本国民に対し、戦争の命運を分けるのは戦艦の強さであるという認識を刷りこんだのです。

その後1941年12月8日、真珠湾攻撃を決行。第二次世界大戦の火蓋が切って落とされます。戦艦大和はその8日後、12月16日に就航されました。

戦艦こそが戦争に勝利するための要と考えられ、設計された大和は、当時世界最大である全長263メートルという大きさを誇り、46センチ砲を9門という巨砲を備え、無敵の不沈艦といわれました。
 

攻撃力が優れているだけではなく、内部には当時の最新防衛システムも設営されていて、これらの技術は戦後日本が焼け野原から再び屈指の造船国へ復活するきっかけにもなっています。

戦艦大和、最後の戦い。どこで沈没したのか

当時最高レベルの機能を兼ね備えていた戦艦大和は、確かに戦艦同士の戦いであるならば無敵であったろうと専門家たちが分析しています。

ところが、時代は変化します。第二次世界大戦開戦以降、海での戦いの要は航空機となっていたのです。機動力に優れ、複数の魚雷や爆弾をあらゆる方向から打ち込むことができる航空機の存在は、戦艦にとって脅威の存在でした。

戦艦の造船ばかりに力を入れていた日本軍は、航空機の製造が遅れています。最強といわれる戦艦大和も、空を守る航空機なしでは集中砲火を浴びてしまうでしょう。

そこで苦肉の策として、大和は当時の設計に改造を加え、航空機を打つための高角砲を12門、機銃が62丁、追加で搭載しました。

戦況も劣勢となっていた1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄に上陸します。そこで下された戦艦大和への「天一号作戦」が、沖縄への海上特攻命令でした。片道分の燃料を積んで自ら浅瀬に乗り上げ、壁となってアメリカ軍を砲撃するという、無茶な作戦です。

ただ4月6日に出撃した大和の動向はすでにアメリカ軍に察知されおり、翌日の4月7日、航空機による集中砲火を浴びます。

追加搭載した武器も歯が立たず、わずか4時間足らずで鹿児島県坊ノ岬沖にて撃沈、北緯30度43分、東経128度04分の水深345mの海底に沈みました。

戦艦大和の生存者は何人?

 

大和の乗組員は3332人でした。世界最強といわれていた戦艦に乗船し、戦うことは、当時の隊員たちにとって大変名誉で誇らしいことであると認識されていました。

しかし、それは無敵だからこそ誇りであって、まさか海上特攻という手段に使われるとは隊員たちも思っていなかったようです。艦隊を率いる伊藤整一中将も、この命令に最初は強く反対しました。

ところが、連合艦隊司令部から「一億特攻の魁となれ」という言葉を受け、日本の劣勢と敗戦濃厚を察し出撃を承諾したのです。

測的手だった八杉康夫は、上官から「大和が沈むときは、日本が沈むときだ」と言われたことがあり、乗船を誇らしく思っていたそうです。作戦が海上特攻であることを告げられたとき、乗組員たちは顔を青くした後、覚悟を決めて次の瞬間には気持ちを高揚させたといわれています。彼らは、日本のために死ぬ、それこそ本望であると自分に言い聞かせ、戦場に向かいました。

猛攻撃を受けて撃沈された後、戦艦大和からの生還者は276人と報告されています。攻撃によって失われた命だけでなく、脱出には成功したものの海で漂流し、力尽きた人も大勢いました。

戦争と大和を語るうえで最初に読みたい一冊

最後の任務である海上特攻に乗船していた、吉田満の記憶をまとめた一冊です。

死ぬことが美学とされた時代に、生き延びた吉田。終戦後も、彼はずっと戦争に苦しめられていました。
 

著者
吉田 満
出版日
1994-08-03

出撃開始から戦闘、そして撃沈までが描かれています。吉田いわく、そのなかには創作も含まれているそうですが、それが戦記としての価値を下げているわけではありません。

実際に経験した者にしか味わえない苦しみ、葛藤、そして命や神に対する考え方に心を動かされます。

戦争や戦艦大和について知りたいと思った際に、まず読んでおきたい一冊です。

海底に沈む戦艦大和から、魂の声を聞く

戦争の話は、時の流れとともに風化していきます。学校などで戦争の概要を情報として知ることはできるでしょう。しかし理想論やデータだけでは、人間の残虐性をカバーすることはできません。

本書には、戦争を体験した当時の人たちの生の声が詰め込まれています。いかに戦争が悲惨なものだったのかを物語る、嘘のない証言です。

著者
栗原 俊雄
出版日
2007-08-21

戦争は二度としてはいけない……誰もがそう思いつつ、しかし現在も世界ではさまざまな争いが生じています。平和を追い求めていくためには、過去の歴史を多面的な見方をしながら分析する必要があるでしょう。

本書には、生存者たちの証言や遺族たちの思いが、血と涙の言葉として綴られています。大和が最後の出撃に向かう際も、隊員・司令官・艦長などさまざまな人の複雑な心境が絡み合っていたことがわかるでしょう。戦争そのものを考えさせられる力作です。

戦艦大和が伝説となっている理由を知る

大きな期待を背負いながらも沈没してしまった戦艦大和。実際に特筆すべき戦果は挙げられませんでした。そのため、大和が持っている性能を誤解している人たちも少なくありません。

本書には、当時世界最強といわれた大和の構造と、大和の兄弟分ともいえる戦艦武蔵の情報のくわしく掲載されています。

当時の日本が有していた技術に驚かされるはずです。

著者
出版日
2015-07-16

全編カラーで、コンピューターグラフィックによるイラストも多く掲載されているので、子供でも見やすい図鑑のような作りとなっています。

戦艦大和の当時の写真もいくつか現存しているのですが、すべて白黒で劣化が激しく、その迫力はなかなか伝わってきません。本書ではそんな大和の詳細が忠実に再現されているので、世界最強といわれた理由がよくわかるでしょう。

また、いくら最強といえど、大和は決して一隻だけで戦っていたわけではありません。当然、艦隊を組んで就航していた武蔵をはじめ、大和の前に撃沈していった一隻一隻の経緯も細かく解説され、アメリカとの力の差も知ることができます。
 

簡単な言葉では語れない、戦艦大和にまつわる戦いの数々を知ることができる一冊です。

強さとは何か、戦争とはなにか、その一端を戦艦大和から知ることができるでしょう。それは今に生きる私たちが未来に向けて、戦争などの過ちをくり返さないために必要不可欠な要素だと考えられます。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る