5分でわかる姉川の戦い!戦いの経緯や結果をかわりやすく解説!

更新:2021.11.13

織田信長と浅井長政が争うことになった「姉川の戦い」。血で血を洗う激戦だったとも言い伝えられていますが、いったいどのようなものだったのでしょうか。この記事では、戦いの概要と、経緯、結果をわかりやすく解説し、あわせておすすめの関連本もご紹介していきます。ぜひチェックしてみてください。

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姉川の戦いとは?簡単に解説

 

1570年夏、織田信長と浅井長政が滋賀県の姉川付近でおこなった戦いを「姉川の戦い」といいます。信長軍には豊臣秀吉や徳川家康が参加していました。

この戦いには両軍のほかに、浅井家と古くから親交の深かった朝倉家の存在も絡んできます。長政は信長の妹を正室に迎える政略結婚をしていたのですが、姉川の戦いが起こる半年ほど前、その信長が朝倉家に攻め入ったのです。

長政はいわば三角関係に陥り悩みますが、結局朝倉家につくことにし、信長軍対浅井&朝倉軍という構図になりました。

戦い自体は9時間ほどで決着がつき、織田軍の勝利となります。しかし浅井氏はこの戦い以降およそ4年間、信長と争うことになり、最終的には敗れ自害。戦国大名としての浅井氏が滅亡することとなります。

姉川の戦いの経緯

 

当時岐阜を本拠地としていた織田信長。滋賀県の琵琶湖北部を治めていた浅井長政に同盟を呼びかけます。妹の市を長政と政略結婚させ、姻戚関係も結びました。

ではこの同盟、双方にどのようなメリットがあったのでしょうか。

信長は、本拠地である岐阜から、京都に安全に移動できるようになるうえ、越前(福井県)の攻略を見据えていたので、背後を気にせず戦えるようになります。

一方の長政にとっては、信長と共闘することで、領土、水運、漁業、商業など莫大な利権が保全されます。また信長の妹・市を正妻に迎えられることも大きかったようです。

しかし両者の同盟関係は、信長が盟友の徳川家康とともに越前を攻撃したことで、終わりを迎えます。浅井家は、越前の朝倉家と国境を接していることもあり、古くから親しく付き合っていました。信長と同盟を結んだ際も、「朝倉への不戦の誓い」を約束しています。

この約束を反故にする行為を知り、長政は姻戚関係にある信長を支援するか、親しく付き合っている朝倉家を支援するか、難しい判断を迫られることとなりました。内部でも意見が分かれていたそうですが、最終的には越前への進軍を事前に通告しなかった信長に不信感を抱き、朝倉家を支援することを決めるのです。

越前を攻略している信長は、まさか長政が攻撃してくるとは思っておらず、背後ががら空き。無警戒だったところへ攻撃をしかけます。

信長としては挟み撃ちの大ピンチ。しかし最後尾を務めた秀吉の活躍もあり、なんとか撤退しました。そして約半年をかけて体制を立て直し、信長が長政に報復をするのです。

信長は姉川付近にある横山城を包囲し、浅井軍を引っ張りだします。両者は姉川を挟んでにらみ合う形になりました。また信長には家康が、長政には朝倉家が支援をし、姉川の戦いが始まったのです。

姉川の戦いの結果は?血で血を洗う激戦だった!

 

横山城を守りたかった長政は、姉川付近に兵を出します。その数5000~8000人ほど。対する信長軍は20000~23000人です。

数でいえば圧倒的に信長が有利。しかし長政軍は士気が高く、信長はかなり劣勢に追い込まれたそうです。

勝敗を分けたのは、援軍の差でした。信長に対しては、家康が自ら5000人の兵を率いて参戦します。一方長政にも朝倉家が支援をしますが、当主の義景ではなく、やってきたのは義景の従兄弟。人数は8000人ほどいましたが、総大将が当主でないため家康優位で戦いが進みました。

朝倉軍をあらかた倒した家康軍が、信長軍のバックアップをし、最終的に信長&家康連合軍が勝利することになりました。

戦いはおよそ9時間続いたといいます。姉川自体そう大きくない川なので、川が血で染まったと後世に伝えられたとしても不思議ではありません。

池波正太郎の時代小説

著者
池波 正太郎
出版日

池波正太郎が戦国時代の諜報戦を描いたエンターテイメント小説。

川中島の戦いから始まり、最後は姉川の戦いまで。片思いだった男を信長に殺害された女忍者が、長政を支援するために信長の妻の従者となり活躍していきます。

メインロードを歩んでいるわけではない、いわば影の視点から見た戦国時代を感じてみてください。
 

姉川の戦いと浅井長政の研究書

著者
太田 浩司
出版日
2011-11-08

作者は、浅井氏の地元にある博物館の館長をしている太田浩司。NHK大河ドラマに資料を提供したこともある人物です。

彼の研究の専門が浅井家で、姉川の戦いで信長軍が圧勝したわけではない、浅井氏と朝倉氏は同盟を結んでいたわけでないなど、さまざまなデータと史料にもとづき独自の見解を示しています。
 

織田信長と浅井長政は、姉川の戦いの翌年にl形式上ですが和睦しています。その後信長軍によって浅井氏は滅亡することとなるのですが、当時両者の力は拮抗していたという推察は鋭いのではないでしょうか。ドラマなどでは描かれない長政の姿に触れてみてください。

姉川の戦いで活躍した四人のドタバタ劇

著者
鈴木 輝一郎
出版日
2013-08-10

織田信長、徳川家康、豊臣秀吉、明智光秀という4人の人間模様をおもしろおかしく描いたフィクションです。

信長は薄情でワガママ、秀吉は戦下手、家康は信長を裏切ろうとするなどチームワークがなってないですが、その一方で長政は、領民から慕われる名君で、さらに戦上手な名将として描かれています。姉川の戦いを学んできた方にとっては嬉しい展開ではないでしょうか。

フィクションで楽しく歴史上の人物に触れるのも、歴史を好きになる第一歩。ちなみに信長が越前を攻略しようとして失敗した様子を描いた『金ヶ崎の四人』のほか『桶狭間の四人』『長篠の四人』などシリーズが発表されているので、気になった方はそちらも手にとってみてください。
 

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