1866年、薩摩藩と長州藩が京都で「薩長同盟」を結びました。この記事では、薩長同盟締結の背景や内容、明治維新への影響などについてわかりやすく説明していきます。おすすめの関連本をあわせて紹介しますので、ぜひご覧ください。
1866年3月、薩摩藩(現在の鹿児島県)と長州藩(現在の山口県)の間で結ばれた、政治的・軍事的な同盟です。明治維新を推し進める原動力となりました。
決して友好的ではなかった両藩の同盟締結の仲介をしたのが、土佐藩の脱藩浪人だった坂本龍馬だといわれています。
ここからは、締結の背景や目的、同盟の内容、その後の情勢について詳しく見ていきましょう。
薩長同盟が結ばれた幕末は、300年にわたる日本の鎖国政策が、諸外国の来訪により大きく変わろうとしていた時代でした。当時、薩摩と長州の両藩は「雄藩」と呼ばれ、大きな影響力を持っていたのです。しかし、幕政改革を求める薩摩藩と、反幕的な姿勢を強める長州藩は、相容れない関係でした。
1864年に長州藩と会津藩が京都市中で市街戦を展開した「禁門の変」では、薩摩藩は会津藩側につき、長州藩と戦火を交えます。この戦いにより敗走した長州藩は「朝敵」とされ、幕府から「長州征討」を受ける窮地に陥ったのです。一方の薩摩藩は、自ら掲げた幕政改革が進まず、藩内では反幕府の強硬論が高まる状況でした。
こうしたなか、敵対関係であった両藩が、福岡藩やイギリスの駐日大使などの仲介もあり、徐々に距離を縮め始めます。坂本龍馬らは雄藩である両藩が日本の将来のため手を携え、国難に向かうべきだとの考えから、同盟の締結に動いたのです。
薩長同盟は6ヶ条から成り立っています。第1条では、長州で戦争が始まった場合、薩摩が京都、大阪に出兵し、幕府に圧力をかけることがうたわれました。第2条から4条では、戦争の結果に関わらず、薩摩が長州の政治的復権のために朝廷工作をおこなうことがあげられます。
第5条では、仮想敵として徳川幕府ではなく、徳川慶喜(一橋徳川家当主)、松平容保(会津藩主)、松平定敬(桑名藩主)の三者により構成された「一会桑政権」が挙げられていました。第6条は、長州の政治的復権が叶ったら、皇国のために互いに誠心誠意努力を尽くそうとまとめられています。
薩長同盟は、政治的・軍事的同盟といわれていますが、実際には幕府による長州藩処分に関して、長州の状況がどうであるかに関わらず、薩摩は長州を支持するといった内容でした。合意事項は、その場では記録されず、後日長州藩の木戸孝允が記憶をもとに内容を6ヶ条にまとめ、立ち合い人の坂本龍馬に確認を求めました。それが今日伝わっている同盟の条文となっています。
薩長同盟の内容に基づき、1866年7月に始まった幕府による「第二次長州征討」に薩摩は加わらず、逆に出兵の正当性を疑うような動きをみせました。薩摩のこうした物心両面での支援により、長州は戦いを有利に進め、戦況は長期化の一途をたどります。
戦況不利のなか、7月20日に第14代将軍・徳川家茂が大阪城で死去。後継の慶喜が将軍職に就く12月5日まで、徳川将軍職は空位のままで、幕府の混乱に拍車がかかる状況でした。慶喜は、1度は自ら出陣しますが、戦況不利な状況に長州征討の中止を申し出ます。
以降、幕府は、薩摩藩や長州藩など雄藩への影響力を失い、江戸幕府滅亡、明治維新への大きな流れを止めることができなくなったのです。
薩長同盟や明治維新は、坂本龍馬や西郷隆盛などの人物を中心に描かれることがこれまで一般的でした。確かに、そうした人物たちがいなければ明治維新は成り立たないわけですが、彼ら中心の史観に疑問を突きつけたのが本書です。
それぞれの人物が属していた「藩」を、組織という観点から見直し、幕末と明治維新をひも解いた作品となっています。
- 著者
- 伊東 潤
- 出版日
- 2017-11-10
本書では、薩摩、彦根、仙台、加賀、佐賀、庄内、請西、土佐、長岡、水戸、二本松、長州、松前、会津の14藩を取り上げています。各藩の歴史を紹介するだけでなく、幕末から明治維新にかけて、どのような状況のなかで、どういった経緯で選択をし、決断を下したのか。そして結果はどうなったのかをまとめた作品です。
各藩につけられたキャッチコピーは賛否両論がありそうですが、幕末や明治維新が組織論という新しい視点から考察されています。歴史書としてはもちろん、激動の中を生き抜いた組織論として、会社や団体などの動かし方の参考にもできる内容となっています。
明治維新から150周年を迎えた2018年、大河ドラマだけでなく多くの薩長同盟や明治維新に関する著書も発行されました。本書は明治維新の原動力となった薩摩、長州の両藩に焦点をあて、藩内や両藩同士の権力抗争史から明治維新とは何だったのかを読み解いた作品です。
史実をもとに薩長が果たした功罪を問い直すことで、戦前の大日本帝国につながった明治維新を再検証し、日本のこれからについて考察する一冊となっています。
- 著者
- 一坂 太郎
- 出版日
- 2017-11-24
明治維新を推し進めたのは、西郷隆盛や桂小五郎などの薩摩藩、長州藩の下級武士たちでした。ともに藩内で階級闘争や権力闘争をくり広げ、ようやく藩内を一つにまとめあげます。
一方の薩摩藩、長州藩の両藩も、最初から一枚岩で明治維新に臨んだわけではありません。京都市中で争った過去もありましたが、互いに攘夷の旗印をおさめ、薩長同盟の成立を機に手を結びました。その後、倒幕を強力に推し進め、明治維新をなし遂げ、明治・大正・昭和戦前の強力な国家、大日本帝国を誕生させたのです。
本書は、薩長がなぜ時代をリードできたのか、史料をもとに読み直し、150年の間に書き換えられてしまった「明治維新の勝者」の功罪を再検証した作品です。これまでの「勝てば官軍」的な視点ではなく、史実を見直すことで、これからの日本の行方を探ろうと試みています。
明治維新の立役者として、誰もが思い描くのが西郷隆盛です。「西南戦争」で逆賊として非業の最期を遂げますが、維新三傑のなかでも抜群の人気を誇っています。
西郷は包容力のある温かみのある人物として描かれることが多いです。しかし本書では、薩長同盟締結後に明治維新を推し進めるために、人脈を張り巡らし、情報を収集し、周到な準備を整えて交渉に臨む、知謀策略家としての西郷隆盛のもう一つの顔が描かれています。
- 著者
- 倉山 満
- 出版日
- 2017-11-22
明治維新や薩長同盟における登場人物のなかで、これほど多くの人々に愛され、逸話や伝説の多い人物は西郷隆盛をおいていません。これまで多くの歴史家や作家たちが「西郷像」を描き出しましたが、「セゴドン」という愛称に象徴されるように、包容力のある、親しみやすい人物として描かれるのが一般的でした。
しかし、果たしてそのような愛されキャラの人物が明治維新という大偉業を成し遂げられるのか、疑問が残ります。本書は、そんな疑問を解き明かそうと、大河ドラマなどでは触れられることが少ない、西郷隆盛のもう一つの顔を描いたものです。
幼いころの事故が原因で、武術をあきらめ学問を磨き、若いうちから人脈を作り、そのネットワークを駆使し情報を収集する知謀策略家としての一面が描かれています。そうした情報をもとに、周到な準備を整え交渉に臨む西郷の姿を軸に、激動の幕末維新史を描いた作品です。