5分でわかるノルマンディー上陸作戦!成功?失敗?概要をわかりやすく解説!

更新:2021.11.14

第二次世界大戦中の1944年6月6日、連合軍がフランス北西部に上陸しました。史上最大の作戦と呼ばれる「ノルマンディー上陸作戦」です。今回はそんな歴史的事件について、流れや死者数などの概要、背景、結果は成功だったのか失敗だったのかなどをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひチェックしてください。

ブックカルテ リンク

ノルマンディー上陸作戦とは?映画やゲームの題材になることも

 

ノルマンディー上陸作戦というと、「史上最大の作戦」や「プライベート・ライアン」など映画の題材になっていたり、ゲームに登場したりすることも多く、名前は知っている方も多いのではないでしょうか。

第二次世界大戦中の1944年6月6日、イギリスとアメリカを中心とした連合軍が、ドイツの占領下となっている北西ヨーロッパへ侵攻する作戦の名称です。正式には「ネプチューン作戦」といい、パリ解放を目指す「オーバーロード作戦」の一部に含まれていました。

ドワイト・アイゼンハワー米陸軍大将が最高司令官となり、陸軍総司令官バーナード・モントゴメリーが率いる47個師団、海軍総司令官バートラム・ラムゼーが率いる6000隻以上の艦艇、空軍総司令官トラフォード・リー・マロリー率いる1万2000機以上の航空機が出動。

最終的には200万人近い兵員が上陸するという、人類史上最大規模の上陸作戦です。

これに対しドイツ軍側は、フランス防衛の最高指揮官ゲルト・フォン・ルントシュテットや、フランス北部防御を任されたB軍集団司令官エルヴィン・ロンメルが迎え撃ちました。

ただ彼らはソ連軍との戦いのなかで消耗を余儀なくされていて、精鋭と呼べる部隊はごくわずか。多くは疲弊した部隊か、ドイツ以外の出身者で編成された部隊だったといいます。

また連合軍の欺瞞作戦により、上陸はノルマンディーではなく、パ・ド・カレーにて実施されると信じていたため、十分な防衛体制を構築することもできていませんでした。加えて天候が悪かったこともあり、連合軍による上陸はもう少し先になるだろうと考えていたのです。ロンメルは妻の誕生日を祝うために休暇をとっている有様でした。

そんななか迎えた6月6日。作戦当日です。上陸開始に先だって、イギリスとアメリカの空挺部隊がノルマンディー一帯に降下したほか、空爆・艦砲射撃が加えられました。その後、早朝から連合軍が上陸します。

指揮官不在で不意を突かれた形のドイツ軍ですが、それでも必死に抵抗を続け、連合軍側にも多大な損害を与えました。連合軍は思うように侵攻することができず、最終的にパリが解放されたのは上陸から2ヶ月以上経った8月25日のことでした。

ノルマンディー上陸作戦の背景は?死者多数の悲惨な戦況に

 

最終的に両軍合わせて約22万人もの死傷者を出したといわれています。さらにアメリカ兵がフランス人女性に性行為を強要するなど、かなり悲惨な状況だったようです。

多くの犠牲者や被害者を出したノルマンディー上陸作戦。なぜ決行することになったのか、その背景を見てみましょう。

まず1940年に連合軍がダンケルクから撤退した後、1941年にドイツ軍がバルバロッサ作戦を開始します。これはソ連への奇襲攻撃を仕掛けるもので、ドイツ軍は当時、陸上戦力のほとんどを東部戦線におけるソ連との戦いに投入していました。

ソ連のヨシフ・スターリンは、この危機的な状況を打破するため、アメリカやイギリスに対してヨーロッパに第二戦線を築くことを要請。そうすればドイツ軍は異なる戦地で複数の敵を相手にすることになり、相対的にソ連が受けている圧力を軽減することができるからです。

1943年11月28日にイランの首都テヘランにて開かれた会談で、アメリカ大統領フランクリン・ルーズヴェルト、イギリス首相ウィンストン・チャーチル、ソ連共産党書記長ヨシフ・スターリンが協議。ヨーロッパに上陸作戦を敢行し、第二戦線を築くことが合意されます。

ノルマンディー上陸作戦実施時には、ソ連もこれに呼応する形で、東部戦線にてバグラチオン作戦を実施。ドイツに攻撃をおこないました。その結果スターリンの希望通り、ドイツ軍は2つの地での戦闘を余儀なくされることになったのです。

ノルマンディー上陸作戦は成功?失敗?

 

作戦が成功だったのか、失敗だったのか、これについては多くの議論が巻き起こっています。

連合軍は、欺瞞作戦など用意周到に準備を重ねたものの、40日以内に終わらせる予定だった重要拠点であるシェルブール港やカーンを占領するのに、予想以上に手間取ってしまいます。その結果、重装備の揚陸が大幅に遅延し、多くの犠牲を出してしまいました。

その一方で最終的にはフランスに上陸することに成功し、第二戦線を構築。前述のとおりドイツ軍はノルマンディー上陸作戦も、ソ連のバグラチオン作戦に対しても十分に対抗できず、精鋭部隊を失って占領地を奪われ、継戦能力を大きく削られることになったのです。

どこに重きを置いて見るかによって、成功か失敗か、意見が分かれるところでしょう。

ノルマンディー上陸作戦がわかりやすい!地図など図解付き

著者
小林 源文
出版日
2009-04-02

次々と押し寄せる連合軍の大軍に、敗色濃厚ななか決死に抗うドイツ軍兵士たち……本書は作戦が決行された6月6日からパリ陥落までの日々を描いた歴史漫画です。

漫画ですが、中身は濃厚。男たちの闘志あふれる姿がしっかりと記されています。また図解も多く収録されているので、非常に大規模なノルマンディー上陸作戦の全容をわかりやすく把握することができるでしょう。

第二次世界大戦時の戦いに興味がある方、知識として身に着けたい方におすすめの一冊です。
 

史上最大の作戦を成功に導いた、リーダーの決断とは?

著者
["野中 郁次郎", "荻野 進介"]
出版日
2014-05-30

ノルマンディー上陸作戦は大規模なものであるがゆえに、その計画や準備、実行にいたるまで実に複雑な様相を呈していました。

この作戦を、卓越したリーダーシップを発揮して指揮したのが、後にアメリカ大統領にもなるドワイト・アイゼンハワーです。開戦時には一介の中佐に過ぎませんでしたが、5年あまりで大将にまでスピード昇進を果たしました。癖の強い部下や、一筋縄ではいかない人物たちと渡り合い、ノルマンディー上陸作戦を成功へと導いたのです。

本書では、そんなアイゼンハワーをはじめ、チャーチルやパットンなどさまざまなリーダーたちの決断を追い、この作戦がなぜ成功したのか検証していきます。

グローバル化がすすみ、さまざまな価値観や背景をもつ人々とひとつの物事に取り組む機会も多い昨今。リーダーについて学びたい人におすすめの一冊です。
 

ノルマンディー上陸作戦の全貌を元陸軍士官が描く。写真多数

著者
チャールズ・メッセンジャー
出版日
2005-05-19

作者のチャールズ・メッセンジャーは、イギリス陸軍士官学校で学んだ後、オックスフォード大学で現代史を専攻、その後イギリス陸軍の戦車師団で19年間勤務し、軍事史家・防衛アナリストとして活躍している人物です。

本書では、そんな彼がノルマンディー上陸作戦について、豊富な写真やイラストを交えながら解説しています。各部隊の配置状況、爆撃目標、戦線、進撃方向などが緻密に記されており、刻々と変化する戦況をまるで俯瞰で眺めているかのように把握することができるでしょう。

また元軍人ならではのエピソードも豊富。連合軍側とドイツ軍側、双方の状況をバランスよく客観的に捉えている一冊です。
 

史上最大の作戦によってドイツの敗色は濃厚となり、第二次大戦は終結へと向かっていきます。もしノルマンディー上陸作戦が失敗していれば、ドイツ軍は体制を立て直す時間を得ていたのかもしれません。100万人を超える人々が関わったという歴史上の大きな出来事について、少しでも興味をもつきっかけになったら幸いです。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る