5分でわかるテンプル騎士団!歴史やフリーメイソンとの関係などを解説!

更新:2021.12.10

中世ヨーロッパに存在した騎士修道会「テンプル騎士団」。名前だけは聞いたことのある方も多いと思いますが、実際にはどのような活動をしていたかご存知ですか?この記事では、彼らの成立から壊滅までの歴史を追いつつ、さまざまな都市伝説についても解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。

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テンプル騎士団とは?十字軍の後処理として成立した組織

「騎士団」とは、中世ヨーロッパの時代にローマ教皇によって認可された騎士修道会の修道士、もしくはそれを模した国王や貴族が騎士によって構成した団体のことをいいます。「テンプル騎士団」は修道士の集団で、前者に当てはまります。

騎士修道会はもともと、ローマ教会にとってもっとも重要な聖地「エルサレム」の奪還と保護、そして戦傷者の救護のために生まれた修道士による団体で、宗教的な役割を強く持っていました。

テンプル騎士団が誕生したのは1119年のこと。十字軍がイスラム教徒からエルサレムを奪還した後、帰国してしまった十字軍に代わって聖地を守るために誕生します。フランスの貴族のパイヤンのもとに集まった9人の騎士によって組織されました。

エルサレム神殿があったとされる神殿の丘を エルサレム王国より与えられたことから、神殿=テンプルとし、テンプル騎士団と名乗るようになります。

やがてローマ教会からも正式に認可されると、入会者も増えるようになり、国境通過の自由や納税免除、ローマ教皇以外への信仰の免除などさまざまな特権が与えられたことで勢力を拡大していきます。

トレードマークは、白い長衣に赤の十字架、そして長いヒゲです。組織はナイトをトップとするピラミッド式で、入会は騎士の誇りのために男性のみに許されました。決して敵に降伏せず、名誉の戦死を尊ぶ集団だったそうです。

テンプル騎士団の特徴は?

テンプル騎士団は、単なる軍事力だけでなく、経済面でもかなりの力を発揮していました。ローマ教会に属する修道士や騎士団は、教会に属する貴族から支援を受けることができましたが、その際に捧げ物の十分の一を教会に納めることが義務付けられていました。これは「十分の一税」と呼ばれるもので、旧約聖書に書かれた規定がもとになっていますが、彼らはこれを免除されていたのです。

自由を与えられたことで独自の勢力を築いていくことになります。

十字軍からは護衛料を、入会者からは入会金をとり、金銭的に修道士を支配。財政を自由に運営できたため、銀行のような業務もおこなっていました。エルサレムへ巡礼に向かう人たちが現金を持ち歩かなくてもいいように、一時的に預かって手形のようなものを発行していたそうです。

実際に戦闘をおこなっていたのはわずかな精鋭部隊のみで、軍事よりも財政で巨万の富を築き、農園や果樹園などの土地を有して、一時期はフランス王への経済援助をおこなうほどになりました。

また彼らの強さの秘密のひとつに、徹底した食生活の管理があげられます。当時のヨーロッパは肉食が主流で、高血圧や糖尿病が蔓延し、一説によると平均寿命が30歳ほどだったそう。

その一方でテンプル騎士団は、魚やチーズ、フルーツ、オリーブオイルなど多種多様なものが食卓に並び、構成員はみな平均寿命を超え、初老でも活力にあふれていました。

テンプル騎士団の歴史(前半):エルサレムを守るために結成

テンプル騎士団の歴史を理解するためには、まず聖地エルサレムについて理解する必要があります。

エルサレムはもともと、紀元前1000年頃にヘブライ王国、紀元前930年からはユダ王国の都となりました。しかし300年ほど経つとユダ王国は新バビロニアによって滅ぼされ、新バビロニアがアケメネス朝ペルシャによって滅ぼされると、古代ローマ帝国の支配下に入り、ユダヤ属州となりました。

ちょうどこの時期にイエス・キリストが誕生、処刑されるのですが、復活を遂げたの地がエルサレムなのです。

その後は神聖ローマ帝国がキリスト教を国教とし、数百年後にアラブ朝に奪われるまでエルサレムはキリスト教の聖地となりました。一方で、ユダヤ人もエルサレムに居住することが許されました。400年ほどの間は平穏な時が流れます。

しかしイスラム教国と対立関係にあった東ローマ帝国が、ローマ教皇に軍隊の派遣を依頼したことで事態は動き出しました。この派遣された軍隊こそがローマ教皇公認の十字軍で、1099年にエルサレムは陥落し、イスラム人とユダヤ人が大量虐殺されることになったのです。

聖地を奪還した十字軍ですが、内紛が起こったため事後処理をろくにしないまま帰ってしまっていました。そのためエルサレムを守るためにテンプル騎士団が結成され、ローマ貴族から支持を受けて勢力を広げていくことになったのです。

1147年、ローマ教会はイスラム諸国が勢力を盛り返したことを受けて再び遠征を開始します。この際にテンプル騎士団はフランス王を救援する活躍をみせます。しかし十字軍の統率がとれず、退却することになりました。

テンプル騎士団の歴史(後半):拷問による強制廃止

1187年、当時のテンプル騎士団は国王にお金を貸したり、フランスの国庫を管理したりするほど力をつけていて、ヨーロッパだけでなくイスラム諸国に対しても金融業をおこない、その勢力は西欧から中東までの広大な範囲におよんでいました。

しかし、一修道士の団体にすぎない彼らが、ローマ諸国を脅かすことに不満を持つ商人や国が現れたのです。

そのうちのひとりが、フランスの王フィリップ4世でした。テンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団を合併して、自身の後継ぎに指揮をとらせ、中東から欧州を支配しようと試みます。

この時のフランスは戦争続きで貧困に喘いでいたため、フィリップ4世はさっそくテンプル騎士団の総長であるモレーに騎士団の廃止を要求しました。しかし当然、モレーは納得できないため拒否します。

するとフィリップ4世は、構成員たちを黒魔術や悪魔信仰、児童虐待、キリスト冒涜などさまざまな罪状で異端審問にかけ、拷問をして強制的に廃止に追い込んでしまったのです。

テンプル騎士団の構成員たちは全員逮捕、異端扱いされ、指揮権はヨハネ騎士団に委譲。1312年、ついにテンプル騎士団は廃止されることとなりました。

翌年、最後まで生かされていたモレー総長と数人の高官は、火あぶりにされる直前に「我々は今ここに真実を告げる、自白は偽りで強要されたのだ」と主張したそう。またフィリップ4世には1年以内に死ぬ呪いをかけ、実際に亡くなってしまったという伝説も残されています。

テンプル騎士団の財宝にまつわる都市伝説

テンプル騎士団にまつわる聖杯の伝説をご紹介します。

『アーサー王伝説』にも登場する漁夫王(いさなとりのおう)が病になり、とある騎士が「正しい問いかけをすれば病を治すことができる」という聖杯に問いかけます。しかし失敗してしまい、騎士は聖杯を探す旅に出ることに。さまざまな試練を乗り越えて聖杯を発見し、漁夫王は復活。国にも恵みがもたらされるという話です。

この聖杯の正体は、最後の晩餐でイエスが使ったとされる杯で、現存するといわれています。古くからその実在と正統性を巡ってさまざまな議論がされてきました。

そのなかには、テンプル騎士団が聖地エルサレムから聖杯を掘り起こしたとする伝説が残されているのです。その後はフランスに持ち帰られたとする説や、そもそも騎士団を設立した目的はエルサレムで聖杯を探すためだったという説もあります。

そのほかにも、テンプル騎士団が滅んだ後にスコットランドに逃れていた子孫が、大西洋を航海し、どこかの地に聖杯を隠したとする説も。その場所はヨーロッパ中に存在し、ナチスなど多くの歴史上の組織が聖杯を求めて発掘作業をおこなったともいわれています。

しかし、これまでに聖杯が見つかったという報告は1度もありません。

テンプル騎士団とフリーメイソン

フリーメイソンとは、世界規模の秘密結社です。ただその支社を自称する団体や偽物も数多く存在するため、実態について正しく理解している人はほとんどいないでしょう。実は、フリーメイソンの起源が、テンプル騎士団だという説があるのです。

テンプル騎士団がフィリップ4世に滅ぼされた後、スコットランドに逃れた一部の生き残りが騎士団を再興、後にその財力を活かしてフリーメイソンとして蘇ったといわれているそう。

スコットランドといえば、先述した聖杯伝説のようにテンプル騎士団の痕跡を多く残す国です。ただ実際は、とある宣教師が講話のなかで述べた、「テンプル騎士団の生き残りがフリーメイソンをつくった」という話がひとり歩きしただけだそうで、フリーメイソン自体はこの話を肯定的には捉えていません。

当時のスコットランドやフランスでは、同様の結社が乱立していたことも、テンプル騎士団とフリーメイソンが結び付けられる原因となったのかもしれません。

テンプル騎士団の誕生から壊滅までを理解できる一冊

著者
レジーヌ ペルヌー
出版日
2002-08-01

 

フランスの中世史家であるレジーヌ・ペルヌーが、テンプル騎士団の真実に迫った作品です。タイトルには「謎」と書かれていますが、実際はゴシップやオカルトではなく、史実にもとづいて彼らの生活などを記しています。

図も多用されていて、十字軍や王との関わりなど複雑な関係性も視覚で理解できるでしょう。当時の様子を描いた絵画や像の写真も掲載されています。

テンプル騎士団の成立から終焉までが網羅されているので、歴史の流れとともに彼らがどのような集団だったのかをしっかり把握することができる一冊です。

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