リスナーと言葉を交わすことのできるラジオが好きだ【小塚舞子】

リスナーと言葉を交わすことのできるラジオが好きだ【小塚舞子】

更新:2021.12.2

後悔していることがいくつかある。いや、いくつかどころではない。たくさんある。両手でも数えきれない。手が何本あっても足りない。猫の手も借りたい。まぁ……数のことはいいか。とにかく後悔だらけだ。

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音楽が好きな私が数年にわたって後悔していること

今ビールを飲んでいることも後悔している。スナック菓子を爆食いしていることも後悔している。いや、今のことはいいか。それは明日後悔するとして、ここ数年後悔していることのひとつが「ラジオを聴かなかったこと」だ。

音楽が好きだった私は、中学生くらいの頃、ラジオが聴きたかった。ラジオを聴けば最新の音楽や、まだ友達が知らない音楽に出会えると思っていた。しかし、大人になるまでラジオはほとんど聴かなかった。と言うか、聴けなかった。聴き方がわからなかった。ラジカセやコンポは持っていたのだが、その使い方がわからなかった。

ラジカセについているあの銀色の棒状のアンテナを、まっすぐ上に伸ばしても、真横にしても斜めにしても、雑音ばかりでラジオが流れない。コンポから伸びている頼りないヒモ状のアンテナもそうだ。

アンテナたるもの、なるべく高い位置に設置した方がよかろうと、壁にガムテープでくっつけてみたり、カーテンのレールに引っかけてみたりしたが結果は同じ。とにかく雑音だらけでAMもFMもまともに聴けた試しがなかった。

今にして思えば、ラジオなんて簡単に聴けたんじゃないかと思うが、当時の私にはどうしてもそれができなかった。最新の音楽はケーブルテレビの音楽チャンネルで知ればいいやと思い、そっちに夢中になった。

それから数年。私とラジオとの本格的な出会いは、聴く側でなく出る側だった。タレント事務所に所属してAMラジオの音楽番組のオーディションを受けた。結果は不合格。後になってそのオーディションの関係者に聞くと、鼻息が荒すぎたようだ。物理的な意味ではない。アツ過ぎたのだ。つまり音楽が好き過ぎた。しかもかなり偏っていた。

そんなディープな番組ではないという理由で落選した(自分ではディープな趣味をしているとはちっとも思わないが)。しかし、このアツさは何か面白くなるかもしれないと、深夜のトーク番組になぜか起用してもらった。

芸人さんが4人、ミュージシャンが1人、そして私という謎の組み合わせ。その時19歳だった。仕事を始めて間もない頃で、プロデューサーとディレクターの違いもわかっていなかった。何となく年上っぽい人の方が偉いのだろうという適当な認識で、いつかのコラムにも書いた、世間をなめ倒していた時期だ。

なので、事前の打ち合わせなどあったはずなのに、まるで覚えていない。いかにもわかっている風な相槌をフムフム言って済ませている自分の姿は安易に想像できる。

昔から、返事だけはいいとよく母にぼやかれた。寝ている私の部屋に向かって「遅刻すんでー!」と叫ぶ母に、すぐに「はーい!」と元気いっぱいの返事をする。てっきり起きて準備をしていると思っていた娘がなかなか部屋から出てこないので、何をしているのだろうと部屋をのぞきに来た母が目にするのは、決まって安らかにスヤスヤと眠る娘の姿だ。「あんたぁぁぁぁ!!」と叱られ、やっとこさ渋々ベッドから起き出すのだった。

そんな具合なので、事前の打ち合わせというものは大体覚えていない。後で苦しむのは自分だとわかっているのに、絶妙なタイミングで返事ができるものだから、打ち合わせの内容が頭に入る前に話はどんどん前に進んでいき、知らぬ間に終わっている。これからは返事をするのを控えよう。

初めての収録、そこで何が起きたかというと……

さて、空返事の打ち合わせは覚えていないのだが、初回の放送のことは記憶に残っている。ラジオというものをほとんど聴いたことがなかった私が、初めてラジオ番組に出演するのだ。しかも生放送。時間は深夜2時から朝の5時。

普段なら母に揺さぶり起こされたとしても、ろくに返事もできないくらいぐっすりと眠り込んでいる時間だ。1時間前くらいに放送局に直接行くように言われ、信じられない話だが、マネージャーがついてこなかった(当時、別の事務所に所属していた)。

奈良に住んでいた私は、終電で大阪に出たとしても時間が余ってしまい、ブラブラとその辺で油を売り、それでも時間がつぶしきれず、言われていた時間より早めに放送局へと向かった。

放送局は閉まっていた。それもそのはず、時間は深夜1時前だ。正面玄関は真っ暗。何人も通しはさせん! と籠城するかのごとく、鍵もしっかりとかかっている。裏口のようなものがあるのだろうと想像はできたが、その場所がわからない。

周りをウロウロしてみるがやっぱりわからない。しんと静まり返ったその建物の様子に、もしかしたら日にちを間違えたのかもしれないと不安になってきた頃、一人の男性が放送局に向かってやってきた。

とりあえず、その人の後をつけてみたら、裏口らしき場所が見つかった。警備員さんにラジオに出演する旨を伝え、ADの女性に迎えに来てもらった。ホッとしていると、後ろから来た別の男性も、そのADの女性に挨拶している。

何やら番組の関係者らしく「○○です」と自己紹介してくれたのだが、よく聞き取れず、しかし「え?」ともう一度聞くこともできず、得意の空返事でその場を乗り切った。その男性は共演者だった。失礼極まりない。あの時間に戻って自分の頭をはたいてやりたい。

それから出演者とスタッフで番組の流れを打ち合わせた……ような気がする。もちろん内容は覚えていない。そして、緊張と興奮と少しの眠気の中、生放送が始まった。3時間番組の中に様々なコーナーがあり、リスナーからのメールを読んだり、クイズに答えたり、歌を聴いたりした。

5人の男性と私1人。何をしゃべったらいいのかわからず、でも何かしゃべらなきゃと必死になった。放送禁止用語も何も知らないので、その危なっかしさたるや、私を起用してみた関係者もすぐに後悔したに違いない。

とにかく無我夢中で、その場に3時間居座った。その時間は実にあっという間だった。放送前のことは覚えているのに、放送中のことは今現在どころか、当時の私も放送が終わった瞬間に全部忘れた。とろんとした頭で家に帰ったが、興奮が冷めなかったのかまったく眠れなかった。

それから2年ほどその番組は続いた。最初の半年くらいは家に帰っても眠れないことが多かったが、慣れてくると生放送中にまぶたが鉛のように重くなるほどの睡魔に襲われることもあった。しかし毎週、その日がくるのがとても楽しみだった。

その頃から、徐々に他の番組も聴くようになった。コンポのチャンネルを自動で合わせてラジオを聴くという機能を発見して、自宅でもラジオを聴けるようになった。いろんな番組があった。語りかけられているようだったり、番組そのものの空間に入り込んでいるようだったり、誰かが話しているのをのぞき見しているようだったり。

次々に言葉が届く。音楽が流れる。新しい表現方法を知る。クスッと笑ってしまう。テレビで見るよりも、本で読むよりも、情報が自分のそばにあるような気がした。話しているパーソナリティがごくごく身近な人のように感じられた。

ラジオというメディアは、地味なように思われる。でもあんなに特別に感じるメディアは他にはないと思う。ラジオで聴いたことは、まるで自分の家族と話したことのように誰かに伝えたくなる。たまたま私はラジオに出る側で出会ったけれど、ラジオは出るのも聴くのもさほど変わらないように思う。話す人がいて、聴く人がいて成立する。決して一方通行じゃない。

今、レギュラーで出ている番組は6年目に入った。番組名を皆で考えるところから始まって、どんな話をしようとか、どんな音楽をかけようとか話し合いながら、時には言い合いにもなりながら、少しずつ育ってきた。

ラジオではいくら飾っても人間性は隠せない。だったら嫌われようがなんだろうが、番組が続く限りは、思ったことを思ったまんまにしゃべろうと決めた。良いこと言わなきゃとか考えた時期もあるけど、それじゃ疲れてしまって身が持たない。家族の前でぶりっこして生きるには限界がある。

もっと早くに出会いたかったと後悔している。学生時代にラジオを聴いていたら人生変わっていたんじゃないかとすら思う。

初めて受けたラジオ番組オーディションの落選の理由は、ただアツ過ぎただけではないのかもしれない。きっとこうしてオチをつけられなかったんだろう。6年目に入っている番組でも未だに上手くオチをつけられないでいる。こういう壁にぶつかった時に、ラジオ聴いていたらよかったなぁと後悔するのだ。やはり猫の手も借りたい。

ラジオ好きなら必読の、人生に彩りを与えてくれる2冊

著者
いとう せいこう
出版日
2015-02-06

東日本大震災に遭った人々の想いをラジオにのせて語られる作品です。買ってすぐに読み始めたのですが、その時は最後までたどり着けませんでした。数年経ってから読み返すと、今度は言葉がスルスル入ってきました。読む人のタイミングに合わせて、作品の印象がガラリと変わる一冊だと思います。

著者
電気グルーヴ
出版日
2008-04-01

家の本棚の中でいちばんラジオ的だった一冊。単純に対談形式だからなんですが(笑)、小学生の頃にミュージックステーションで電気グルーヴを見ていなければ、人生変わっていたと思います。音楽好きになったきっかけのアーティスト。いつか会いたいです。

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