BURNOUT SYNDROMES熊谷和海が楽曲製作で参考にした3冊

作詞の作業では割と早い段階で「この曲、あの本に似てるな……」と気付きます。似ている点はメッセージの方向であったり、主人公の性格であったり、SFな世界観であったり様々。そんなときは変に意地を張らずその作品を研究します。よい点は自分の引き出しに入れておき、悪い点は反面教師にしておくのです。

どのページでどんな言葉遊びをしていたか? どのコマでどのキャラがどんな構図、表情だったか? これらを覚えていないと、4〜5000冊はある本棚をひっくり返して探す羽目になります。なので所持している本の内容は大体覚えています。知識記憶には自信があります。

ただ代償としてエピソード記憶がてんでダメ。今朝何をしていたか一つも思い出せません。おかげでラジオやMCが超苦手。喋ろうにも題材が無いんです。マジで。

コミュニケーション能力を犠牲にしてまで培った僕の本への愛を「はじめてのバーンアウト」という企画に寄せ、語らせていただきます。

斜陽

著者
太宰 治
出版日
1988-05-16
「人間は恋と革命のために生れて来たのだ」

最後の貴婦人である「母」。破滅への衝動を持ちながらも、恋と革命のため生きようとする「かず子」。麻薬中毒で破滅していく「直治」。戦後に生きる己自身を劇画化した流行作家「上原」。“真の革命のためには、もっと美しい滅亡が必要なのだ”という悲愴な心情を、没落貴族の過程を舞台に四人四様の滅びの姿のうちに描く。

昭和22年に発表され、斜陽族という言葉を生んだ太宰文学の代表作。物語全体を貫くテーマは「貴族」。しかし、爵位としての「貴族」ではありません。それはむしろ形ばかりの虚勢として疑問視されています。「心の中に気品・気高さを持っている人」こそ本当の「貴族」であり、目指すべき人物像である。この思想を巡って主人公・かず子とその弟・直治が苦悩の日々をくり広げます。

若者には大なり小なり理想と現実の狭間で苦しむ時期がある。それは異常なことではないから孤独を感じなくてもいい。あなたは独りではない。太宰の小説には、そういった寄り添うような共感性があります。いつの時代も若者に支持される、稀代の文豪の魔力が存分に詰まった一冊。

我々の最新アルバム『孔雀』に収録した「斜陽」という曲があります。僕が20歳の頃、当時の生活をこの小説に重ね合わせて書いた曲です。

人生思ったようにうまくいかず、しかし「自分はこんなもんじゃない」と自意識ばかりが膨らんでいく、その様はまさに名ばかりの「貴族」。自意識過剰な若者は苦悩の果てに、人生を左右する二択を迫られます。直治のように「自分は特別な人間である」という幻想を「自殺」という手段で現実にするのか。それともかず子のように、現実を直視できない幼稚な自分を精神的に殺し、新しい人生を革命的に踏み出すのか……。つまりどちらにせよ「今の自分」を殺さねばならないのです。次のステージに進むためにはーーこれが僕なりの、小説「斜陽」の解釈。「真の革命のためには、もっと美しい滅亡が必要だ」という言葉の現代風アレンジです。

銀魂

著者
空知 英秋
出版日
2004-04-02
「俺の剣が届く範囲は 俺の国だ」

時は江戸時代。「天人」と呼ばれる宇宙人の襲来を受けてから20年後、剣術道場跡取りの志村新八は剣術を活かす術もなく、意に添わぬアルバイトで生計を立てていた。そんな新八の前に風変わりな一人の侍が現れる。未だ変わらぬ侍魂を持った男・坂田銀時。銀時の男気に惹かれた新八は彼の営む万事屋で働くことになる。作者の空知先生曰く「SF人情なんちゃって時代劇コメディー」。

一世を風靡した少年ジャンプギャグ漫画の金字塔。この作品はギャグ漫画史における一つの転換点だと僕は思っています。連載当時は「ボケ」と「ツッコミ」と「面白い絵」が一つのコマに収まるのが一般的でした。「面白い顔のボケ」に対して「面白い顔でツッコむ」みたいな。

この漫画の歴史的な功績は、その定石の破壊です。「ボケ」と「ツッコミ」が同じコマに入るときは、敢えて俯瞰した構図でや白けた表情で、台詞だけで笑わせる。面白い絵で笑わせるときのコマはボケオンリーにし、次のコマでワンテンポ遅れてツッコミをしています。このシュールともいえる「間」が当時の少年少女(つまり僕の世代だ)に大ヒットしました。現在主流となっているギャグ漫画の「間」のほとんどはこの漫画が築き上げたものだと言っても過言ではありません。

2018年、光栄なことにアニメ「銀の魂編」エンディングテーマとして我々の楽曲「花一匁」が起用して頂けました。書き下ろし曲であり、言わずもがな原作を参考にしています。僕がタイアップで一番大事にしているのは、原作の世界観を壊さないように、かつ自分なりの解釈を提案すること。今回だと“俺が思う『銀魂』の格好よいところ”を歌詞で描けるかどうか、です。

まず『銀魂』の馬鹿騒ぎ感の比喩として「この世は涯無き花一匁」というサビ頭に決めました。それを受けて「努努放すな その手を 夢を 魂を」というサビラストを思いつきました。この2つのセンテンスがまるで原作のキメ台詞のように脳内で再生されたので「イケる」と確信し、自信を持って書き上げることができました。

漫画への愛なら誰にも負けないーーそんな、本来なら微妙なアピールポイントが僕の場合は最強の武器になる。この仕事に就けて本当に良かったと日々思います。

屍鬼

著者
藤崎 竜
出版日
2016-07-15
「この夏 村では得体の知れない死が続いている」

199X年の夏、山に囲まれた人口わずか1300人の村で、原因不明の3名の死体が発見された。同時期、古い洋館に越してきた桐敷一家と接触した女子高生・清水恵が行方不明に。相次ぐ怪事件……凄烈なる夏が始まる。

原作は小野不由美さんのモダンホラー小説「屍鬼」。漫画は藤崎竜先生。先月まで再アニメ化しておりました「封神演義」の作者でもあり、素晴らしいバランス感覚で原案をアレンジするお方で、小説を読んだことある方でも必ず楽しめる作品。敢えてバランスを欠いたキャラクターの絵柄がホラーなシナリオに絶妙にマッチしており、かなり怖いです。夏にはぴったりかも知れません。

そしてこの漫画、「セツナヒコウキ」(アルバム『文學少女』に収録)という曲の製作において参考にしています。

参考にした点は2つ。

1つは「キャラクターの心理描写」。

「屍鬼」には主人公含め「都会に出たいド田舎の少年少女」が何人か出てくるのですが、それが「セツナヒコウキ」で描きたかった内容にかなり近かったため、心理描写の参考にしています。もちろん漫画のエピソードをそのまま使うわけではないですが、「このセリフは説得力があるな」とか、「このシーン、自分ならこう動かすな」などなど、歌詞の中心に置くキャラクターの雛形として読み込みました。もう1つは「夏の描写」です。

この「屍鬼」の絵は白の部分と黒の部分のコントラストが意図的に強く描かれており、それが夏独特の影の強さを表現しています。また藤崎先生はデジタルで絵を書く方なので、猛暑を感じさせる陽炎の加工なんかもメチャクチャ上手い。「この絵の感じを言葉で表現するならどうすればよいか」という具体的なイメージとして使わせて頂きました。

僕は創作の際、必ずと言ってよいほど参考文献を用意します。『斜陽』のように世界観を下敷きにして書くこともあれば、『銀魂』のように受け手と作り手の中間を意識して書くこともあります。『屍鬼』はベクトルが近い絵柄を借りて脳内で一旦漫画を書き、それを歌詞にする……というパターンです。長々とお付き合い頂きましたが、僕と本との関係性、ご理解頂けたなら幸いです。

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    バンドマンやソロ・アーティスト、民族楽器奏者や音楽雑誌編集者など音楽に関連するひとびとが、本好きのコンシェルジュとして、おすすめの本を紹介します。小説に漫画、写真集にビジネス書、自然科学書やスピリチュアル本も。幅広い本と出会えます。インタビューも。

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