モテ香水を超えて行きたい大人のための香水入門書

更新:2021.11.14

ネットでヒットする香水の記事を見ると、「官能」「センシュアル」「女性的」「モテる!」などのフレーズがいくつも出てくる。香水には常に“モテ”が付いてまわるようだ。それはそれで悪いわけではない。しかしその漠然としていささか浅はかな印象で、香水に手を出すのを躊躇ってしまう大人もいるのではないか。 今日はそんなモテ香水の次元を超えて、香りの世界をゼロから楽しむ香水入門ということで5冊を選んだ。

ブックカルテ リンク

1,「香料商が語る東西香り秘話 」

さて、入門段階で香水の派生から今までの香水事情をざっと把握するには、この本を導入にするのが分かりやすい。

著者
相良 嘉美
出版日
2015-06-19

本書を読み進めていけば香りの3大用途は
・宗教
・衛生
・誘惑(モテとも言える)

この3つであると分かるだろう。本書は「東西香り秘話」と題される通り、ヨーロッパの香水事情だけでなく、日本や中東の文化についても触れてゆく。主に消臭や衛生的な観点からいわば「隠すための香り」が発展したヨーロッパと、「千夜一夜物語」に出てくる耽美的で夢のような、あるいは生活の中で立ち現れる中東のコントラストが伺える。これらの東西の文化と技術が随所で混ざり合うことで、香りの世界は発展してきた。
 

2,「匂いの哲学」

では、この3大用途の1つとして、香水についてまわる「モテ」とはいったい何なのだろう。

本書では、この問いを考察する足がかりとして「鼻から見た二つの視点」という章で、マグレブの香りのもてなしについて触れた部分が参考になるように思われる。

著者
シャンタル・ジャケ
出版日
2015-08-30

マグレブでは、客にバラ水とオレンジの花水を頭からふりかける風習がある。異郷からの来訪者である「客」は、異質な要素として彼じしんの香り(それは、こう書いてよければ「異臭」である)をまとって部屋の敷居をまたぐ。その「「異郷の香り」「来訪者の香り」を、バラ水とオレンジの花水をふりかけることによって「純化」する、それがこの風習の意図するところであると考えられる。

自分たちのコミュニティーの香りである「バラとオレンジの花」によって、もてなされる側の「客」と、その客をもてなす「主」側とのあいだの相互の拒絶感をやわらげるのである。
 

今日の日本でよく聞かれるようになった、いわゆる「人類モテ」や「爽やかな石鹸の香り」に見出されるモテの根元は、このマグレブのバラ水とオレンジの花水の「もてなし」に近いものなのかもしれない。モテというよりも、いわばモテ以前の、ある共同体に他者が受け入れられるための通過儀礼のひとつとして捉えるとしっくりくる。ことなる共同体のあいだの、あるいは共同体の境界が揺らぐときにこそ、「誘惑」が問題になる、ということなのかも知れない。

いわゆるセンシュアルな目的の香水と、香りとして良い香水と、「モテ」香水とは、それぞれ違った魅力と効用がある。しかし日本においてはそのそれぞれに違った魅力は見落とされ、どうしても混同されてしまいがちだ。
 

サルトルはかつて次のように語ったことがある。身体から発される香りは肉体こそ失っているがその本質を表す身体そのもので、それを吸い込む事でその人の身体を身体の中に所有することになる。もし愛する誰かのために香りを使うなら、その香りで本質を覆うのではなく、自分の心から愛した香りと一緒に相手に自分を所有してもらった方が甘美なのではないか。そう思うのは私だけではないだろう。

3,「フォトグラフィー 香水の歴史」

この「フォトグラフィー 香水の歴史」は近代~20世紀の香水が写真付きで楽しめる。

本書の著者ロジャ・ダヴは著名な調香師である。調香師ならではの立場から、香水の香り自体についても詳しく紹介されているので、知識0からでも読める良書。

著者
ロジャ・ダブ
出版日
2010-03-12

本書の香水の章は1889年発売のゲランの「ジッキー」から始まる。動物性の香料シベットを大量に投入し、そのスキャンダラスな香りで有名になったこの香水にはじまり、花の甘さにドライ感をくわえて不倫というテーマに落とし込んだとされるナルシス・ノワール、アルデヒドを大量に用いて感傷的ではなく当時のモダンな女性ならではの香りを目指したシャネルのNo.5。

と、この時代の香水は、それらがまとった官能性、タブー、スキャンダラスさを通して大昔からあったモテやセンシュアルとの共犯関係を前面に押しだし、合成香料と共にそれまでのロマンチックで貴族的な香水観を打ち破り、それを民衆の産業へと解放していった。

現在の「官能的」と言われる記号は近代に生まれた。ただ、本書を読み進めてゆくと、香水とそれらをまとう人々の欲望との関係性もまた寄り添うように変化を続けて今に至ることも分かってくるだろう。香水の香りは確かに前進し続けているものの、かつて共闘した「モテ」「官能性」はいつしかマーケティングが司り、香りそのものが持っていた面白さやもともとの官能性は記号の奥においやられてしまったかのように映らなくもない。

しかしその状況においても伝説となった香水たちは一様に香りの美しさで人々を魅了していったのだ。

4,「フォトグラフィー レア パフューム: 21世紀の香水」

以上のようなよく知られたファッションブランド系の香水の他に、ニッチ香水という宣伝やビジネス的な流通とは一線を画した展開を見せる比較的新しいジャンルがある。 「レアパフューム 21世紀の香水」 では、香水好きな人や百貨店が好きな人なら一度は見たことがあるだろうディプティック、セルジュ・ルタンス、クリード、ラルチザンパルファムをはじめ、最近ようやく日本に上陸したエタリーヴルドランジュの他、日本未上陸のものを含めて21世紀の主要なニッチ香水とその調香師のエピソードが網羅されている。

著者
["サビーヌ シャベール", "ローランス フェラ"]
出版日
2015-10-16

この本を読み進めていくにつれて、21世紀の調香師の試みは近代香水がかつてそうであったように、20世紀香水が作りあげてきた欲望と「官能性」「モテ」という遺産を超えて行く試みでもあったことがわかってくる。少女的イノセンス、エモーションを排除した無機質なテーマ、過剰なスキャンダラスさ、従来の女性香水に見られなかったウッドノートの使用、抽象世界、古典への回帰、旅の記憶…などなど。ニッチ香水はブランド各々の視点で、私達の鼻を香水の香りそのものへと引きつける。

香水の香りは基本的にトップノート、ハートノート、ベースノートと言われる始めから終わりまでピラミッド状の構成(コンポジション)になっているが、ニッチ香水はテーマ以上にそのコンポジションとそこから喚起される記憶や嗅覚体験を重要視している。そこには、20世紀的な「モテ」至上主義から解放された場所で香水を純粋に嗅覚体験として堪能できる自由な嗅覚の世界が広がっている。
 

 

5,「世界香水ガイド1437」

私たちの嗅覚の語彙はいまだ発展途上とされており、巷に面白い構成の香水が溢れていても、やはり「いい匂い」「悪い匂い」というざっくりした感覚で判断しがちだ。

ここで最後に香りの帝王と呼ばれる香水批評家ルカ・トゥリンの著書をお勧めしたい。

 

著者
ルカ・トゥリン&タニア・サンチェス
出版日
2010-12-10

ルカ・トゥリンは『香りの愉しみ、匂いの秘密』という本格的な香りについての代表著書がある一方で、こちらではポップさのある辛口な香水レビューを行なっている。

「うるさいほど潔癖な発育不良のフローラル」

「宇宙時代のヘアサロンの香り」

などなど。本書のレビューについては賛否両論で、時には偏りや傍若無人とさを感じる部分もあるかもしれない。だが、そのキレのある言葉使いからは、香りの3大用途の「宗教」「衛生」「モテ」に括られない純粋な嗅覚体験としての自由な香水の楽しみ方を学ぶことができるだろう。

香りの感じ方は人それぞれだ。ある人の感想が、そのまま自分が体験した香りの感想と完全に重なることはまずない。どんな学びでもそうだが、例えばこの本によって、トゥリンはこう言っているけど、実際はどうなのだろう。と疑問を抱いたという事が、その後の長い「香水の旅」のきっかけになったりする。

この本を読む前、あるいは直後、実際に香水売り場に香りを試しに行って欲しい。そして、試しに自分の感想を正直に記録してみてもらいたい。嗅覚が感じたままに目に見えない香りを、自分にストックされた記憶に紐付けして言葉に変換していく行為は、ワインのソムリエの表現に近いかもしれない。ワインのソムリエを例にあげると身構えてしまうかも知れないが、そんなに難しい話ではない。

香水には何十種類も香料が使われている。その香りからうける印象は、日によって、体調によって,その人の肌質によっても千差万別である。そのときどの体験を表現するパターンはほぼ無限大である。つまり、答えも無限大。自らの知覚と記憶を丁寧に楽しみ味わってゆくことが日々を豊かにし、私たちの精神にも深みのある香りを添えてゆくのだ。

このささやかだが終わることのない「旅」を読者の皆さんにもぜひ楽しんでもらいたい。

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