女40代、どっこい生きておりますが、あらなんだか近頃、すぐ疲れる。すぐ風邪ひく。すぐイライラしちゃう。これはいったいどうしたことか。え、これってわたしだけ? おしえて、よその四十路!
初っ端から私事で申し訳ない。この春からお子・満3歳男児が保育園に通い始めましてね。
待機児童の数が深刻な都市部を尻目に、おかげさまでこちとら地方の片田舎、すんなり入園が決まり、あーりがーたやありがたや~~思わず『有難や節』が。
お子が入園したなら、あれもやろう、これもやろう、たまにはひとりランチもいいじゃない、部屋の隅のほこりをはらい、キッチンはいつもピカピカに、お子の持ち物にアップリケなんかつけちゃって、それでさらに時間があるならば、資格取ってみたらどうかしら、きゃっきゃ、うふふ~~。
……くらいのね。夢?というか妄想?にふけりつつ、お子のすべての持ち物に、ちまちまちまちま、名前書いたのですが。
あれな、前々から話に聞いてはいましたが、ほんと、あれなのな。入園したての子って、次から次から風邪もらってくんのな。
そんでそれはもれなく親にうつるのな。わたし、この2カ月間ずううっと、咳してるか、ハナ垂らしてるか、咳してハナ垂らしてるか、の3択です。ご経験あろうかと思いますが、ハナ詰まってる時って、果てしなく頭がぼおっと、アホになりませんか。マルチタスク機能、とかなにそれおいしいの?
なにやるんだっけな、えーと、なんであたし2階に来たんだ、あそうそう、あれだあれだ、えーと。頭で考えたことがまんま口から漏れ出ている。ひとり鼻声でぶつぶつ言って、ゆっくり指さし確認。おばあちゃんか。
そこまでしてなお、あああ、あれ持ってくるのを忘れている、ついでにこれもできたはずなのに! ああもう、この能なしのあまっこ! イライラするなあ!
脳内お局が、脳内ドジでのろまなカメっ娘を小突きまわしますのよ。脳内ドリーミング。
こんな脳内てんやわんやの時、ジョギングでバランス取るのが己の近年獲得した生きる知恵だったのですが、最近、走って体力消耗したところをまた別の新たな敵(また別の風邪)に狙い撃ちされるみたいで。
走って気持ちよくなる前に熱出て倒れる、みたいなことが続き、うっかり走れもせず。すっきりしないわ体調悪いわプヨってくるわ、余計にイライラが募る負のスパイラルよ。プヨってるのろまな鼻声のカメっ娘。醜悪だ、醜悪。
なんでしょうか。浮かれた妄想のバチが当たったのでしょうか。
この無力感。倦怠感。これって、季節的なもの? それとも加齢によるもの? もう、わたしにできるのは、お念仏を唱えることくらいしか。
こないだ受けた健康診断でも、高コレステロール値と不整脈がひっかかった。セリフ覚えもめっきり悪くなった。そういやここんとこ急に老眼も進んだような。マックのハッピーセットのおまけについてくるシールが、ちっちゃすぎて貼れやしねえよ。
ああ、なんかいろいろ、オワタ感……。
すっかり打ちのめされたわたしのココロのスキマに、するっと宗教のごとく忍び込んできたのが、コチラの本。
- 著者
- 横森 理香
- 出版日
- 2013-01-18
なんたって「大人女子」だ。「お年頃」で「♥」だ。タイトルだけでなんだかアゲアゲ。
これを読めば、きっと四十路がわかるはず。不調の理由もわかるはず。気持ちもぐっと上がるはず。溺れる者はプラチナをも掴む。読もう。読まねば。
プラチナ女子のアティテュードとしては、欧米女子のスウィートさと、日本人の意気を身につけるべきだと私は思います。
例えば、現代人はアッパーチャクラのエネルギーが強く、ロウワーチャクラが弱いといわれていますが、そのバランスを取るだけで心身が健康になったりするんですよ。ロウワーチャクラは生命エネルギーを司る第一、第二チャクラがありますから、ここが弱いと健やかに生きづらくなるらしいのです。
なんだ、何を言っているんだ。
わたしよりおよそひと回り上、全盛期のバブルを謳歌してきたひとなので、主に価値観の部分で世代の壁は感じます。ちょいちょい、セレブっぷりをはさんでくるし。
しかし“しじゅー過ぎたおんな”という括りではもう同じ穴のムジナ。劣化してゆく己の肉体を認識しつつ、それでもなんとかうまいことやっていこうぜと、りかふん(作中で夫がこう呼ぶ)は、自分の経験から得た具体的な知恵と工夫を、あれやこれやと後輩たちに授けてくれるのです。これはあれだ、癒やし本だ!
さらなる癒やしを求め、りかふんの手になる40代ハウツー本をどんどん読んでいきました。
「お疲れ女子のための体力&時間“省エネ”術 40歳からのらくらくシンプルライフ」
「40代をいちばん素敵に美しく過ごすコツ」
「40歳からうまくいく女(ひと)のシンプルな生き方」
「40代大人女子のためのお役立ちアイテム」
要約すると、だいたいにおいて、こういうことを言っていた。と思う。
などなど。何事にもバランスをとることを心がけ、あとは大人の分別で。
他にも、
とか。え! もう、そこまでなの! 老境!
……もう、己をおばあさんと労り、その日1日をなんとか生きていこうと思います。なんか、どんどん気が滅入ってきました。40代、地獄じゃねーか。
それにしてもだ。
「40代♥大人女子のためのしあわせ読本」
「40代大人女子のための心地よいおつきあいのコツ」
「女40代で必ずしておく35のリスト」
「40代お年頃女子のがんばらない贅沢な生き方」
「40歳から輝く女(ひと)、くすむ女(ひと)」
「40代からの心地よい人間関係の作り方」
「40歳からハッピーに生きるコツ」
まだまだ本、あるんですよ。りかふん、なんでこんな40代モノに特化してるの!
まずもって、タイトルのつけかたが、うまいよな。更年期を目前に控え、40代の心と体の変化を不安に思う女たちの心を、ぐわしと鷲づかむのです。
やっぱり知りたいものね、この劣化、わたしだけじゃないって。同年代の隣の芝生は今、どんなことになっているのか。
しかしこの量、読んで癒やしを求めているうちに、40代終わっちゃうんじゃないか・・・?
そう不安になったあなた。大丈夫です、りかふんはずっとわしらの前にいてくれるのよ!
「50歳から誰よりも輝くアンチエイジング魂」
「50代から♥もっと幸せ」
「50歳からの自分メンテナンス術」
ね。すでに次の10年もひと安心。次わたしが読むのは「コーネンキなんてこわくない」です。
- 著者
- ジェーン・スー
- 出版日
- 2016-04-12
はい、どーんと、きたー! ゆったったー!!
すばらしい。直球ど真ん中のタイトル。
この、いい歳こいたオンナが「女子」と称するときに生じる、薄気味の悪さ、落ち着かなさ。しかしいくつになろうと、変わらず己の中に居る「小さな女の子」。それとの折り合いの付けかた。などなど、ずっと身のうちにむずむずと抱えて続けてきた女性性を、スコンと言葉にしてくれた。
実は、女子女子言っている女たちも、自分がもう女子という年齢ではないことを十分自覚しております。それでも「自称女子」が跋扈するのは、「女子」という言葉が年齢ではなく女子魂を象徴しているからです。
その、生涯背負って生きていく女子魂を、自分の気付かぬうちに彫られていた『女子』の文字の刺青、と例える。見せる相手や場所を限定すれば、それは自己を表現する大事なファクターたりうるが、TPOをわきまえないと、たちまち周囲に不協和音を生む、と。言い得て妙。
・女子会には二種類あってだな
・エエ女発見や!
・そんなにびっくりしなさんな
・男女間に友情は成立するか否か問題が着地しました
などなど、どの章にも、諸手を挙げて賛成。というか、この本を踏み絵に、うんうんあーわかるわーと肯いた側の女子とは、よい飲み友だちになれそうです。
そして、四十路を迎えるすべての女の福音がこちら。
・やさしさに包まれたなら、四十路。
四十路に入ってから、なぜか周りの二十代の男の子たちがとても優しく接してくれる。いったいなにが起こっているの? 国の福祉の一環なの?
戸惑う著者に、同様の状況にいる友人のひとりが言います。
「彼らの恋愛ターゲットからはみだしたから、優しくされてるような気がする」
十代から三十代半ばまで、私は男たちの恋愛対象の内外に(主に外に)放り込まれてきました。私の意思とは関係なく、出荷前の野菜のように、勝手に選別されてきました。あれは本当に居心地の悪いものだった。
(中略)
性的関係を望んではいない人から、否応なくヤれるかヤれないかの箱に仕分けられるのが、十代から三十代の女です。
ところが四十路に足を踏み入れた途端、私たちはある種の大気圏外を漂うことに成功しました。二十代男子がこちらに性的ものさしを向けることは、ほぼ皆無!ヤれるかヤれないかの箱が存在しない楽園、それが四十路!
なんと、希望に満ちた言葉だろうか。
四十路、悪くない、と思えました。希望を抱けました。
体力は日に日に衰え、容れ物(見た目)も劣化し、記憶力も減退。しかし、生涯いち女子として、わたしは楽園で生きてゆくのだ、やっほー!
- 著者
- 大田垣 晴子
- 出版日
- 2014-11-21
38で結婚、40で出産を経験した大田垣晴子が、女のあれこれを画文で描く。
「女三界に家なし」、女の一生には安住の場所などないという格言。女として生きる、モヤモヤとした不安や不満、そして心の安住の地とは。
ああ、なんだここ。ほっとするよ……。
色使いがとてもすてきなので、ぜんぶカラーだったらいいのに。
読むことで、決して何かが具体的に解決するわけではないけれど、心を少しだけ軽くしてくれます。
「四十路の悩み」に加え「子育て中の悩み」であったりもするので、オンナ40代必ずしもみんなにタイミングよくあてはまる話ばかりではないけれど、お金、母、美、友情、などなど、そうなんだよな、オンナやってて感じる理不尽さやどうしようもない感、あるあるある~、と、この本をお供にひとり晩酌したい。
例えば、いまのわたしがボディに食らったのが「ブルーな母」という項。
買い物帰りにお子とカフェで休憩していたら、たまたま知り合いの編集さんと好きなマンガ家さんが取材に行く途中で通りがかり、同世代でお子も同年代、なのにこちらはスッピンボロボロで、仕事も減って、子連れじゃなきゃ出かけられなくて……と落ち込む。
・仕事をしたい
・同世代の人の輝きがうらやましい
・世の中から遅れている気がする
そして、ああ、これって、育児ブルーってやつか!と気付きます。
(座右の銘)
「いいか、(他人を傷つけることだって)俺達は、やりたいことは何でも自由にやれるんだ」(『イリュージョン』R.バック)
「やめたければ何だってやめられる」という科白もある。
今、わたしがやりたくてやっていることが何なのか、迷ってはいけない。
「コチョコチョして~~」と満面の笑顔のお子と、「よーしコチョコチョ~~」と手をわきわきする母の姿。これ、ポスターにして貼っておきたい。そして、迷ったときにはこれを見上げ、自分の進んでいる方向を確認するのだ。
なお巻末に、前述のジェーン・スーとの対談も掲載されていますが、これまた秀逸ですのでね。
精密検査の結果、どちらも特に問題なし、ということでした。なんだよ。検査行くまで、ちょっとどうかというくらい、豆乳を飲んだおかげでしょうか。たぶん違うね。
やまゆうのなまぬる子育て
劇団・青年団所属の俳優山本裕子さんがお気に入りの本をご紹介。