漫画の神様、手塚治虫が描く、戦国を舞台にした時代妖怪漫画『どろろ』。未完とも言われる傑作漫画が、2019年1月7日に、約50年ぶりに再アニメ化されることが発表されました。色あせることのない、名作漫画の人気の秘密を、徹底考察いたします。
『どろろ』は、漫画の神様として現在でも高い人気を誇る漫画家、手塚治虫の作品。室町時代を舞台に、妖怪から自分の身体を取り戻すために旅を続ける少年・百鬼丸と、泥棒の子ども・どろろの戦いと旅、乱世を生きる人々を描きます。
一応完結という形にはなっていますが、百鬼丸の戦いなど解決していない事柄はあまりに多く、読者にとっては未完であるという印象はぬぐえません。そのため、本作には多くのリメイク作品や、ゲーム、実写映画などのメディアミクス作品が数多く存在します。
なかでも道家大輔が描く『どろろ梵』は、オリジナル要素の強い作品。どろろに裏切られた百鬼丸が、500年後の現代に女性として生まれ変わり、復讐の旅に出るという現代ダークファンタジーに仕上がっています。百鬼丸が女性になり、舞台も現代になるという大胆なリメイクが話題となりました。
アニメは1969年4月から9月にかけて間放送されました。当時は血の描写などが問題となり、カラーアニメが制作できる環境にあっても、モノクロで放送されていた本作。約50年の時を経て2019年に再アニメ化されましたが、現在の技術でのアクションに期待したい、と原作ファンもアニメファンからも期待が寄せられています。
驚くべきは、OPとなった主題歌「火炎(FIRE)」です。女王蜂が歌を務めたこの楽曲は、youtubeで2000万回再生をされるなど、ヒット作となっています。
声優など、詳しい情報はTVアニメ「どろろ」公式サイトをチェックしてみてください。
『どろろ』は、戦国時代を舞台にした、ダークファンタジー作品です。小学館「週刊少年サンデー」に連載されたのち、アニメ化にあわせて秋田書店「冒険王」に連載の場を移しました。現在でもスピンオフ作品の発表や、メディアミクスされるなど、手塚治虫作品のなかでも人気の高い本作ですが、実は連載期間はそう長くはありません。
「週刊少年サンデー」に掲載されていたのは、1967年8月から1968年7月。「冒険王」は月刊誌で、5号から10月号まで本作が掲載されており、そのうちの2話分は「週刊少年サンデー」掲載分の、再録や改変されたもので、実質新しいエピソードは4話分しか掲載されていないことになります。
百鬼丸とどろろの戦いの旅は、読者の納得できる形で終わっているわけではありません。現在でも未完の物語という印象の強い本作は、事実上打ち切りとなった作品なのです。あの漫画の神様の作品が打ち切り、と驚く方も多いかもしれません。しかし、掲載されていた雑誌の読者層は少年。きらきらと夢と希望にあふれた冒険譚を求める年頃です。
『どろろ』は、そんな少年たちの求める作品とは、大きく傾向が違います。血で血を洗うような乱世、苦悩しながら自身の身体を取り戻す旅をつづける主人公と、その相棒である子ども。陰鬱で残酷な世界を描く作品は、多くの少年たちの求めるものとは合致しなかったようで、第1部完結という形で連載は終了してしまいました。
しかし、本作のもつ重い空気や、不幸な生い立ちをもって苦悩する主人公である百鬼丸に、強く惹かれる読者は数多く存在します。同業者である藤子不二雄や、つのだじろう、赤塚不二夫は、雑誌の企画で『どろろ』の漫画を描いており、永井豪は『ブラック・ジャック』のアンソロジーコミックスに百鬼丸を登場させています。後に漫画家となる沙村広明や、映画監督の雨宮慶太もリメイク作品に携わっているなど、多くのクリエイターに影響を与えました。
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時は室町時代の中ごろのこと。白い錨(いかり)柄の貧相な着物を着た少年、百鬼丸(ひゃっきまる)は、子どもの頃に生贄となった影響で失われた自身の身体を、48体の魔物から取り戻すために旅を続けています。
ある日百鬼丸は、数人の大人たちから暴行を受けている子ども、どろろと出会います。どろろは泥棒の子。両親を亡くし、天涯孤独となった身の上です。どろろを助けた百鬼丸でしたが、どろろは礼を言うどころか、百鬼丸の腕に仕込まれた刀を奪おうと、つけ狙います。最初は邪険にしていた百鬼丸でしたが、旅を続けるうちに、相棒や友人といったような、奇妙な絆が生まるのでした。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 2009-11-11
そのまま旅を続けていた2人でしたが、全ての元凶である百鬼丸の父、醍醐景光と再会したことで、運命の歯車が再び狂い始めます。自分を捨てた両親や、弟の存在に動揺し、苦悩する百鬼丸。ただの泥棒の子どもだと思われていたどろろにも、ある秘密が隠されていたことが判明し、2人は抗えない運命と、時代の流れに翻弄されながらも、戦い続けることを余儀なくされるのでした。
本作の主人公の1人である百鬼丸は、魔物によって失われた自身の身体を取り戻すために、旅を続けています。百鬼丸の父、醍醐景光は48の魔神像に、自身の天下取りを祈願しました。その魔神像は、仏師運慶の子である運賀が彫ったとされる、いわくつきのもの。運賀はこの魔神像を彫り上げたのちに、狂い死にしたといわれています。
そんな魔神像は48の魔物に通じており、景光は生まれてくる我が子を生贄として捧げることで、自身の望みをかなえることとなりました。生まれた子どは魔神像の数と同じ、48箇所の身体的な欠損を持った子供として生まれ、川に流されてしまいます。
医者の寿海に拾われ、失われた場所を補う義手や義足、武器を得ることで生きることができました。しかし、成長するに従い、死霊や妖怪が家に集まるようになり、困った寿海は百鬼丸という名前を与え、家から送り出します。
そうして自分の身体を取り戻すため、48の魔物と戦っている百鬼丸ですが、実は隠されていた設定があるのをご存知でしょうか。第1部完結後、秋田書店「冒険王」連載時に、百鬼丸から奪った48の部位を、魔物たちがこねくりまわし、新たに1人の人間を作り上げた、というエピソードが、初めて登場します。魔物たちはその人間・どろろを殺せば、身体は元に戻るというのです。それはちょうど、百鬼丸が泥棒の子ども・どろろと出会う前のことでした。
どろろという子どもを殺せば、48の魔物と対峙することなく、身体を取り戻すことができる。出会うことはないだろうと思われましたが、実際にどろろという子どもに出会ってしまった百鬼丸は、どろろを殺すべきか否か、絆が深まるごとに迷い、苦悩します。
原作ではすべての部位を取り戻すという描写はされておらず、それ故に未完という印象が読者に残りました。
またアニメ版では、実父醍醐景光を倒すという決着が付けられていますが、百鬼丸は自身の運命に疲れ、誰に告げることもなくどこかに去っていくという終わりを迎えています。
生まれ落ちた瞬間から身体を奪われて両親に捨てられ、挙句自分でその身体を取り戻すという、過酷な運命を背負うことになった百鬼丸。魔物を探し、戦い続けるという殺伐とした人生を送っているため、10代の少年らしからぬ、世間に対する冷めた目を持っています。
百鬼丸が荒んだ世を冷めた目で見るのには、理由がありました。ある時、盲目の琵琶法師に案内されたお堂で、百鬼丸はみおという女性と出会います。このお堂では、戦で焼け出され、両親を失い、身体に障害を抱えた子どもたちが生活をしていました。奪われたものは多くても、皆元気に生きていました。
そんな子どもたちの親代わりを務め、面倒を見ていたのがみおです。容姿だけではなく、美しい心根を持ったみおに惹かれる百鬼丸。子どもたちを養うために、侍たちの慰みものになったいやらしい女だから、と百鬼丸の好意を拒絶するみおを、子どもたちごと幸せにすると誓います。
しかし、百鬼丸が剣の練習のためにお堂を離れた時、悲劇が起こりました。お堂の明け渡しを拒んだことに腹を立てた侍たちが、みおも子供も殺してしまいます。懸命に生きていた子どもたちやみおを、人として扱わぬ侍たち。深い絶望と怒りに苛まれた百鬼丸は、両手の刀を抜き放ち、侍たちに向かっていきます。
人間の汚い部分も隠すことなく描いていくのが、手塚治虫作品の特徴のひとつで、子どもたちやみおだけでなく、百鬼丸もどろろも、差別という現実にさらされ続けます。人間の心に住む魔物に大切な人を殺された百鬼丸は、取り戻しかけた温かい心を再び失ってしまうのでした。
どろろはボロの着物をまとい、赤ん坊のころから盗みをしていたという、天性の泥棒でもあります。強情だけれども根は優しく、身体能力は高くてかなりタフ。正確な年齢は出てきませんが、5歳前後であるというセリフがあります。夜盗・火袋の子で、その背中には大きな秘密を抱えているのですが、さらに明かされていない設定がありました。
どう見ても少年にしか見えないどろろですが、実は女の子なのです。原作やアニメでも頑なに性別は明かされてきませんでしたが、最終話で女の子であることが判明。背中に秘密があるため、頑なに人前で風呂や水浴びをすることを拒絶し続けてきましたが、中には性別を隠すという意味もあったのかもしれません。
なぜ、どろろは少年ではなく女の子という設定になったのでしょうか。疑問を解決する、明確な答えは用意されていません。しかし、百鬼丸が全ての魔物を倒して自分自身の身体を取り戻し、どろろも自身の持つ因縁を解決したその後に、2人が支え合って生きていく姿を想定していたのではないか。そんな、幸せだけれど少しだけ切ないハッピーエンドを想像させてくれる設定です。
読者の理想とする最後ではありませんが、手塚治虫の描いた『どろろ』は最終回を迎えています。農民たちに圧政を敷いていた醍醐景光。百鬼丸は父と母を追放し、虐げられていた農民たちの反乱は成功。景光との戦いの折、何匹かの魔物を倒した百鬼丸は、どろろが狙っていた刀を餞別として譲り、残りの魔物を探してまた旅に出てしまいます。
百鬼丸の旅は終焉を迎えるのか。置いていかれたどろろはどうなってしまうのか。読者の熱望する、最終回のその先を、漫画だけではなく、アニメや映画、ゲームというありとあらゆる媒体を使い、人々は想像してきました。
アニメ版の『どろろ』は、原作の持つ雰囲気が、さらに暗く重くなっているのが特徴。百鬼丸は、原作では10代前半の少年ですが、アニメ版ではがっしりとした体格の青年として描かれています。カラーだと放送できない、とモノクロになったというエピソードからもわかるとおり、描写はかなりリアルで忠実。劇画タッチなのも相まって、おどろおどろしさが増しています。
そんなアニメ版の最後は、どろろと別れた百鬼丸は、魔物を倒す旅を続けます。最後にみつけた魔物は、父の醍醐景光。父を倒し、自分の身体を取り戻した百鬼丸ですが、同時に家族という存在を物理的に失いました。自身の運命に疲れた百鬼丸が、誰にも会いたくないと1人でどこかに去っていく、救いようのない悲壮感を漂わせながら、物語は終わりを迎えます。
百鬼丸が不幸になるエンディングしかないのか、とお嘆きの読者の皆様は少々お待ちください。原作漫画、アニメ版ともに不幸な最期を迎えていますが、もちろんそれだけではありません。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 2009-11-11
妻夫木聡、柴崎コウが出演し、2007年に公開された実写映画『どろろ』では、醍醐景光がどろろの親の仇であるという、原作にはないエピソードが登場。親の仇の子であるからと、どろろとは一緒にいられない、と百鬼丸が葛藤するエピソードがありながらも、景光を打ち倒します。
原作では百鬼丸に殺される弟の多宝丸は生き残り、景光亡きあとの城と村を任されることになりました。兄に残ってほしいと願う多宝丸に、まだ24の身体を取り戻していない、と断る百鬼丸。再びどろろと旅に出るという、戦いは終わっていないけれども不幸さの少ない、爽やかさを感じさせる結末です。
2004年に発売されたゲーム版が現状では一番のハッピーエンドといえるでしょう。1989年に発売されたものもありますが、ここでは2004年にセガから発売されたアドベンチャーゲーム『どろろ』をご紹介。キャラクターデザインを漫画家の沙村広明が担当した作品です。「どろろの身体が、魔物に奪われた百鬼丸の身体でできている」という設定が採用されており、これだけみると不幸な結末一直線に思われます。
しかし、百鬼丸はどろろを殺さず、魔物だけを殺す方法を模索し、旅に出ます。数年後、成長して年頃となったどろろと百鬼丸は再会を果たすのでした。最後の敵と戦い、全ての身体を取り戻した百鬼丸。その手を取り、自分の頬に当てながらお礼を言うどろろ、という美しい光景の中で、物語の幕が下ろされています。
アニメ版を筆頭に、少々救いのない最後に流れてしまいがちですが、新たな百鬼丸とどろろの物語を紡ぐこととなる新アニメ版がどんな最終回を迎えるのか、期待が高まります。
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明るく楽しい冒険譚だけではなく、人間の暗部も描きだした漫画家手塚治虫。『どろろ』は、乱世を舞台にしているからこそ、人間の持つ闇の部分を、明確に浮き彫りにしたダークファンタジーだと言えます。多くの読者をひきつけてやまない物語、その新展開にも注目です。