いまなお人気がある本作。この小説はロシアのドストエフスキーによって書かれた、不朽の名作です。本作は、なぜ名作と評価されているのでしょうか。村上春樹氏も、人生において重要な本に本作を挙げています。今回は、この小説の内容を紹介していくとともに、その魅力の謎についても触れていきます。 ぜひ最後までご覧ください。
主人公とされているのは、カラマーゾフ家の三男・アリョーシャです。彼の父・フョードルはとても嫌な人物。お金、権力、酒、女に目がありません。そんな人物として、街ではとても有名人でした。
彼には3人の息子がいます。長男・ミーチャ、次男・イワン、そして、三男・アリョーシャです。ある日、フョードルが再婚をすると息子たちを集めるところから、物語はスタートします。その再婚相手は商人・サムソーノフの妾・グルーシェニカという女。彼女は誰もが認める絶世の美女です。
実はミーチャも、グルーシェニカに惚れていました。しかし彼には、大金持ちの婚約者・カテリーナがいました。彼は彼女に3千ルーブルもの金を借りていたため、それを返済してからグルーシェニカと一緒になりたいと考えていたのです。もともと仲が悪かった父と長男ですが、この再婚を機にさらに険悪になります。
頭にきたミーチャは、父を殺そうと計画。父が住んでいる屋敷に行きますが、カラマーゾフ家の召使・グリゴーリィに止められてしまいます。彼はとっさにグリゴーリィを殴り倒し、その場から逃げ出しました。そのままグルーシェニカに会って、その後は自殺してしまおうと考えたのです。
そんな彼の想いに応え、彼女はついに彼の愛を受け入れます。なんとも感動的な場面です。
そんな場面に水を刺すかのように、警察がやってきます。なんとフョードルが殺害され、犯人を探していたのです。そんななかグリゴーリィが、ミーチャがフョードルを殺したと証言します。彼は父殺しの容疑で逮捕されてしまうのでした。
一体、犯人は誰なのでしょうか。兄弟を中心に、複雑な人間関係が交錯します。
- 著者
- ドストエフスキー
- 出版日
- 1978-07-20
本作は上下巻から成り立っている、とても長い小説です。そして、1回読んだだけで作品の細部まで理解をすることはとても難しい内容。小説ではありますが、教養本としても多くの人に読まれているほどです。そのため、「面白くない」や「つまらない」と感じる方も多いよう。
また、実は本作は作者死亡のため、未完成の作品となっています。英訳された作品のタイトルは『The Brothers Karamazov』。
日本ではミュージカルや映画、ドラマ化もされています。他にも、宝塚の雪組がミュージカル版にチャレンジ。さらにドラマでは、フジテレビが2013年放映して話題となりました。作品の舞台をロシアから日本に移し、林遣都、市原隼人、斎藤工らが物語の中心となり、設定を黒沢家の3兄弟に変え、演じました。本作はフィクションですが、父親殺しを題材にし、人の倫理観や宗教観を追求した、とてもリアルな内容となっています。
本作は翻訳もさまざま。亀山郁夫氏、江川卓氏などによって翻訳され、それぞれの解釈の仕方が違っている箇所もあります。また村上春樹氏は「これまでの人生で巡り合った最も重要な本の3冊」として本作を挙げています。さらに、批評家である小林秀雄氏や中山省三郎氏も、ドストエフスキーの作品を研究していました。
江川卓氏は『謎解きカラマーゾフの兄弟』という解説本も出版しています。
カラマーゾフの兄弟に登場する主な人物をご紹介します。
カラマーゾフ3兄弟の父親。無一文から財産を築きあげた、ずる賢く陰険な男。とにかく女が大好き。
カラマーゾフ家の長男。遊び好きで気性が荒い。退役将校。
カラマーゾフ家の次男。インテリの無神論者。モスクワ在住。実はミーチャの婚約者であるカテリーナのことが好き。自分の中に悪魔を見ている。
カラマーゾフ家の三男。純真な青年。町の修道院で暮らしている。作家である金原ひとみさんが大好きなキャラクターとし公言しているのが彼です。
ヒロイン。男を弄ぶ魅惑的な美女。ドミートリーとフョードルを虜にする。
ホフラコワ夫人の大事な一人娘。車椅子生活をしている。小児麻痺が原因。アリョーシャと恋仲にある。彼女の発言で、「指を切り落とされた子供も素敵だし、軽蔑されるのも素敵だわ」という名言(?)がある。
ミーチャの母のいとこで、ミーチャの後見人でもあります。裕福な地主で、名門貴族の出です。
アリョーシャの修道院の同僚。お金持ちが大好き。ホフラコワ夫人に告白する。とても嫌な奴。
イリューシャという中学生の親友であり、親分肌。
2人目のヒロイン。美しく知的で強い自尊心を持つ女性。ミーチャの婚約者だけれど、イワンが好き。
カラマーゾフ家の使用人。卑屈で臆病者。実はフョードルの息子であり、ミーチャたちとは腹違いの兄弟。
アリョーシャを生んだ母親。
この他にも、まだまだ多くの人物が登場します。これだけ多くなると、物語が複雑になるのも納得です。
ドストエフスキーは、ロシアのモスクワ生まれの作家です。1846年に作家デビューをしており、処女作は『貧しき人々』。ミハイル・ペトラシェフスキーが主宰する空想的社会主義サークルの一員であったという理由から、1849年に官憲という組織に逮捕されています。この時、彼はなんと死刑判決を受けています。
しかし死刑執行間近となってから、当時の皇帝であったニコライ1世から特赦を与えられて、シベリアに流刑する減刑になり、なんとか一命を取り留めたのです。刑期終了後は、兵士として軍隊で勤務していました。
その頃、ドストエフスキーに思想的な変化が起こります。彼は理想的な社会主義思想を持っていましたが、キリスト教人道主義へと考え方が変わっていったのです。その後有名な『罪と罰』を発表し、彼は世間から認められるようになりました。
彼の作品には、自身の患う「てんかん」が大きな影響を与えています。作品の登場人物にも多数登場し、『白痴』のムイシュキン、さらに本作『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフは、てんかん患者として描かれています。また彼は無類の賭博好きで、いつも借金に追われていました。その性質も、作品に大きな影響を与えています。
彼の思想は、1920年代のドイツの右翼知識人に大きな影響を与えたといわれています。彼も反ユダヤ主義だったのです。またこの時代、世の中に影響を与えた作品は、ガブリエル・ガルシア=マルケスが書いた『百年の孤独』やゲーテが書いた『ファウスト』があります。
本作は、なぜロシア文学の最高傑作といわれているのでしょうか。世の中にはあらゆる読み解き方、意見があると思いますが、いくつか代表的なものをまとめてみました。
しかし、本当の理由は別のところにあるのではないでしょうか。さらに深く読み解くと、この作品の本当の魅力、それは神について問題提起をし、作中で答えを出しているところではないかと感じられます。
たとえ宗教の信仰心が薄い日本でも、誰もが1度は考えたことがあるであろう、神の存在というもの。本当にいるのか?もしいるとすれば、世の中は平和ではないのか?などの世界中の誰もが持っているであろう疑問について問題を提起し、1つ1つ明確な答えを提供してくれているのが、本作です。
小説ではあるものの、まるで哲学書のように答えを示してくれるため、本作を読んで価値観が変わったという方も多いようです。
本作は哲学的な部分があり、とても1回で理解するのが難しい内容となっています。そして当然のごとく、登場人物たちの恋愛関係も複雑です。
まず殺されたフョードルは、グルーシェニカと再婚をしようと考えました。しかしミーチャも、彼女と結婚したいと考えています。しかし彼には、カテリーナという婚約者がいました。そして、このカテリーナのことが好きなのがイワンです。
皆、近場の人に恋をし、それを取り合っています。1番平和な恋をしているのがアリョーシャです。カラマーゾフ家で唯一平和な恋をし、相思相愛となっています。
本作に隠された重要なテーマは、何なのでしょうか。それは先ほども少し触れたように、神の存在について著していることです。この地球に神というものは存在するのか、しないのか。そんなテーマがこの作品には隠されています。
もし神がいるとすれば、なぜ争いはなくならないのか。なぜ平和にならないのか。そういった問題提起に、ドストエフスキーは作品をとおして答えています。
世の中にはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教といったさまざまな宗教が存在しますが、そのどの宗教にも絶対的な存在がいます。そういった存在がいると信じられているのが、宗教なのです。そんななか、そこに問題提起をしているのが、イワンです。
彼は無神論者でありました。そんな彼に対し、アリョーシャは「イエス・キリストがすべての罪のために自ら血を流し、そのことによってすべての人を許し、世界の調和を保っている」と言います。
この言葉に対して、イワンはさらに問い詰めます。それが本作の重要な部分である「大審問官」という叙事詩です。
「人間は、自分自身で、自分の判断で善悪を考えながら生きていくこと自体が非常に難しく、重荷なのではないか。また、自由を与えること自体、人間にとってはとても酷なことで、自由な信仰を与えることは、愛情でもなんでもないのではないか」といったような思想を説いています。
人間は自由であればあるほど不幸せという哲学は、ある意味的を得ているのではないでしょうか。現代人である私たちに置き換えて考えてみると、さらに近い肌感覚で理解できるかもしれません。
本作は当時のヨーロッパ人の誰もが持っているキリスト教的な倫理観に対して、ドストエフスキーが感じていた違和感を徹底的に追求した作品となっています。「罪に対する赦し」を徹底的に問うた名作です。
「いいですか、これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、
それも特に子供のころ親の家のなかにいるころ作られたすばらしい思い出以上に、
尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。
君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが、
少年時代から大切にたもたれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、
おそらく、最良の教育にほかならないのです。」
(『カラマーゾフの兄弟』より引用)
アリョーシャが、イリューシャの埋葬のときに、彼の友達に語った言葉です。
「神が存在しなければ、全ては許される。」
(『カラマーゾフの兄弟』より引用)
イワンが言った言葉です。神がいなければ善悪がなくなり、人々の自由意思が神となります。そのため、許すも許さないも、そもそもそういった概念がなくなるということを伝えています。
「私はお前のことをこんなふうに考えているのだよ。
お前はこの壁の中から出ていっても、
俗世間でも修道僧としてありつづけることだろう。
大勢の敵を持つことになろうが、ほかならぬ敵たちでさえ、
お前を愛することになるだろうよ。
人生はお前に数多くの不幸をもたらすけれど、
お前はその不幸によって幸福になり、人生を祝福し、
ほかの人々にも祝福させるようになるのだ。
これが何より大切なことだ、
お前はそういう人間なのだ。」
(『カラマーゾフの兄弟』より引用)
ゾシマ長老がアリョーシャに言った言葉です。アリョーシャが自己に溺れてたことを指摘されるシーン。
「兄さん」アリョーシャがふるえる声でまた言いだした。
「僕があんなことをいったのは、兄さんが僕の言葉をきっと信じてくれるからです。
僕にはそれがわかるんです。
あなたじゃない、という今の言葉を、僕は一生をかけて言ったんですよ。
いいですか、一生をかけて。
兄さんにああ言えと、神さまが僕の心に課したんです。
たとえ今の瞬間から、兄さんが永久に僕を憎むようになったとしても ……」
(『カラマーゾフの兄弟』より引用)
アリョーシャがイワンに言った言葉です。彼はこのことを、自分の一生をかけて、たとえ憎まれることになろうともイワンに伝えました。
「俺が受け入れないのは神じゃない、
いいか、ここのところをまちがうな、
おれが受け入れないのは、神によって創られた世界、
言ってみれば神の世界というやつで、
こいつをうけいれることに同意できないんだ。」
(『カラマーゾフの兄弟』より引用)
第1位は、イワンが言ったこの言葉です。彼は、神の存在自体は認めていました。しかし、神が創ったこの世のことは認めないと言っています。彼には、人間が神と悪魔を創ったというような思想も入っているのです。
ミーチャは父親殺しの罪で連行される直前、ある夢を見ました。その夢には火事になった村が出てきて、そこには焼き出された母親たちや童が立っていました。彼はその童が、イリューシャを表していることに気づきます。
彼はイリューシャのお父さんを、町中で引きずり回しました。それを友達に見られていたイリューシャは、それ以来学校でいじめられてしまいます。彼は来る日も来る日もいじめられます。彼の家は貧乏で、たとえいじめられていても引っ越すこともできません。
彼はずっと、ミーチャに復讐しようと考えていました。しかし体が弱く、そのまま亡くなってしまうのです。この復讐の思いが、ミーチャに童の夢を見させたのでしょう。彼は父親を殺してはいませんが、いろいろな罪を背負ってシベリアに旅立つことになります。
上で書いたように、イワンは無神論者です。神が存在するなら、なぜ悪はなくならないのか。神が存在するということはさまざまな宗教があるということで、それは結果として人々の幸せを奪っているのではないか。
そういったことを考えているうちに、彼は自分の中の悪魔の存在に気づきます。つまり「イワンの悪魔」とは、神をも裁こうとする心なのです。
彼は自由と幸福を手に入れるため、神や皇帝をも倒そうとします。倒すというのは、人々からこれらを信じる心をなくそうとすることです。その理想を実現するために、少しの犠牲は構わないと考えていました。
その非道な心が、彼の心に潜んでいた悪魔なのです。彼はこの悪魔から誘惑を受けながら、理想を実現しようと突き進みます。
まずは「一本の葱」について説明します。
あるところに意地の悪い女が居て、亡くなりました。その女は亡くなるまでよいことをまったくしなかったので、悪魔の手によって火の海に投げ込まれてしまいました。その女を守っていた天使が不憫に思い、なんとか女がしたよい行いを探して、神様に報告をしようとします。
なんとか探したところ、たった1つだけよい行いがありました。それは1本の葱を畑から抜いて、乞食に与えたことです。天使はその事実を、神様に伝えます。
神様はその葱を拾ってきて、女につかまらせて火の海から引っ張りあげなさいと、天使に言いました。天使はそのとおりに、女を引っ張りあげようとします。もうちょっとで助かるとことで、他の罪人たちも女につかまり始めました。すると女は、「これは私の葱」と言って、他の罪人たちを蹴落とし始めたのです。
その瞬間、葱はぷつりと切れてしまいます。女は再び火の海に落ち、その海は今日まで燃え続けているのです。
この話が『カラマーゾフの兄弟』に登場します。これはドストエフスキーの創作ではなく、ロシアで語り継がれているおとぎ話のようなものです。本作も『蜘蛛の糸』も、この作品から着想を得て書かれているので(正確にいうと『蜘蛛の糸』は、このおとぎ話を元に書かれたポール・ケーラスの『カルマ』から着想を得ている)、作品同士が類似しているのです。
彼は何と、イワンに対してキスをします。これは、憐れみと共感のキスです。
彼はイワンの苦悩に気づいていました。イワンは大審問官と神の間で揺れ動いている苦悩を持っていたのです。当時ヨーロッパの人々は、神は科学の力に勝てないと気づき始め、神への不信を高めていました。その代表が、彼だったのです。
それを感じ取ったアリョーシャが、キリストを真似て彼にキスをしたのでした。かつてスペインに降臨したキリストも、大審問官に対して憐れみと共感のキスをしています。大審問官もイワンと同じような苦悩を抱えていたのです。それを感じ取ったキリストが、大審問官にそっとキスをしたのでした。
本作の「大審問の章」では、キリスト教を批判しています。無神論者であるイワンは、神がいるとするならばなぜこの世の中に悪があり、その悪が認められているのだ、と考えていました。それが、イワンの大審問官の思想へと繋がります。彼は人民の幸せのために、この世の中に神は不要であると考えていたのです。
しかし実際の人民は、自分以外の人の不幸を喜びます。それは、ミーチャの裁判で明らかになりました。彼の裁判で、人々はただ成り行きを楽しんでいるだけだったのです。そして普段から貴族のことを嫌いな人民が、彼のことを有罪にしようとします。
イワンはそんな人民の姿を見て、自分が彼らのためを思って頑張っていたことが、否定されたような気がしてしまいました。彼の思想は崩れ去ります。そして、彼は発狂しました。
彼を題材にしてキリスト教への問題を提起をし、結果的にはキリスト教は必要であると作者が描いている場面です。
『カラマーゾフの兄弟』は独特な表現があり、1回で理解するのは難しい小説です。そんな方におすすめなのがこの一冊。
- 著者
- ["ドストエフスキー", "バラエティアートワークス"]
- 出版日
- 2008-01-01
『カラマーゾフの兄弟』が漫画で描かれています。小説はものすごく長いですが、漫画では重要な部分だけを描いており、物語の大枠を理解することができます。小説を読む前にこの漫画を読んでおくと、小説の内容がわかりやすいかもしれません。
この作品は、中学生でも理解できる内容となっています。また、すでに小説を読んだ方でも楽しめる内容ですので、ぜひお試しください。
『カラマーゾフの兄弟』を描いたドストエフスキーの性格と、さらにはこの作品自体を、心理学者であるフロイトが分析した書籍もあります。
- 著者
- ジークムント フロイト
- 出版日
- 2011-02-09
『カラマーゾフの兄弟』は小説ではありますが、とても哲学的な内容が色濃いものとなっています。そのため、わかりにくい表現が多々あります。
なぜそのような表現をしているかを、ドストエフスキーの性格をわかったうえで読み解くことができれば、原作の別の読み方もできるのではないでしょうか。
原作を1度は読んだことがある方には、絶対におすすめの一冊。ぜひ手にとってご覧ください。
本作は、父親殺しが題材となっています。長男であるミーチャが疑われ、犯人として逮捕されてしまいます。確かに、彼と殺されたフョードルは、普段から仲が悪かったです。そしてフョードルを憎んでいる人物は多く、彼はいつ誰に殺されてもおかしくないような人物でした。
容疑をかけられているミーチャは普段から気性が荒く、喧嘩っ早い性格であったため、彼が犯人であることを誰も疑いはしませんでした。街のみんなも、兄弟も使用人も、彼が犯人であると疑います。誰もが、彼は有罪になると思い込んでいました。
しかし、彼はフョードルを殺してはいなかったのです。それでは、真犯人は誰なのでしょうか。
何と真犯人は、使用人のスメルジャコフでした。彼はフョードルを殺して、お金を盗み、それをミーチャの仕業のように工作しました。そして彼はただの使用人かと思いきや、実はフョードルの息子だったのです。
- 著者
- ドストエフスキー
- 出版日
- 1978-07-20
本作の内容を簡単に記すとすれば、父親殺しを題材にして、キリスト教への問題提起をし、解決していくというものです。この作品には続きがあるのですが、それを描いている途中でドストエフスキーは亡くなってしまいました。
本当の結末とは、なんだったのでしょうか。それは今もわからないままです。
いかがでしたか?長くて取っ付きにくい印象の強い『カラマーゾフの兄弟』ですが、家族、恋愛、推理、宗教と、一作品でさまざまな要素が楽しめる、実に魅力的な小説となっています。今回の記事を読んで興味を持っていただいた方は、ぜひお手に取ってみてください。