ファンタジックミステリーを得意とする技巧派作家の松尾由美。異世界やちょっと不思議な登場人物に寄る謎解きと優しくやわらかい語り口の作品が人気です。そんな松尾由美のおすすめ小説を7作ご紹介します。
松尾由美はSF・推理小説作家です。また、自筆プロフィールでは、作家という肩書きの他に、「ルー・リード研究家(自称)」「ニューヨーク・ドールズの伝記翻訳家(版元募集中)」と記しています。
石川県金沢市で生まれた松尾由美は、金沢大学付属中学校・金沢大学付属高等学校を経て、お茶の水女子大学で英文学専攻に進学しました。卒業後は、メーカーで勤務をしながらも、大学時代に所属していた「お茶の水女子大学SF研究会」の同人誌に寄稿を続け、新創刊の雑誌に短編を発表する運びになったのだそうです。
この短編を読んだ編集者から「ジュニア小説の文庫シリーズの一作を書かないか」と声をかけられ、処女作である『異次元カフェテラス』を出版しました。
ジュニア小説での活動は出版社の倒産や文庫シリーズの廃止などで後が続かず、改めて短編小説を出版社に持ち込んだりもしたようですが、こちらも結果には繋がらず。
その中の短編を改稿してハヤカワSFコンテストに応募した『バルーン・タウンの殺人』が見事入選を果たしました。入選の連絡を受けたのはお子さんの誕生日近くだったそうです。
この入選について、のちに松尾由美は「SF小説対象のコンテスト応募作なのに殺人事件を扱ったミステリー下手なのは、ミステリーというか名探偵ものが、ある意味自分の読書体験の原点みたいなところがあったから」、「コンテスト通過という経緯をたどって、いわば正面玄関からこの世界に入れたような気がした」と語っています。
デビュー作であり、松尾由美の名前を知らしめるものとなったこの「バルーン・タウン」シリーズは、きわめて特殊な街を舞台にしたミステリー小説です。
人工子宮による出産が一般化した未来において、あえて「古風な」妊娠や出産を選んだ女性たちは、妊婦のために整備された東京都第7特別区バルーン・タウンで穏やかに暮らしています。その平和な街で殺人事件が発生。女性刑事の江田茉莉奈は潜入捜査を命じられ、バルーン・タウンの住人である大学時代の先輩、暮林美央に相談をもちかけるのですが……。
- 著者
- 松尾 由美
- 出版日
コンテスト入選作でもあるシリーズ第1話『バルーン・タウンの殺人』はこんな物語です。
このシリーズは『バルーン・タウンの殺人』をはじめとして『バルーン・タウンの手品師』『バルーン・タウンの手鞠唄』の3冊が刊行されています。
SF的な異世界設定の中、ジェンダー問題などもほのかなユーモアに包んで折り込まれている上に、妊婦探偵である暮林美央の名推理がたっぷりと楽しめるシリーズです。
小学5年生の及川衛は、誕生日プレゼントであるゲームソフトを買いに行く途中、骨董屋で見かけた安楽椅子に魅かれ、全財産で購入することにします。それは世界にたったひとつの「ものを言う椅子」でした。
衛と友達になった「椅子」は、学校で起きたある事件をきっかけに、衛たちの持ち寄る謎を次々に解明していくことになります。
- 著者
- 松尾 由美
- 出版日
安楽椅子が「安楽椅子探偵」を務める異色作である『安楽椅子探偵アーチ―』は、設定こそ奇抜ですが、謎解きはオーソドックス。少々児童文学の要素もあるかもしれません。
このシリーズでは『安楽椅子探偵アーチー』『オランダ水牛の謎』の2冊が刊行されています。
アーチ―の「人間の感情は複雑すぎて想像できない」という言葉が響く名作です。
フリーライターの寺坂真以は、仕事場がわりにしている東京郊外の寂れたファミリーレストランには名探偵がいます。それは、奥の隅の席が定位置である常連のハルおばあちゃん。彼女は、客たちが話す不思議なことや、真以から風変わりな事件について耳にすると、瞬く間に謎を解いてしまうのです。
可愛くて心優しいハルおばあちゃんの活躍にほんわかしてしまう連作ミステリーですが、このおばあちゃんにはある秘密があって……。
- 著者
- 松尾 由美
- 出版日
- 2008-07-10
読んだ後に優しくて幸せな気持ちになれるシリーズで、真以の恋の進行にもとてもきゅんとします。
このシリーズでは、『ハートブレイク・レストラン』『ハートブレイク・レストランふたたび』『さよならハートブレイク・レストラン』の3冊が刊行されています。
彼女――小田切千波は、マンションの居間で「わたしは幽霊です。そういうことになるんだと思います」と、語りはじめます。そして、自殺したことにされているけれど、ほんとうは何者かに殺されたのだと。
千波の代わりに事件の真相を探る「ぼく」によって次々と驚きの事実が判明していきます。その過程で、「ぼく」は雨の日にしか現れない千波を愛しはじめていました……。
- 著者
- 松尾 由美
- 出版日
- 2007-08-28
「あの松尾由美がこんなまっすぐな切ない恋愛を書くなんて」と、『文学賞メッタ斬り』でおなじみの文芸評論家・大森望が言ったほどのラブ・ストーリーです。彼女自身が「なんだかすごく恋愛を書きたくて」書いたというこの作品は、惹かれ合いつつも結ばれることのない二人の切なさが雨のように胸に沁み込む感動作です。
趣味の一眼レフカメラの現像をするために、匂いに苦情の出ない新しい住居を探していた北村詩織は、ちょっと変わった物件に出会います。くまのぬいぐるみ相手に独り言を呟いていた詩織は、部屋の壁の穴から「一年後の今日」を生きているという平野の声を聞きます。平野は同じマンションに住む、一度だけすれ違っただけの男性でした。
翌日の新聞の見出しを言い当てる平野に、詩織はひとつのお願いをされるのですが……。
- 著者
- 松尾 由美
- 出版日
- 2016-02-10
半信半疑ながら、平野に言われた通りに詩織は行動します。「未来の」平野にはある目的があって、それが物語の肝となっています。
「書店員が選んだもう一度読みたい恋愛文庫第一位」に輝いている時空を越える奇跡のラブ・ストーリーです。
兼業漫画家・立石晴奈のなじみのバーはビルの地下にある小さな店。自称早期退職者の炭津は、晴奈の話に的確で親身なアドバイスをしてくれる紳士でした。バーテンダー・柳井によれば、「名探偵」でもあるようです。
しかし、この炭津が幽霊なのは柳井だけが知っている秘密なのです……。
- 著者
- 松尾 由美
- 出版日
- 2014-04-10
物語は、晴奈は幼かった頃の事件を炭津に話すことにすることではじまります。実家が放火で全焼し、家の中から誰も知らない女性の写真が出て来て、立石家の謎となっていました。この謎を、炭津はどう解くのでしょうか。
自称早期退職者の紳士・炭津は14年前に死んでいる幽霊という設定の妙が生きています。
バーの雰囲気が素敵で、炭津の優しさと謎解きの巧みさ、読後に切なくも温かく響く秀作ミステリーです。
私――桜井智花が働く花屋にはときどき不思議な客がやって来ます。渋い色合いの花束にそぐわない派手なリボンを選ぶ男性やアマリリスの歌詞をたずねにきた男の子、などなど。彼らの小さな謎を一緒に暮らす小説家の三山嘉信に話すと、意外な推理を語りはじめるのですが、それがどれもうなずけない内容ばかりで……。
- 著者
- 松尾 由美
- 出版日
- 2012-02-14
ラブ・ストーリーでありミステリーが共存している作品ですが、物語としては男性が不安定な自由業、女性が安定収入のある勤め人という経済的な背景や、食事を作るとか片付けるとか、相手を想うがための嫉妬といった30代の男女が同居する上での事情や機微が繊細に描かれています。身につまされる、なんて方もいるかもしれません。
そして、同時に、嘉信の推理は「えっ? そういく?」と思わせるものばかりなのですが、最後にはとてもしっくりと落ち着いて温かい気持ちになる心地よい作品です。
ファンタジックでありつつも、心に沁みる物語を紡ぐ松尾由美。紹介した作品はどれも短編連作ですので、通勤通学の電車の中や休憩時間、ちょっとした休息の際に1編ずつ、じっくりと読んで、この世界観にひたってみていただきたいです。