子供の頃から、読書に親しんできた。実家が教師の家で、沢山の本に囲まれて育ったということもあるだろう。父親は中学の国語の先生であった。休みの日など、よく父は寝そべって──それほど教養ある本ではなかったろうが──文庫本を読んでいたものだ。
五つ年上の姉がいたことも大きい。姉のために揃えてあった児童文学全集を読み、長ずるにおよんで姉自身が求めた本を、勝手に本棚から引っぱり出してきては、こっそりと読んだ。姉の読書傾向は非常にオーソドックスで健全なもので、子供心に青春小説ってつまらないなあなどと思った記憶がある。
小学校の図書館では、江戸川乱歩やコナン・ドイルの探偵小説に夢中になった。中でもポーには、このような理知的で陰気なものがあっていいのかと、おおいに感心させられた。今に至る自分の猟奇を好む傾向、凡庸さを嫌う性質は、すでにこの頃の読書で醸成されたものだろう。
やがて学校の図書館では物足りなくなり、ハヤカワ文庫でフレドリック・ブラウンやらブラッドベリやらの海外SFを読み出したから、ませている子供だったのには違いない。そのすぐ後だったか、ラディゲの『肉体の悪魔』に挑戦してみたものの、さっぱり意味が分からないということもあったが。
しかし僕は、猛烈な読書家というのでもない。なぜなら、世の中には本が好きで好きで仕方がないという人が大勢いるから。中学では図書委員になったのだが、まず先輩に本の虫がいた。とにかく休み時間も昼休みも放課後も、常に本を読んでいる。時折うふふっと笑ったり独り言を呟いていたりして、ああこれが本の虫かと合点した。
高校で進学校に入ったら、まあ読書家ばかり。ドフトエフスキーを読破したと豪語する奴もいれば、太宰にべったりの奴もいる。負けじと僕も授業中は読書にいそしみ、古典的文芸作品はその頃一番多く読んだ。また人と同じではいけないと、どんどん自身のアングラ化が進み、ガロを定期購読したり小遣いをはたいて三一書房の夢野久作全集を揃えたりもした。
大学時代。時まさにバブルではあったが、特殊な学部に進んだせいか、軽薄さとは縁遠い風変わりな者がちらほらいた。中でもヴィトゲンシュタインを難なく読みこなすF君には度肝を抜かれた。自身は時代の空気に馴染めないせいもあり、谷崎潤一郎や宇野浩二、葛西善蔵などの日本の古い文学を読み漁り、一人大正浪漫に浸っていた。
とにかく、活字離れといわれて久しいが、どっこい読む人は変わらず莫大な量を読んでいる。どうした弾みかインテリのご子息とたまに知友になる機会があり、お宅にお邪魔してみると、あるわあるわ専門書・稀覯本の山。いたって本人も読書するのは生活の一部といった観。
先日なども、行きつけの飲み屋でたまたま隣に座った男性と会話するうち、いつしか文学の話に。○○は面白いですよね、もう読みましたか、と聞くとすべて読んでいる。○○が書きたかったこととは何でしょうか、などと質問しようものなら、速やかに的確な答えが返ってくる。不思議に思い、お仕事は何ですかと尋ねると、国会図書館の職員の方であった。道理で。本のプロだもの。もう蔵書の数が半端ではなく、当人も読みきれないと語っていた。
かように僕は本の虫というほどでもない。ただし本の話となるとワクワクしてくるから、やはり好きではあるのだ。といって特定の嗜好があり、あまりベストセラー小説といった類いには興味がない。ジャンルを問わず、うっすら行間に著者の苦悩が垣間見えるもの、に心が震える。そうした意味では、生の人生を切り取った自伝、伝記などもよい。時として本文を読むより先に、解説の著者略歴に目を通してしまうほどだ。今回は伝記を少しく紹介してみたい。
子供時代の情熱を持ち続けたシュリーマン
子供の頃、僕のお気に入りの読書の場所は、自宅の屋根の上だった。晴れた日に本を抱えて屋根によじ登り、東北の柔らかい乾いた空の下、日が暮れるまで何時間でも本を読み耽った。あの青空の風景が、シュリーマンの伝記とともに蘇ってくる。子供時代の情熱を持ち続けたシュリーマンは、艱難辛苦にもめげずついにトロイアの遺跡を発掘する。
そうだ、屋根の上で、僕は基本的な人生について学んだのだ。情熱を持つことの素晴らしさ、人生の成功者となるためには幾度かの困難を乗り越えなくてはいけないこと。シュリーマンは最期はナポリの路上で耳から血を流して客死するが、人は死ぬ時は一人で孤独に消えていくのだということ──。
あの時読んだ児童書の出版社が思い出せないので、ここでは文庫の自伝を挙げておく。新潮は字も大きくて読みやすい。岩波文庫もあるが、そちらは格調高い文章。
- 著者
- シュリーマン
- 出版日
- 1977-09-01
人間の誠実さを教えてくれるベートーヴェン
伝記の決定版。これ以上に勇気づけられる伝記本を僕は知らない。
自分自身、おおいに苦悶した時期がある。孤独に耐え、貧乏に苦しみ、いったい人生とは何なのだと毎日煩悶していた。テレビ、映画、旅行、世間の人が難なくこなす娯楽の一切が耐え難く思え、初めて哲学書を紐解いてみたりもした。
そんな折、出会ったのがこの本。ここに描かれているのは不撓不屈の精神、自身への誠実さだ。人間の美しさへの献身だ。心がくじけそうになる度に、何度も読み返し、何度も号泣した。史実と合致しているかどうかなど最早問題ではなく、ロマン・ロランは確かにベートーヴェンに人間の誠実さと尊厳を見たのだ。
ベートーヴェンの言葉、「悩みをつき抜けて歓喜に到れ! Durch Leiden Freude.」は、大きく紙に書いて壁に貼り付け、今もことあるごとに眺めている。
- 著者
- ロマン・ロラン
- 出版日
- 1965-04-16