5分でわかるマグナ・カルタ!制定された経緯や意味などをわかりやすく解説!

更新:2021.11.15

人間は皆平等に最大限自由であるべきですが、ルールがなければ秩序をなくしてしまいます。特に権力者が暴走すると、その被害は甚大になるでしょう。この記事では、現代社会を支える立憲主議の礎となった「マグナ・カルタ」について、概要や制定された経緯、内容、そして当時イングランド国王を務めていたジョン王などをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。

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マグナ・カルタとは。概要を簡単に解説

 

人間社会が健全に成立するためのルールの制定は、簡単な話ではありません。自由や平等、安全や経済というバランスを踏まえながら、人々の暮らしが最大限豊かになるように作られるべきです。

このような点から、人間は長い歴史を経て法治国家というものを作り、律令主義や保守主義、そして自由主義などさまざまな国の在り方を模索してきました。まだまだ完璧ではありませんが、おかげで先進国などでは一定の平和が保証されています。

このような人類の法やルールの歴史をさかのぼった時、多くの主義の原型として行き着くのが「マグナ・カルタ」です。制定されたのは1215年6月15日、当時のイングランド国王だったジョン王が、封建貴族や庶民から強制されるかたちで制定しました。権力のトップであるはずの王が、地位が下の人間から強制されるというのはどういうことなのでしょうか。これが、マグナ・カルタのもっとも重要なところとなります。

実はマグナ・カルタは、世界初の「国王を法的に制限する」憲章だったのです。当時、神にも匹敵するような扱いだった国王に対し、法の下にあり法を守る義務があることを明記しました。またその他にも、交易や関税、庶民への保証事項なども記され、制定されたのです。

 

マグナ・カルタが制定された経緯と意味

 

マグナ・カルタが制定された経緯を追ってみましょう。1205年、当時カンタベリー大司教を務めていた者が亡くなると、ジョン王はその座を狙ってローマ教皇であるインノケンティウス3世に打診します。しかし彼の要望は認められず、立腹したジョン王はイングランド国内から教皇の決定を支持した者を追放。さらに数会の領地まで没収してしまいました。

この事実を知った教皇は、1207年、イングランドでの聖務停止を命じ、さらに1209年にジョン王を破門するのです。

ところがジョン王はこれに反発。軍備増強を図ります。この行為はローマ帝国への反逆とみなされ、1213年、帝国側はフランス王のフィリップ2世を中心にジョン王に不満を持つ諸侯を集め、イングランドへの侵攻計画を立てました。勝ち目がないことを悟ったジョン王はあっさり謝罪、教皇の封建臣下になることと引き換えに破門を解かれることとなるのです。

ところが彼は改心したわけではなく、今度は教皇の権力をかざして、領土を奪おうと戦争をくり返します。しかし1214年に起きた「プーヴィーヌの戦い」でフィリップ2世率いる軍勢に決定的な敗戦を喫し、全面撤退。その後イングランドに戻ると、貴族や庶民たちの不満が爆発し、内乱となりました。通常であれば処刑か追放かというところですが、ジョン王は彼らが提唱したマグナ・カルタを容認することで和解をすることとなったのです。

画期的な内容であるマグナ・カルタですが、制定された経緯はジョン王が自らの命を守るためにやむを得ないもので、庶民にとっては王を制限すると同時に王を助けたという皮肉な意味があります。

 

マグナ・カルタの内容は?原文はラテン語、全文は63ヶ条と超長文!

 

たとえ国王であっても法の下にある、という画期的なルールを定めたことで有名なマグナ・カルタですが、その他にもたくさんの条文が記されています。その構成は、前文と63ヶ条というかなりの長文。いかに当時の国民が不満をもち、理不尽な生活を強いられていたのかが想像できるでしょう。

まず第1条では、教会は国王から自由であることを明言しています。第12条では、封建的慣行に反する不当な上納金や、軍役代納金の徴収に対する反対が書かれました。たび重なる争いを課税などで補っていた王への不満が表れています。

第34条には、貴族らの封建的特権を尊重することとあり、第20条や第39条には不当な罰金や庶民に対する非合法的な逮捕の禁止も記されました。

その他、交易の自由や関税を自ら決められるよう定めたもの、公平かつ適正な裁判や行政の運営、商人の保護や都市特権についても要求する内容が定められています。

原文はすべてラテン語。ラテン語はローマ帝国の拡大にともなって広まった言語であり、ジョン王が反旗を翻して敗北した相手側の言葉でもあるのです。

 

マグナ・カルタの制定者ジョン王は、イングランド史上最悪の君主?

 

史上最悪の暴君という呼び声も高いジョン王。彼は初代イングランド国王ヘンリー2世の末子です。父はジョンのわがままな性格を早くから見限っていたのか、幼年の彼に領地を分け与えようとしませんでした。この事実からジョンには「欠地王」というあだ名がついています。

父はジョンの兄たち2人を優遇します。しかし広大な土地を治める王でありながら内外に敵も多く、家族関係も複雑でギクシャクしていました。やがて兄のリチャード1世が父に敵意を持ち、それを見ていたジョンも兄と一緒になって父に反抗するようになりました。

ところが、兄のリチャード1世が王となり外征に出かけるようになると、こっそり王位の座を奪おうとするなど不穏な動きをみせるようになるのです。

1199年、リチャード1世がフランスとの戦いで戦死すると、諸侯や母の支持を取り付けてジョン王がイングランド王となります。その際、すでに婚約者のいたイザベラ・アングレームという女性を略奪して強引に結婚。その婚約者がフランス王のフィリップ2世に訴えたことで、イングランド侵攻の計画が立てられることになりました。

どのエピソードを切り取ってみても、最悪の君主であることがわかるでしょう。

 

イギリスの歴史がよくわかる入門書

著者
出版日
2012-04-17

 

マグナ・カルタについて学ぶと、当時のイギリスの人々がいかに過酷な状況に身を置いていたのかがよくわかります。ただ一方で、ジョン王のようなろくでもない人間がいるからこそ、民衆は奮起し、本当に優秀な人間の存在も際立ってくるのでしょう。さまざまな文化やルールを築き上げ、立憲主義の礎となりました。

本書はそんなイギリスの歴史を、簡潔に解説してくれている作品です。出来事の背景もわかりやすくなっているのが特徴。また「2時間でわかる」というのも伊達ではなく、キャッチーな文体でぐいぐい読ませてくれるので、歴史に詳しくない人でも概要を理解することができます。

歴史の教科書よりは詳しい内容を、専門書よりも簡単に書いているので、入門書としておすすめです。

 

マグナ・カルタから始まった立憲主義を理解する

著者
水島 朝穂
出版日
2013-10-17

 

マグナ・カルタのエピソードを、遠い異国の地で起きた歴史の一部として処理することはできません。現代に生きる日本人にも深く関わっています。

憲法を「国民が守るべきルール」とし、さらに国家権力の暴走を止めるという重要な役割を担わせているからです。本書はそんな立憲主義の基本と本質を解き明かしてくれる作品になっています。

憲法学者である筆者の「講義」という形で文章が進んでいきます。語り口調なので熱意が伝わってくるでしょう。

ジョン王のような君主はいなかったとしても、日本も先の大戦で誤った舵取りをしたといわれています。権力の暴走は、国をも滅ぼしかねません。憲法はなんのためのルールで、なぜあるのか、その意味や歴史を理解すれば、一国民として生きるうえで身勝手な行動を慎むことができるようになるのではないでしょうか。

 

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