「非情の書」と呼ばれることもある『韓非子』。聞いたことのない人も多いかもしれませんが、現代の日本において故事成語にもなっている有名なエピソードが多数掲載されています。この記事ではそんな本書の概要や思想、「楽羊」「守株」などの有名なエピソードなどをわかりやすく解説していきます。あわせて、もっと理解を深められるおすすめの関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。
中国の春秋・戦国時代に活躍した思想家、韓非によって書かれた著書です。全20巻55篇で構成されていて、厳格な法治主義を唱え、信賞必罰の徹底を主張し、君主権の確立や法による富国強兵などが記されています。
春秋・戦国時代を代表する思想のひとつとなり、後に法家と呼ばれる一派を形成し、現代にいたるまで国家統治の要として大きな影響を与えています。
韓非が生まれた時代は、戦国時代の末期でした。当時の中国では「戦国七雄」という7つの大国が争っていて、そのなかでも「秦」が他の6国を圧倒している状態です。中国の統一が目前に迫っていました。
そんな時代背景のもと、韓非は「秦」の隣国で、「戦国七雄」のなかでも最弱といわれていた「韓」の公子として生まれます。司馬遷の『史記』によると、後に「秦」の宰相となる李斯とともに荀子のもとで学んだそうです。
その後は何とか母国である「韓」を守ろうとさまざまな策を国王に提案しますがどれも採用されず、鬱々とした日々を過ごしていました。そんななか己の思想を後世に残そうとまとめたのが『韓非子』だといわれています。
そして、これを読んで感銘を受けたのが、「秦」の国王、後の始皇帝です。「韓」が「秦」に併合されかけた際に、韓非が弁明のための使者として「秦」を訪れると、始皇帝は彼を登用しようとしたそう。
さらにこれを妬んだのが、「秦」の宰相となっていた李斯です。李斯は韓非の才能を知っていたため、もし彼が登用されると自身の地位が脅かされると考え、ある事件の濡れ衣を韓非に着せました。その結果、韓非は投獄されることとなり、自ら命を絶ったのです。
司馬遷は『史記』の「韓非子伝」で、「君主に説くのがいかに難しいかを言いながら、自分自身は秦王に説きに行って、その難しさから脱却できなかったことを悲しむ」と記述しています。
『韓非子』のなかの有名な言葉に「人を信ずればすなわち人に制せらる」というものがあります。この言葉に代表されるように、本書は徹底した「人間不信」で成り立っており、「非情の書」とも呼ばれているのです。そのうえで理想的な法律や統治の方法について記しています。
作者の韓非が生きていたのは、国と国が生き残りをかけて争う戦国の世であり、諸子百家といわれる多くの思想家たちが活躍した時代でした。
当時は孔子や孟子を代表とする儒家思想が全盛を極め、国家の運営にも多く取り入れられています。儒家思想は「仁・義・礼・智・信」を重んじる理想主義的な思想で、孟子の唱える「性善説」が代表的でしょう。
しかし、親子や血縁を重んじる儒家思想はやがて縁故主義に繋がり、汚職の蔓延を引き起こすなど、徐々に現実との間に溝が生まれていきました。
そのような状況で、孟子の「性善説」を批判し、「性悪説」を唱えたのが韓非の師である荀子でした。彼は、人間の本性が悪だからこそ君主が政治を執りおこない、教育や法律、刑罰などを用いて秩序を守る必要があると説いたのです。
この考えを受け継いだ韓非は、「人間とは損得によってのみ動く利己的で打算的な生き物だ」と断言。人を治めるには「他人に期待しないこと」「頼れるのは自分だけだということ」「法律で厳しく取り締まること」「一般人への見せしめとするため、刑罰は重ければ重いほどよいこと」を説いたのです。
この考えに感銘を受けた始皇帝は、厳しい法律によって国家を運営し、中国を統一するという偉業を成し遂げました。また『三国志』で有名な「蜀」の諸葛亮孔明は、『韓非子』を劉備の子である劉禅に教材として献上したといわれています。
では本書に記されている有名な話をひとつご紹介します。「説林篇(ぜいりんへん)」に描かれているもので、2つのエピソードから成り立っています。
まずひとつ目が、楽羊(がくよう)という「魏」の将軍のエピソードです。彼は君主であるに文候に命令され、敵対していた「中山国」を攻撃することになりました。しかしこの時、楽羊の子どもは人質として「中山国」に捕らわれていたのです。
攻撃を受けた「中山国」の王は、楽羊の子どもを煮てスープにし、彼に届けます。すると楽羊は動じることなくこのスープを飲み干し、「中山国」を攻め落としたそうです。
この話を聞いた「魏」の文候は喜び、家臣に向かって「楽羊は私のために自分の息子の肉までも食べた」と語りました。すると家臣は、「自分の子でさえ食べるなら誰の肉でも食べるでしょう」と答えます。
楽羊が「中山国」から帰還すると、文候はその功績に賞与は与えたものの、彼の忠誠心には疑問を抱いたそうです。
そしてもうひとつが、孟孫と秦西巴のエピソードです。狩りに出かけた際、孟孫は子鹿を捕まえ、秦西巴に持ち帰るよう命じました。秦西巴は言われたとおりに、車に小鹿を乗せて帰ろうとしましたが、後ろから母鹿がついてきて悲しげに鳴いています。
秦西巴はこれを憐れに想い、子鹿を返してやってしまいました。
この事実を知った孟孫は激怒し、秦西巴を追放します。しかし3ヶ月後、再び彼を呼び戻し、自分の子どもの子守役を命じたのです。
従者が「先日は罰したのになぜ呼び戻して子守役にしたのか」と問うと、孟孫は「子鹿でさえ憐れみいたわったのだから、私の子を可愛がらないはずがない」と答えました。
この2つのエピソードから韓非は、功績を挙げたのに信用されなくなってしまった楽羊と、罪を犯したにもかかわらず信用されるようになった秦西巴を対比し、「巧みに偽るよりは拙くとも誠実なものがよい」と説きました。
ではもうひとつ、国語の教科書にもよく掲載される有名なエピソード「守株」について、原文、書き下し文、現代語訳でご紹介します。
宋人有耕田者。田中有株。兎走触株、折頸而死。因釈其耒而守株、冀複得兎。兎不可復得、而身為宋国笑。
宋人に田を耕す者有り。田中に株有り。兎走りて株に触れ、頸を折りて死す。因りて其の耒を釈てて株を守り、復た兎を得んことを冀う。兎復た得べからずして、身は宋国の笑いと為る。
宋の国に畑を耕している人がいた。畑の中に切り株があった。兎が走ってきて切り株にぶつかり、頸を折って死んでしまった。そこでその人は鋤を放り出して、切り株を見守り、再び兎を手に入れることを願った。再び兎を手に入れることはできずに、自分自身は国中の笑いものとなってしまった。
韓非はこの説話を通じて、過去の成功体験にしがみつき、同じ方法を頑なに守って進歩しないことの愚かさを説いています。現代のビジネスシーンにおいても参考になるエピソードではないでしょうか。
- 著者
- 西川 靖二
- 出版日
- 2005-03-01
人の本性は悪だ、信じるな、という教えはあまりにも極端すぎると思う人もいるかもしれませんが、その一方で実際に人を使う立場になると、韓非の言葉が胸に沁みている人も多いのではないでしょうか。
本書は『韓非子』のなかでも重要なエッセンスとなる部分を抜粋して現代語訳し、わかりやすく要点を知ることができる一冊です。時代背景も理解しやすく、入門書として最適でしょう。
人の上に立つ者は孤独かもしれませんが、そんな方にこそ人間を信頼していない韓非が寄り添ってくれるはず。学校の勉強のためだけでなく、社会で働く大人におすすめの一冊です。
- 著者
- 蔡 志忠
- 出版日
- 1995-06-15
「彼を知り、己を知れば百戦殆うからず」とは『孫子』に記されている言葉。人間の本質を見抜き、法と信賞必罰で厳格に統治することを説いた『韓非子』の思想との共通点は、「人をよく知ること」の大切さでしょう。
本書は、中国の二大思想ともいえる両者の教えを漫画にした作品です。
政治、経済、経営……何をするにしてもその先にいるのが人間である以上、相手のことをよく知らなければなりません。乱世の時代に描かれた『孫子』と『韓非子』には、古代中国の厳しい状況下で真理にたどりついた思想が詰まっているのです。それは現代に生きる読者にとっても多くの示唆を与えてくれるでしょう。
漫画になっているので視覚から内容を理解しやすく、簡単に内容を把握できます。特に『韓非子』についてはすべて読もうとすると膨大な量になるので、漫画でざっと理解できるのは嬉しいところ。活字を読むのが苦手な方にもおすすめの一冊です。
- 著者
- ["竹内 良雄", "川〓 享"]
- 出版日
- 2017-04-28
作者は、日本の製造業のなかから一業種一社で構成される「NPS研究会」を運営している人物。リーダーに必要な哲学がまとめられています。
「人を読む」「仕事力」「リーダー」「人間力」「危機管理」の5つのテーマに分かれていて、それそれでリーダーに必要な言葉を選び、紹介しています。全体をとおして読めば『韓非子』の思想を理解することができ、各項目を細かく読み込むと具体的な信賞必罰の人材活用法がわかるような仕組みです。
本書を読むと、『韓非子』には実に豊富に名言が収められていることかわかるでしょう。