また次の夏休みに同じあやまちを繰り返して。【小塚舞子】

また次の夏休みに同じあやまちを繰り返して。【小塚舞子】

更新:2021.11.29

物忘れがひどい。何度も顔を合わせたことある人なのに「はて?この人だれだったっけな?」は日常茶飯事。仕事に必要なUSBを忘れるまいと、いつも持ち歩いている化粧ポーチに入れてみたところ、そこに仕舞ったことを忘れて出かけるまえに探し回ったり、牛肉買いにスーパー行ったのに、ウキウキと特売の野菜だけ買って帰ってきたり。

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解決じゃなくて妥協か、諦めか。

自転車に乗ってコンビニに行って、帰りは徒歩で帰ってきてしまうこともある。そのうち、仕事まるごとすっぽかすんじゃないかと怯えているが、マネージャーが前日に確認してくれるので、何とか穴を開けずに耐えている。

そんな私だが、子どもの頃から自分はしっかり者だと思っている傾向にある。それが盛大な勘違いであることに、薄々気づいてはいるが、この「薄々」に至るまで随分長く時間がかかった。

楽しい夏休み。その楽しさを半減させるのが宿題だ。私は宿題を、夏休みがはじまったらすぐに取りかかって、できるだけ7月中に終わらせてしまい、8月はまるまる一か月遊んでやろうと計画する子どもだった。そして実際に、ほぼ毎年そうしていたように思う。

しかし、いつも何か一つコロッと忘れていて、8月終わりの最も憂鬱な日か、始業式の日になって慌てふためく。それが漢字や計算のドリルなら、頑張ればなんとか終わらせられそうなものだが、日記の類だとツライ。いつ何をしたかなんて、まるで覚えていない。してもいないことを、したように書く文才も勇気もない。そうなると、犬の散歩とか花の水やりとか、まぁその日にしたかどうかは置いといて、ギリギリ嘘ではなさそうな薄い内容を書くしかない。母が丁寧に保管してくれている、20年以上前の絵日記のやっつけ感は凄まじかった。

そして、夏休みの宿題史上、最も慌てたのが、「月の満ち欠け」だ。夏休みの間、新聞に載っている「月の満ち欠け」の欄を切り取って、ノートに貼りましょうというものだった。毎日だったと思う。拷問級である。8月まるごと遊んでやろう作戦を立てている子どもの気持ちなんて、先生にはお見通しだったのだろう。いくら「宿題は毎日コツコツやりましょうね」と言ったところで、いざ夏休みに入ってしまえば、子どもにとってはこっちのものだ。ハメを外して遊びほうける子を戒めるために出されたような宿題に、私はまんまと引っかかったのだった。

8月もそろそろ終わりの頃。7月中にほとんどの宿題を終えて、8月をまるっと楽しんだ私は「月の満ち欠け」の宿題にほとんど手をつけていないことに気が付く。1か月まるっと楽しんでいるので、新聞の切り抜きもまるっとない。焦って母にこの1か月の新聞をすべて出してくれと頼みこむも、さすがに全部は残っておらず、とりあえず残っていた分の切り抜きをノートに貼ってみる。見事にスカスカ。

この隙間をどう埋めるのか。図書館に行って過去の新聞のコピーを取ろうか、近所の人や親戚に新聞を分けてもらおうかと、いくつか穴埋め案が出されたが、結局は母特有の大らかな解決策、「ないもんはないねんから、しゃーないやん。それくらい許してくれはるわ。」というところに落ち着いた。解決じゃなくて妥協か、諦めか。学校が始まって、満ちるも欠けるもスカスカのノートを持って行った。

先生に怒られたという記憶はない。少しくらい怒られたのかもしれないが、私以外にもスカスカ組が多数いて怒りが分散されたのか、思っていたほど怒られずに済んだのか。

新聞がないことに気が付いて青ざめた記憶が鮮明に残っているのに対して、そのオチの記憶が全くと言っていいほどない。幼い頃の記憶なんて、ショッキングなこと順に覚えているものなのだろう。その理論でいくと、こういう場合先生にはカンッカンに叱って頂いたほうが将来の役に立ちそうだ。

それでようやく、気付き始めた。

夏休み宿題忘れ事件で、もうひとつ。自由に絵を描きましょうの宿題をすっかり忘れたまま提出の日を迎えてしまった。これはもう「今日は忘れました」の作戦でいくしかないなと、皆が描いてきた絵を何となく眺めていると、クラスの女子が描いたフルーツバスケットの絵があまりにも見事で感動した。

家に帰り、早速忘れていた宿題に取り掛かろうとする。テーマは「自由」。大人になってからもひしひしと感じるが、自由ほど難しいものはない。私はクラスメイトが描いたフルーツバスケットが羨ましくて、あろうことかそれを真似た。

とは言っても籠に盛られた果物など実際には見たことがないので、スイカやらバナナやら思いつく限りの果物を画用紙にちまちまと鉛筆で描き、色鉛筆で適当に色を塗り、背景は特に思いつかなかったので、べったりとピンクの絵の具を塗ったお粗末な作品である。色鉛筆と絵の具の使い分け方など、いかにも宿題忘れて慌てました臭プンプンだが、これがなぜか市のコンクールで入賞してしまった。なんちゃら会館で表彰までしてもらったが、子ども心に「あのフルーツバスケットの方が上手だったのになぜ・・・」という申し訳ない気持ちが芽生えた。似ても似つかない作品だったとは言え、「パクリ」だったのだ。

私はこうして宿題を忘れても怒られずに済んだり、窮地に陥ってもなんとかなってしまった経験の方が多い。なんとかなってしまった上におまけまでついてきたりする。その度に「なんとかなるやーん!」と調子に乗り、また次の夏休みや冬休みに同じあやまちを繰り返してまた、なんとかなる。

しかしここ何年かで「宿題先やる派」だったのが、「ギリギリになって追い込む派」に変わってしまい、いよいよマズイと感じている。なんとかならないこともでてきそうだ。いや、締切とか守れてないから、なんともなっていない。それでようやく、自分がしっかり者ではないことに「薄々」気付き始めたのだ。

ただ、私は「しっかり者」でこそないが、「ちゃっかり者」ではあると思う。こんな風に生きてきたのに、何とか仕事を続けられている。

あと、例のあの絵。パクリ果物の絵がなぜ入賞したのかずっと謎だったのだが、やっつけ絵日記と供に久しぶりに押入れから出てきたのを見てみると、鉛筆と色鉛筆で描かれた果物の片隅に、同じタッチのスズメが二羽描かれていた。自分の性格と、描かれている位置からして、果物のレパートリーがなくなったので、スズメを描いてごまかしたことは明らかだ。果物の下手くそさに対して、わりとリアルに描けていたのは恐らく絵本か何かを参考にしたのだろう。

パクリ×パクリで入賞。文字で見ると極悪だが、実際の絵を見てみると無邪気に下手くそなので、きっと許してもらえる。

こんな風に考えてしまうから、ちゃっかり者なのだ。でもうっかり者の自覚も出てきたから気を付けようっと。

夏の間に読みたい2冊

著者
西 加奈子
出版日
2013-10-10

主人公はこっこと呼ばれる小学三年生の女の子。しっかり者でちゃっかり者で、とんでもなく口が悪いのに、たまらなく可愛くて愛おしいのです。私は口悪くなかったはずなのに、こっこの方が可愛く感じるのが羨ましいです。西さんはまっすぐにひねくれてる人を描く天才です。

著者
絲山秋子
出版日
2005-02-25

子供の頃の夏休みも、大人にとっての夏もなんと儚い時間なんでしょう。それを教えてくれたこちらの作品。自殺未遂をして精神病院に入院させられてしまった花ちゃんは『夏が終わってしまう』と焦って、病院から脱走します。入院患者のなごやんと一緒に九州を逃げる物語です。

自らを追いつめているような主人公たちを、さらに急き立てるのは、散々私たちを盛り上げておいたくせに、さよならも言わず去っていく『夏』という季節なのかもしれません。

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