夏目漱石が書いた本作は、彼の初期の代表作品とされている小説です。一週間という短い時間で書き上げられました。ただの小説ではなく、主人公である画家の思慮と行動を通じて、作者の美意識や詩観を説明した作品と考えられているため、彼の美学観が色濃く反映された作品といわれています。 この記事では、本作を読むうえでのポイントを押さえて、あらすじを説明していきます。
夏目漱石が、1906年に「新小説」に発表した本作。1907年には「鶉籠(うずらかご)」にも収録されました。現在ではさまざまな出版社から販売されており、岩波書店が発行する岩波文庫版のものや、角川文庫が発行したものなどがあります。
漱石が書いた文体は少し古く読みにくいと思われていますが、最近では、現代語訳も出ているので誰でも手に取りやすくなりました。
本作の執筆当時、漱石は熊本で英語教師をしていました。1897年に、友人であった山川信次郎とともに小天温泉という温泉行った際の体験をもとにして書かれた小説が本作です。
- 著者
- 夏目 漱石
- 出版日
本作といえば、この書き出しが有名です。
「山路を登りながら、こう考えた。智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
(『草枕』より引用)
一生懸命働けば角が立つし、情にも流される。そして、意地を通せば窮屈になる。とにかく、この世は生きにくいというのです。
その後、この文章は次のように続きます。
住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
(『草枕』より引用)
人の世界というのは生きにくいが、芸術の世界は心を豊かにすることができる。だからこそ尊いといっています。このように、本作のなかで、主人公が芸術に心酔している様子を伺い知ることができます。漱石が書いたさまざまな小説のなかでも、彼の道徳観を知ることができる作品となっているのです。
彼は大学時代に正岡子規と出会い、多くの俳句を学びました。帝国大学(現在の東京大学)の英文科を卒業。その後は松山で中学校の教師を務め、熊本では高等学校の教師を務めます。そして、イギリスへと留学しました。
イギリスから帰国した後は、大学の講師として英文学を講じながら『吾輩は猫である』を発表し、それが大変な評判となります。続いて発表した『ぼっちゃん』や『倫敦塔』などの作品で、人気作家の仲間入りを果たすことになるのです。
彼の作品は、人生をゆったりと眺めようとする傾向が色濃く反映されていたことから、余裕派と呼ばれるようになりました。
- 著者
- 夏目 漱石
- 出版日
しかし1910年、『三四郎』『それから』に続く『門』を執筆している最中、彼は胃潰瘍で倒れて入院します。退院後、修善寺の菊屋旅館で療養しますがそこで胃疾になってしまい、800gにもおよぶ大吐血を起こし、生死の境を彷徨う危篤状態に陥ってしまうのです。
病気に悩まされながら、その後も『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』といった作品を次々に発表しましたが、1916年、自室で『明暗』を執筆している最中に倒れ、自宅で死去しました。
本作では、主人公の名前は最後まで登場しません。作中では、主人公は自分のことを「余」と呼んでいます。日露戦争の頃に洋画家をしていた30歳の主人公が、とある温泉宿に宿泊した際、その旅館の若い女将であった「那美」と出会います。この2人が、本作の主な登場人物です。
登場人物ではありませんが、有名な絵も登場します。それがミレーが描いた『オフィーリア』です。主人公にとってこの作品は、「あのような絵を自分の持ち味で描いてみたい」と思い浮かべる存在となっていて、作品の重要な役割を果たしています。
『オフィーリア』は、シェイクスピアの『ハムレット』に登場するヒロインとして、世界的に有名な作品です。彼女は『シェイクスピア』の主人公であるハムレットの恋人です。復讐に身を焼かれたハムレットに無下に扱われたあげく、父も殺されてしまい、錯乱して川に落ち、溺死して最後を遂げます。
ミレーが描いたこの画は、川に落ちて溺死していく彼女の姿を描いたものなのです。
その他の登場人物として、作品の中で重要な役割を担っているのは、野武士のような男です。この男と那美が会っている場面を、主人公は目撃してしまいます。
本作は漱石の芸術観が、主人公の長い独白として織り交ぜられた作品です。漱石は本作の登場人物を描写することをとおして、戦争で増えていく戦死者や、その戦争によって発生するメリット、さらにそのような戦争を生み出す西欧文化を明確に描き出しました。
それと対比するように、夏にまで鳴く山村のうぐいす、田舎の人々との日常的な会話などを通じ、東洋の芸術や文学について論じています。このことによって、彼が感じていた日本の西欧化の波間のなかで生きる日本人を描き出したことが、文学作品として高く評価されています。
彼は数々の作品を発表していますが、本作が発表された明治39年は、彼が40歳の頃。『猫』『坊ちゃん』を発表して文壇に認められ、朝日新聞のお抱え作家として出発する直前の作品として位置づけられています。
そんな頃に書かれた本作について、彼自身は次のように語っています。
私の『草枕』は、この世間普通にいふ小説とはまったく反対の意味で書いたのである。
唯一種の感じ――美しい感じが読者の頭に残りさへすればよい。
それ以外に何も特別な目的があるのではない。
さればこそ、プロツトも無ければ、事件の発展もない。
つまり小説として重要なプロットもなければ、事件の展開もほとんど無いのです。では読者にとって、本作にはどんな魅力があるのでしょうか?
本作は、ある画家が俗世間に嫌気がさして、九州の山奥の温泉場にやってくるところから始まります。彼は対象にとらわれない非人情の目で世の中を見ようと心がけながら、宿泊先である温泉場の一軒宿の出戻り娘・那美に興味を持つのです。
ここで主人公は、彼女に絵を書いてほしいと頼まれますが、「何かがかけている」と感じられたことから、絵を描くことを断ります。主人公には、このとき、彼女に何が欠けているのかはわかりませんでした。
しかし物語の最後で、彼は女の表情に「憐れ」を感じられなかったから、彼女を絵にできなかったことに気づきます。つまり、漱石は憐れを描くことこそが、究極の芸術(小説)であると考えていたのです。
そして物語の途中、次のような一節が出てきます。ここは、主人公が那美と話をしている場面です。
「全くです。画工だから、小説なんか初から仕舞迄読む必要はないんです。
けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。
ここへ逗留して居るうちは毎日話をしたい位です。
なんならあなたに惚れ込んでもいい。
そうなるとなお面白い。
然しいくらい惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。
惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初から仕舞迄読む必要があるんです」
「すると不人情な惚れ方をするのが画工なんですね」
「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。
小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいゝんです。
かうして、御籤(おみくじ)を引くように、
ぱつと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」
(『草枕』より引用)
このなかには芸術に対する姿勢のみならず、主人公の自然や物事に対する態度、つまりは、漱石自身の芸術に対する姿勢が示されています。
そのため本作を読者が楽しむための、最も重要なポイントは、彼の芸術観がどのようなものであるのかを考えながら読んでいくことになるのです。読者は、主人公が登場人物を通じて出会うことになる憐れについて、主人公がそれをどのように実践していくのかという点に興味を持ちながら本作を読み進めることが重要となるのではないでしょうか。
本作に登場する那美には、モデルがいました。
それが細川藩の槍指南(大名に使えて武芸を教える者)を勤めた武芸の達人・前田案山子(かがし)の次女である、前田 卓(まえだ つな)です。
『草枕』はもともと、前田家別邸を舞台として描かれた物語であることが分かっており、作品のなかで描かれている那美は、前田卓がモデルとなっています。
この地域には古くから温泉が湧き出しており、数軒の宿があって、前田家別邸もその1つでした。
本作が書かれた当時、高校の教員をしていた漱石は、2度も同僚と一緒にこの前田家別邸を訪れていることが歴史家によって明らかとされています。実際、離れに宿泊したこともよく知られています。
本作で前田家別邸は「那古井の宿」という名前で実際に登場しており、前田家は「志保田家」として描かれ、前田家の主人である案山子は「老隠居」、次女であるツナは、「那美」として描かれているのです。
本作は漱石の作品のなかでは読みにくい作品として広く知られている作品であるため、彼の作品を好きという方でも、読んだことがないという方もたくさんいます。そんな人には、ぜひ漫画で読んでみることがおすすめです。
漫画で読むことで、漱石が何を目的にこの作品を描いたのかが、絵という具体的なイメージをとおしてわかります。本作の理解を深めるためにも、よいでしょう。
- 著者
- ["夏目 漱石", "桐坂 真生"]
- 出版日
- 2010-10-08
漫画版なら、当時漱石が書いた文体とは異なり、現代語訳となっているので非常に読みやすいです。また、彼が描いた世界のイメージもつかみやすくなります。文語体の作品が苦手で、まだ本作を読んだことがない人にこそ、漫画はピッタリなのです。
漱石自身も言っているように、本作のは、小説の楽しみとなる「プロット(筋)」がありません。そのため、初めて読んだ読者は、この作品をどう読んだらよいかの戸惑ってしまいがち。
しかし、これ読めば、難解といわれている漱石の芸術観が描かれているような場面でも、実際に漱石(主人公)が考えていることのイメージをつかみながら読み進めていくことができます。
本作は、冒頭の次の言葉が、あまりにも有名です。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
(『草枕』より引用)
しかし、次のような言葉も書かれています。
嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。
(『草枕』より引用)
「嬉しい恋が積もるようになると、かえって恋をしなかった昔の方が恋しい」ということを表した言葉。実際に良い恋をすると、逆に恋をしていなかった頃の変化していない自分のことなどを思い出すこともありますよね。
その他にも漱石は、本作のなかで次のような言葉を残しています。
(雲雀(ひばり)は)のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、
又鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。
その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。
雲雀は屹度(きっと)雲の中で死ぬに相違ない。
登り詰めた揚句(あげく)は、流れて雲に入(い)って、
漂うているうちに形は消えてなくなって、
只(ただ)声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。
(『草枕』より引用)
彼はこの引用のように、感情を対象に移すことなく、物事の本質を捉えるために1人で春の山に入り、ひばりの鳴き声を耳にします。この一文を読んだだけで自然の美しい情景を目に浮かべることができるのは、ひとえに彼の卓越した描写力の賜物といえるでしょう。
- 著者
- 夏目 漱石
- 出版日
主人公と那美は、彼女の従兄弟を見送るために駅へ向かいますが、そこで野武士のような外見をした男と遭遇します。なんと彼は那美の元夫だったのです。彼は満州へ出稼ぎに行きたいが金がないので、彼女に金を渡すように言います。そして、彼女は財布を渡すのでした。
従兄弟と元夫を乗せた電車は走り出します。元夫の顔を窓越しに眺める那美を見て、主人公はあることを思い、彼女に声をかけたのでした。
彼が思ったこと、そして漱石が見つけた美とは一体何なのでしょうか。それを読者自身が発見することこそが、本作で最大の読みどころといえるかもしれません。
『草枕』は夏目漱石が初期に書いた名作として、よく知られる作品です。彼の作品のなかでは難しいといわれている作品ですが、彼の美意識を知ることができるものとして、時間をかけて読んでいただきたい一冊となっています。