時は14世紀前半のイタリア。世俗の権力を巡って、教皇と皇帝が対立していた時代。北イタリアの山中、外界から閉ざされたように建つ修道院で次々と起こる殺人事件を、1人の修道士が解決していく物語です。 形式はミステリーですが、歴史小説でもあり、キリスト教文学でもあり、言葉の問題を扱ったメタフィクションでもあります。詰め込み過ぎとも思える豊饒さが、読者を酔わせる作品です。
中世、北イタリアの山奥に、キリスト教世界最大の文書館を持つという壮大な修道院がありました。そこへ遍歴の修道士が、1人の弟子を連れてやって来ます。この物語の主人公、フランチェスコ会の修道士であるウィリアムと、語り手のアドソです。
ウィリアムは対立関係にある教皇派と皇帝派の関係改善のため、皇帝からの使命を帯びてやってきました。ところが彼は、修道院長からここで起こった怪死事件の解決を依頼されるのです。
修道院の人たちの非協力的な雰囲気もあって、なかなか捜査が進まないなか、第2第3の怪死事件が起こり、院内は騒然とします。事件の鍵を握る一冊の本の行方を追って、ウィリアムとアドソが大活躍するのです。
- 著者
- ウンベルト エーコ
- 出版日
『薔薇の名前』において、ウィリアムの名探偵ぶりはミステリー小説としての読みどころの1つです。しかし当時のキリスト教の分裂状況や、教皇と皇帝の対立など、歴史の動きやキリスト教に関する神学的議論も興味深く、物語は重層的に進みます。
本作は1980年に発表されるや否や、世界中で大変な評判となりました。1986年には映画化。フランス、イタリア、西ドイツ合作で、主役のウィリアムはショーン・コネリーが演じました。
ここでは登場人物たちを簡単に紹介します。
- 著者
- ウンベルト・エーコ
- 出版日
- 2018-01-19
1932年生まれ。イタリアの小説家、エッセイスト、文芸評論家、哲学者、記号学者です。最初に中世美術の研究者として有名になり、その後、文学理論、記号学へと進みました。
小説作品には第1作『薔薇の名前』の他に『フーコーの振り子』『前日島』『女王ロアーナ、神秘の炎』などがあり、いずれも世界各国語に翻訳されています。
最も影響をうけた現代作家は、ジェイムズ・ジョイスとホルヘ・ルイス・ボルヘス。
2016年2月19日、癌のために84歳で亡くなりました。
この作品では、盲目の老修道士ホルヘとウィリアムが、「笑い」を巡って激しい議論を戦わせます。ホルヘの主張は、笑いは愚かな軽蔑すべきものであり人間を堕落させる、ということ。
「笑いは愚かさの徴なのだ。
笑いながら、人は笑う対象を信じてもいなければ憎んでもいない。
つまり、悪を笑うのはそれと戦う意志がないからだ。
そして善を笑うのは善がみずからを広めようとする力を認めていないからだ」
(『薔薇の名前』より引用)
これに対して、ウィリアムは反発します。
「さて、もうおわかりであろうが、
理性に反した不合理な命題のもつ偽りの権威を突き崩すためには、
時に応じて笑いもまた正当な一つの手段たりうるのだ。
笑いには悪者を混乱させてその愚かさを白日のもとへ晒す働きがある」
(『薔薇の名前』より引用)
彼は他にも、笑いには緊張や苦悩で凝り固まった心を解きほぐし、癒す効果があると主張します。
両者の意見はどこまでも平行線を辿ります。ホルヘのように笑いを否定する意見のなかには、笑いには権威を失墜させる効果があることを見抜き、それを恐れる面もあるのでしょう。神の権威、教会の権威、そしてそれを背景にした、自分の権威の失墜への恐れです。
だから笑いを弾圧し、権威による恐怖で支配しようとしたのでしょう。
修道院内でおこなわれていた薬物研究が治療のためばかりでなく、ヒ素などの毒物、幻覚剤などに及んでいたことからも、そう推測されます。後半に出て来る、異端審問官による裁判などは拷問であり、恐怖による支配そのものです。
『薔薇の名前』というタイトルは謎めいています。一体何を表しているのでしょう。
主要な登場人物のなかで、ただ1人だけ名前が出て来ない人物がいます。アドソが生涯ただ1人恋した少女です。それゆえに、薔薇の名前とはその少女を表しているのだ、という解釈があります。
その一方で『薔薇の名前』とは、中世の普遍論争に関係するのだ、という解釈もあります。普遍論争とは、実在するものとは何かという哲学的な議論で、実念論と唯名論が対立していました。
実念論とはプラトンのイデア論に似た理論で、個々の薔薇ではない概念としての薔薇、つまり「薔薇」という言葉自体が示す観念が、実在するという立場です。
それに対して唯名論では、実在するのは1つ1つの物としての薔薇だけで、「薔薇」という概念は人間が頭の中でこしらえた物に過ぎない、という立場なのです。
作品のなかで主人公のウィリアムは、唯名論的な考えを持っています。しかし語り手のアドソは、晩年になって「薔薇は枯れるが名前は残る」というような、実念論的な考えになります。
これについて、作者は何も言っていないので、あくまで読者の考察ではありますが、より作品を楽しむ要素になっているのは間違いないでしょう。
本作が刊行されると、内容についてさまざまな議論・評論・感想などが出てきて、賛否両論が巻き起こりました。
「発表されてしまえば、作品は読者のもの」というのがエーコの基本的な立場でしたが、あまりの大騒ぎになったので、彼の方針から外れない程度に、作品について書かれたものがこの作品です。
- 著者
- ウンベルト・エコ
- 出版日
- 1994-01-25
「作者は解釈すべきではない。
だが、なぜ、かついかに書いたのかを物語るのはかまわない」
(『「バラの名前」覚書』より引用)
と、いうことです。作者の中世に対する興味や、文章の視点の置き方、舞台設定についてなど、面白い話題に満ちています。
特に興味深いのは、前衛芸術運動であるポストモダニズムの、イタリアでの変化がよくわかるところ。『薔薇の名前』発表当時は、過去の作品の否定や破壊から再解釈へ、娯楽と芸術の峻別から融合へという変化の時期だったようです。
- 著者
- ウンベルト エーコ
- 出版日
- 1990-02-25
ウィリアムとアドソが、修道院の危険な秘密にあまりにも近付いたため、修道院長は元々自分が依頼したにも関わらず、もう調査は続けなくてよい、明朝ここを出て行くようにと命じます。そのためウィリアムは何としても、その夜の内に問題の本が隠されている秘密の部屋へ入って、真相を付き止めようと焦りました。
そして遂に、暗号を解いて、閉ざされた部屋に入ることができたのです。そこで待っていたのは、盲目の老修道士であるホルヘ。隠された問題の本には、アリストテレースの失われた著書、笑いを肯定する理論が書かれていたのでした。
笑いを憎んでいたホルヘは、それが世に出るのを防ぐため、読んだ者を死に追いやる恐ろしい仕掛けを施していたのです。
遂に明かされるそのトリック、そしてその後に待っていたのは、壊滅的な悲劇でした。気になる方は、ぜひお手に取ってお確かめください。