『生きてるだけで、愛。』は、不器用な男女の恋模様を描いた小説。躁鬱病や過眠に悩まされる自称メンヘルの引きこもり、無関心男、元カノの3人を中心に、不器用にしか接することができない若者の、愛の形が描かれています。本作は芥川賞、さらには三島由紀夫賞にもノミネートされたことで注目を集めました。2018年11月には、映画化も決定しています。 この記事では、そんな本作について、あらすじや結末まで詳しく解説。ぜひ、最後までご覧ください。
躁鬱病になった寧子(やすこ)の、不器用すぎる恋愛模様を描いた物語。彼女は昔から変わったところがあり、学校がかったるいという理由で、身体中の毛を全て脱毛してしまうような自称・メンヘルな女の子でした。
そんな彼女が躁鬱病になったり、治ったり、そして、再びなったりとくり返しながら生活していたある日、津奈木(つなき)という男性と合コンで出会います。そして、そのままずるずると同棲生活を始めるのです。
しかし、寧子は基本的には躁鬱病の「鬱」の期間が長く、部屋でずっと寝ているだけの生活を送っていました。鬱病の多くは不眠だといわれていますが、彼女はその逆で、よく寝ます。過眠症と自分で命名し、いくら寝ても眠いといったような具合だったのです。
そんな彼女と一緒に住む津奈木は基本的には不干渉。彼女が情緒不安定でヒステリックを起こしても、何も動じずに対応します。
彼女は彼に対して感情をあらわにし、ストレート(読んでいて苦しくなるほど)にぶつけていましたが、津奈木にそのようなことはありません。それが彼の優しさなのか?と深読みしたくなりますが、表面的には無関心なようにしか見えないのでした。彼は寧子とぶつかることを避けていたのです。
そんな態度に、彼女の怒りはどんどん増していきます。もはやなんで同棲しているかもわからないくらい……。しかし彼女はずっとフリーター生活を続けていたため、お金がありません。なので家から出ていきたくても、出ていけないのでした。
そんななかで、彼女はぶつかりながら、そして、津奈木は彼女から逃げながら、なんとか2人の関係を保とうともがき苦しみます。彼女なりの懸命の努力を続けるなか、なんと目の前に出現したのは、津奈木の元カノ・安堂で……!?
不器用ながらも生きていく、そんな若者たちの姿が描かれている作品です。
- 著者
- 本谷 有希子
- 出版日
- 2009-03-02
本作は主演・趣里、共演に菅田将暉、仲里依紗と、豪華俳優陣が出演して2018年11月に映画化。この世界観が、映像でどう表現されるのでしょうか。
本谷有希子は、1979年7月14日生まれの石川県出身の劇作家、小説家。演出家や女優、声優などの仕事もしています。夫は森山直太朗の楽曲の作詞などで有名な、御徒町凧。
学生時代は、演劇部に所属。そんな彼女に台本の執筆を始めるきっかけを与えたのは、松尾スズキだったそう。役者よりも台本を書くのに向いているという彼のアドバイスから、執筆作業を始めることになりました。
2000年からは「劇団、本谷有希子」を創立します。ここで本格的に、劇作家、演出家としてのキャリアを開始するのです。
- 著者
- 本谷 有希子
- 出版日
- 2007-05-15
彼女の最初のデビューは、声優としてでした。さらに2002年には、『江利子と絶対』で小説家デビューを果たします。
代表作は、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『乱暴と待機』『グ、ア、ム』などです。
本谷有希子の著作についてもっと知りたい方は、こちらの記事がおすすめです。
芥川賞作家・本谷有希子のおすすめ小説ランキングベスト6!
芥川賞を受賞したことで話題を集める本谷有希子。彼女が描くのはどこか自意識過剰で癖のある、生々しい「女」の姿。イタい!それなのに、目を離すことができません。高い中毒性を持つ本谷有希子ワールドの魅力を堪能できる作品をご紹介します。
本作に登場する人物を、簡単にご紹介させていただきます。
津奈木は恋に淡白なものの、女にモテます。元カノである安堂も彼に好意を寄せており、寧子からも好かれているのもその証拠。なぜ彼は、こうもモテるのでしょうか。
彼女達の特徴は、両方とも彼のことを独占しようとしているところだと考察することができます。2人とも彼の気持ちは気にせずに、そのうえで彼のことを取り合っているのです。
そのようなことになってしまった理由。それは、普段の生活から彼の意志が少ないからではないでしょうか。そもそも彼と寧子が同棲を始めたきっかけも、彼女が強引に居座ったからです。
強引に居座られたとしても、そんな生活を受け入れられてしまう彼は、やはり自分の人生にどこか無関心であるように感じます。
そんな何でも受け入れられる彼に対して、心が弱い女性は、彼に心の拠り所を求めてしまったのではないでしょうか。
本作には、数多くの素敵なセリフが登場します。ここでは、その一部をご紹介させていただきます。
寧子、起きてる?
(『生きているだけで、愛。』より引用)
実は本作の主人公である寧子の名前は、最初と最後の津奈木が呼ぶ、たった2回しか出てきません。
この小説が、ずっと寧子による一人称で描かれているからというのも、そうなってしまった理由の1つでしょう。それにしても、これは少なすぎるのではないでしょうか。誰もなかなか、彼女のことを名前で呼んでくれないのです。
これは、彼女の自己肯定感を表しているのではないかと考察することができます。彼女が自分を認めていないことを、他人が「寧子」と呼ばないことで表しいたのかもしれません。
あんたが別れたかったら別れてもいいけど、
あたしはさ、あたしと別れられないんだよね一生。
(『生きているだけで、愛。』より引用)
寧子は鬱な自分、仕事が続けられない自分、津奈木に依存している自分のことが、本当に嫌になったのでしょう。
自分は自分を辞めることができません。辞めることができないからこそ、彼女は苦しんでいました。全てを受け入れて生きていくか、全てを諦めるか。
ですが、諦めることは、なかなか難しいもの。希望を失えば、たちまち人間は生きるのが難しくなります。だからこそ、彼女はずっと苦しんでいるのでしょう。
振り回すから。お願いだから楽しないでよ
(『生きているだけで、愛。』より引用)
寧子は津奈木に、ありのままの感情をぶつけていました。しかし、そんな彼女に対して、彼は特に何も言わずに逃げているだけだったのです。
相手に感情をぶつけることは、相手も傷つけると同時に、自分自身をも傷つけてしまいます。そうしたことを覚悟したうえでなければ、本当の心のコミュニケーションをとることができないのでしょう。寧子は、津奈木にもそういったことを覚悟してほしかったのではないでしょうか。
- 著者
- 本谷 有希子
- 出版日
- 2009-03-02
寧子は、トラットリア・ラティーナで働く決意をして、オーナーやスタッフに暖かく迎え入れられます。しかしある時に、ウォシュレットの恐ろしさを話したところ、誰にも肯定されず、それをきっかけに彼女は自分を見失ってしまい、挙げ句の果てに店から逃げ出してしまうのです。
せっかく受け入れられて、鬱病も治り、やっと堕落した生活から抜け出せると考えていた彼女にとっては、たった少しだけでも受け入れられなかったことが怖くてたまらなかったのでしょう。
逃げ出した彼女は、全裸になって津奈木を屋上で待っていました。そして彼に本音でぶつかって、ぶつかって、ぶつかっていきます。それを彼はどう捉えていくのでしょうか。
寧子と、そして彼女の恋はどのような展開を迎えるのでしょうか。ラストが気になる方は、ぜひ本編をご覧ください。不器用にしか接することのできない若者達から、きっと何か感じ取ることができるはずです。