小説『峠』司馬遼太郎の名作歴史小説の、あらすじなどを紹介!映画化決定!

更新:2021.11.15

本作は、戊辰戦争の時代を背景にした、越後長岡藩の武士である河井継之助の生きざまを描いた小説です。彼はとても優秀で、日本にとってなくてはならない人物であったと考えられています。 そんな彼はどんな男で、どのように生きたのでしょうか。この記事では、2020年に映画化が決定した本作のあらすじから結末まで、詳しく解説。ぜひ最後までご覧ください。

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司馬遼太郎の小説『峠』のあらすじ、時代背景を紹介!

 

本作は、越後長岡藩の武士である河井継之助を主人公とした物語です。彼は武士ではあったものの、決して身分が高かったというわけではありませんでした。

しかし、そんな彼には、類稀なる学がありました。陽明学に通じ、先見の目があったのです。彼は自分のことを、やがて家老になると言っていました。家老とは殿様の次に偉い役職です。会社という組織で考えた場合は、専務や常務などの役員ということになります。

当時の武家社会は、わずか120石ばかりの家の出身である彼のような武士が家老になるということは、前例がないことでした。それを実現させることは、奇跡ともいえるような不可能なことなのです。

しかし彼は、自分がどうしても家老をやりたいということではなく、やる宿命にあるとまで言っていたのでした。

 

著者
司馬 遼太郎
出版日

 

本作の時代背景は、明治維新前の徳川幕府倒幕の時代です。この時代は大政奉還がおこなわれ、幕府と朝廷ですさまじい内乱が起こっていました。
 

勝てば官軍、負ければ賊軍。こういった言葉があるように、両者の意見の折り合いはつかず、世間の意見は真っ二つに割れていました。結果は、みなさんがご存知のように、大久保利通や西郷隆盛が率いる官軍が勝利し、徳川幕府は滅びます。明治時代の幕開けです。

このなかで長岡藩は、官軍、そして、幕府軍のどちらにもつかず、長岡藩が生き残る方法として中立の立場にいました。これは、継之助が考えたものです。彼は120石の武士から家老に成り上るため、そして長岡藩を存命させるため、必死に尽力します。

『峠』には、この河井継之助の考え方や生きざまが細かく描かれており、読み進めているうちに、どんどん彼の魅力に引き込まれていきます。果たして彼と長岡藩は、どんな結末を迎えるのでしょうか。

本作は2020年に映画化も決まっています。『峠 最後のサムライ』のタイトルで、役所広司が主演。映画ではどんな世界観になるのか、乞うご期待です。

 

作者・司馬遼太郎とは?大河ドラマ『竜馬がゆく』の原作者!

 

『峠』の作者である彼は、どのような人物なのでしょうか。

大阪生まれの小説家であり、はじめは産経新聞で新聞記者をしていました。記者時代に書いた作品である『梟の城』が直木賞を受賞し、小説家としてデビューをしています。

 

著者
司馬 遼太郎
出版日
1998-09-10

 

代表作には、『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』、『花神』などがあります。『花神』は、『峠』と同じ時代が描かれている歴史小説であり、兵部大輔、大村益次郎の考え方や生きざまが細かく描かれている作品です。

本作を読んだ後に『花神』を読んでいただくと、点が線になり、河井継之助が生きた時代がよりわかるようになるかもしれません。

 

河井継之助とは?越後長岡藩家老を務めた幕末の風雲児!名言も紹介

主人公の河井継之助とは、いったいどんな人物だったのでしょうか。

彼は実際に実在した人物であり、生まれも育ちも新潟県です。家禄はわずか120石でしたが、河井家にはもともとお金があり、彼は江戸で勉強に明け暮れています。

彼が他の学者と1番違うところは、他の学者は知識を求めていたのに対して、彼は実学を求めていた点です。実学とは簡単にいうと、実際の世の中で使える知識や知恵です。彼は知識ばかり求める学者をバカにし、実学こそに意味があるとして、独自の考えを貫いていきます。

そんな信念があったからこそ、長岡藩は彼を信じ、命運を託したのではないでしょうか。

著者
司馬 遼太郎
出版日
2003-10-01

 

彼の生き方には、現代にも通じる部分が数多くあります。そこで彼の考え方がわかる名言を、いくつかご紹介させていただきます。
 

戦争はしたくないものだ

彼は、武士をすでに必要のないものだと考えていました。人間としていらないのではなく、武士という身分がいらないということです。

彼はヨーロッパやアメリカの仕組み、考え方を大いに取り入れ、それを実学として吸収していたと考察することができます。戦いやそれによって決められる身分を価値とすべきでないという先進的な考えを持っていたんですね。

立身出世は孝の終わり

出世をしていくということは、時間が組織や社会に多く取られていくことになります。24時間という1日の時間は変わりません。そのため家族との時間が少なくなっていくということから、孝の終わりと表現したのではないでしょうか。

面白いだけのことで本を読むのであれば、
いっそ本を読まずに芝居か寄席へでも往くがよい

本は娯楽だけを求めて読むものではない。あくまで勉学として読むべきだと伝えたかったのではないでしょうか。

そして娯楽だけを求めるのであれば、芝居や寄席に行った方が、演じ手の感情などが伝わってきます。演じ手がどんな努力をしてその場に立っているのかも伝わってきます。彼はこの名言をとおして、どんな物事からも吸収できることはあるとも伝えたかったのかもしれません。

 

『峠』の舞台を紹介!河井継之助ゆかりの地も!

 

本作の舞台となっているのは、現在での新潟県長岡市。ここには信濃川という大きな川があり、冬には大雪が降る豪雪地帯としても知られています。

長岡藩は河井継之助のおかげで、近代兵器であるガトリング砲や、最新式の銃を手配しており、なんとか官軍と戦いました。しかし長岡城はだだっぴろい平野に建てられており、城を守るにはとても不利な状況であったといわれていたのです。

この長岡市や、隣接する小千谷市というところには、河井継之助のゆかりの地として、記念館や慈眼寺、朝日山古戦場跡などがあります。

 

河井継之助の悲劇的人生……彼の想いとは?

河井継之助は、武士の時代はもうすぐ終わるだろうと考えていた人物でした。当時、そのように考えている人は日本では数少なかったものの、結果から見ると正しいことを予想していたことになります。

彼は外国の文明や仕組みに関心があり、積極的に関わって、自身の実学にしようとしていました。特に影響を受けたのがスイス使節団員のファブル・ブラントであったと推測することができます。スイスは小国でありながら、きちんと武装中立をおこなっている国でもありました。

河井継之助は、長岡藩もスイスのように武装中立をおこなうことを決めます。当時、約7万石ばかりの長岡藩が武装中立をおこなうことは、とても無謀なことでありました。

しかし彼はとても頭がよく、先見の目もあるため、そのことは十分にわかっていたはず。それでも、この国を思って行動を起こさなければならないという使命感があったのでしょう。

ただ、やはり最終的には、長岡藩の武装中立を官軍が許さず、彼らとの戦争に突入していくことになります。これが、北越戦争です。

どうすれば、日本がよい方向へ向かっていくのか。それが見えていた彼にとって、この避けられない戦争が起こってしまったことは、まさに悲劇という他ないでしょう。そんな彼は、一体この後どうなるのでしょうか。

『峠』の結末をネタバレ解説!河井継之助の運命は?

著者
司馬 遼太郎
出版日
2003-10-01

 

河井継之助は、最後まで戦わない方法も模索し続け、官軍と和睦をしようと会談をおこないます。しかし、結果は決裂。ここで官軍に降伏して、長岡藩を傷つけない方法も、もちろんありました。それでも正義を選び、官軍との徹底抗戦を決意したのです。

そして官軍との戦争に突入した長岡藩は、近代兵器を駆使して戦い続けます。

兵力、そして兵器ともに、圧倒的に官軍の方が勝っているなか、彼らは堂々と戦い続けました。最終的には歴史が示しているとおり、官軍には敗れ、長岡城は灰となってしまいます。

そんな戦争の最前線で戦っていた河井継之助は、最後どうなってしまったのでしょうか。

その結末は、どうしようもない歴史の荒波に巻き込まれ、それでも戦った男の生き様に痺れるものとなっています。無理だと分かっていても、強い信念を持って行き続けた彼の姿からは学ぶべきところがたくさんあるのです。ぜひその子はご自身でご覧ください。

 

生きざま

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