かつて、江戸時代の身分制度を説明した語句として学校の授業で教えられていた「士農工商」。近年では実態とかけ離れているという理由で、教科書から姿を消していることをご存知でしょうか。この記事では、概要や意味の移り変わり、教科書から消えた理由、「えた」「ひにん」などについて解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひご覧ください。
「士農工商」とは、元々は中国で用いられていた言葉です。日本では江戸時代の身分序列を説明する語句として有名でしょう。「武士」を頂点に、「農民」、「職人」、「商人」の順に序列が形成されていたと考えられていたのです。
しかし近年の研究で、「士農工商」の分類が、実態とはかけ離れていることが明らかになりました。かつて「農工商」と分類された人々が「百姓」「町人」と呼ばれるようになり、さらに武士が支配階級であったのは間違いないものの、「百姓」と「町人」の間には序列関係はなかったと考えられるようになっています。
このように近世史研究がすすんだ結果、現在採択されている歴史の教科書には、「士農工商」という文言は用いられていません。
ただ、あくまで「士農工商」が身分制の実態と異なっていただけであり、江戸時代が身分制社会であったことには変わりはないので、その点は注意が必要です。
中国における「士農工商」は、紀元前1000年頃から文献に登場するようになります。「すべての民」を意味する四字熟語として用いられ、「士」「農」「工」「商」それぞれの順番も文献によってまちまちでした。また中国の「士」は、貴族や官吏を指しているなど、日本とは用法が異なります。
「士農工商」という言葉が日本に流入してきたのは、奈良時代のことです。江戸時代頃から「士」の意味が「武士」に改変され、当初は「武士を含むすべての民」という意味で用いられていました。
ところが近代になると、その意味が大きく変化することとなります。
明治時代に、近代化のために江戸以前の封建制社会の解体が推しすすめられると、その過程で学者たちは「士農工商」を「武士」「農民」「職人」「商人」の序列を示した語句だと解釈し、「江戸時代の身分制の実態を示した語句」として用いるようになったのです。
この解釈は戦後歴史学の主流となった「マルクス主義史観」とも親和性が高く、「士農工商」はその後も変わらず江戸時代の身分制を示した語句として使われ続けることとなりました。
冷戦の終結を境に、歴史学において「マルクス主義史観」の影響力は低下し、新たな見解が示されるようになります。そして歴史学の研究も進展し、その結果として、「士農工商」は教科書から姿を消すこととなるのです。
教科書から消えた理由は、先述したとおり、明治時代以後に付与された「武士」「農民」「職人」「商人」という序列関係が、当時の身分制の実態と大きくかけ離れていたから。
そもそも江戸幕府は、自らが形成した身分制度のことを「士農工商」と称していたわけではありません。実際には、支配層となる「武士」以外は、農村に住む「百姓」と、主に城下町に暮らす「町人」という形で居住地によって区分されていました。職業によって分けられていたわけではなく、農村に暮らす職人や商人も、区分としては「百姓」として扱われたようです。
また幕府は、百姓と町人の間には序列を設けておらず、両者の間に上下関係は存在しませんでした。
明治時代以降に形成された「士農工商」も、実際の身分制である「武士」「百姓」「町人」も、江戸時代に暮らしたすべての人々を指し示しているわけではありません。実は江戸時代には、身分の枠組みから除外された人々が存在しました。
日本では平安時代頃から、天変地異や死、出血、犯罪など通常の状態を変化させる出来事を「穢れ(けがれ)」と呼び、これを避ける風習がありました。そして「穢れ」を元の状態に戻すために、清める人々も必要とされていたのです。
しかし室町時代頃から、これらの人々は異質な存在として差別を受けるようになります。江戸時代以前には「河原者」や「道々の者」など、さまざま呼称で呼ばれるようになりました。
江戸時代に入ると、差別はさらに強まることになります。幕府や藩が出すお触れにより、かつての「河原者」は、「えた」や「ひにん」と呼ばれるようになり、百姓や町人と異なる立場として身分制から除外されたのです。
この差別は近代に入ってからも続き、「部落差別」として今日にまで禍根を残しています。
「えた」や「ひにん」と呼ばれた人々は、地域によってさまざまな役割をもちました。たとえば「えた」は、農林漁業を営みつつ、死んだ牛馬から革製品を製造するほか、犯罪者の捕縛や刑死者の埋葬などに従事していたそう。また「ひにん」は、町や村の警備、芸能などに従事したといわれています。
差別を受けつつも、彼らは社会のなかで必要とされるさまざまな役割を果たしていました。
- 著者
- 上杉 聰
- 出版日
- 2008-06-18
作者の上杉聰は、部落研究の専門家です。本書はセンセーショナルなタイトルをしていますが、論文集の体裁をとっています。
それぞれの論考を通じ、部落差別が江戸時代だけの問題でなく、中世以後の日本史全般と密接に関わっていたことがわかるでしょう。
特に興味深いのが、部落差別が黒人差別のような「上下関係」にもとづく差別ではなく、社会の「内」と「外」という「排除」に基づく差別であるという指摘です。差別問題を考えるうえで示唆に富んだ指摘だといえるでしょう。
また部落差別の論理が天皇制と表裏一体であり、部落差別と天皇制が密接に関わっていることが論じられています。デリケートなテーマですが、日本史をより重層的に理解するうえで、避けては通れない観点を与えてくれる作品です。
- 著者
- 出版日
- 2018-01-20
本書は、社会科だけでなくその他の科目で変更された記述についてまとめ、わかりやすく紹介している作品です。
研究の進展により、教科書の内容は更新され続けています。今回紹介した「士農工商」以外にも、鎌倉幕府の成立年代や「聖徳太子」の呼び名など、かつての「常識」が改められたものが多々あることがわかるでしょう。
ご自身が勉強した時からどのように変化したのか、現在の教育に興味のある方はぜひお手にとってみてください。