3世紀なかばから7世紀末頃まで続いた古墳時代。この記事では、主な出来事を年表で紹介し、特徴や渡来人がもたらしたもの、暮らしや文化などの生活をわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひご覧ください。
古墳時代は、弥生時代に続く考古学上の時代区分です。3~7世紀頃の、全国で前方後円墳などの巨大な古墳が造営された時期を指します。
この時代には、ヤマト王権が統一政権として確立され、それまでの「倭国」という国号から「日本国」という国号に変更されるなど、古代国家としての日本が成立しました。
前方後円墳は、ヤマト王権が倭を統一していく過程で各地の豪族に対して造営を許可したものであると考えられています。その分布が全国に広がっていることから、ヤマト王権の支配も全国におよんでいたことがわかるでしょう。
古墳の周囲には多くの埴輪が置かれ、棺とともに鏡や剣、勾玉、馬具など多くの副葬品が収められていました。
また古代日本は積極的に海外にも進出していて、4世紀には鉄資源などを求めて朝鮮半島に進出し、新羅や百済を臣従させ高句麗と激しく戦っていたことが記録に残っています。この際に得た鉄資源は、甲冑や武器、農具などに用いられました。
5世紀になると「倭の五王」と呼ばれる5人の王が中国に使者を遣わせました。鉄だけでなく、文字や儒教、仏教なども相次いで日本へと渡ってくることとなります。それらをもたらした渡来人たちはさまざまな分野で活躍し、日本の技術や文化の水準を高めるのに貢献したのです。
266年:邪馬台国の女王である台与(とよ)が中国の晋に朝貢する。
270~310年頃:漢字の伝来。(紀元前にすでに伝わっていたと言う説もあり)
200年代なかば:前方後円墳や円筒埴輪が登場。同じ頃、各地の有力豪族による連合政権で、大王を中心とするヤマト王権が成立し、国内を統一する。
391年:倭が朝鮮半島の百済、加羅、新羅を従属させる。
400年頃:倭が高句麗や新羅らと戦う。
400年代:倭の五王(讃・珍・済・興・武)が宋に朝貢する。
400年代なかば:日本最大の前方後円墳にして、墓としては世界最大を誇る大仙陵古墳が造営される。
513年頃:百済から儒教が伝来する。
527年:古墳時代最大の内乱とされる「磐井の乱(いわいのらん)」が北九州で発生する。
538年:百済から仏教が伝来する。
593年:日本初の女帝・推古天皇が即位。厩戸皇子(聖徳太子)が摂政となる。
603年:冠位十二階が制定される。
604年:十七条憲法が制定される。
607年:法隆寺が建立される。小野妹子、遣隋使として隋に渡る。
622年:聖徳太子が亡くなる。
645年:中大兄皇子・中臣鎌足が「乙巳の変」で蘇我入鹿を抹殺。大化の改新がはじまる。
663年:「白村江の戦い」で、倭・百済連合軍が唐・新羅連合軍に敗北する。
600年代後半:国号を「倭国」から「日本国」に変更される。
日本の歴史において、海外から持ち込まれた文化や技術によって飛躍的に生活水準が向上したという例はいくつもあります。
4世紀から6世紀という時代は、中国では南北朝時代、朝鮮半島では三国時代と呼ばれる国々が興亡をくり広げる戦乱の時代でした。そのような情勢のなかで、比較的安定していた日本に亡命してきた人が数多くいたのです。
彼らは「渡来人」と呼ばれ、秦氏(はたうじ)や東漢氏(やまとのあやうじ)のような氏族集団を形成しました。渡来人やその末裔である人物としては、仏師の鞍作止利(くらつくりのとり)、国博士の高向玄理(たかむこのくろまろ)、僧侶の旻(みん)や鑑真らが有名です。
渡来人が古墳時代に日本にもたらしたもののうち、代表的なものをご紹介しましょう。
まずは鉄製品です。鉄は当時最先端の素材で鎧や弓矢、盾、剣、刀、槍などの武器、鍬や鋤などのの農具に使用されました。同時に、鍛冶や木工、土木、建築、養蚕などの技術も持ち込まれます。生活自体が大きく変化したことが想像できるでしょう。
また儒教や仏教、漢字などの文化が伝わったことも、それ以降の日本を大きく変えるきっかけとなりました。
古墳時代初期の庶民は、弥生時代とほとんど変わらず、竪穴式住居に暮らしていました。米などの食料も高床式倉庫に保管しています。
変化したのは、かまどが伝来し、家の中に設置したことでしょう。このおかげで、少ない燃料で煮炊きすることができるようになりました。
豪族などの有力者は、柵や堀をめぐらせた居館に暮らしていたようです。
次に服装ですが、男性は乗馬ズボンのような形をした袴を、女性はスカート風の裳を着用していました。後に主流となる着物とは異なり上下に分かれるタイプなので、むしろ現代に近い印象を受けるかもしれません。
髪型は、男性は「角髪(みずら)」というスタイルが一般的です。長い髪を左右に分け、頭の横で結っています。身分によって結び目の位置が異なっていました。女性は江戸時代に主流だった「島田髷(まげ)」のように、髷を結っていました。
食事の環境は大きく変わっています。弥生時代に広まった稲作が、渡来人のもたらした鉄製農具のおかげで大規模におこなわれるようになりました。木の実も重要な栄養源で、クッキーのように焼いて食べていたようです。
食べ物を貯蔵するための加工技術も発達し、高温多湿の日本でもできるだけ長く保存できるよう、発酵・干物・燻製といった方法が用いられるようになります。現代にも伝わる味噌や醤油、漬物などの原型は古墳時代にできあがっていました。
また縄文時代や弥生時代をとおして使用されてきた土器に加え、渡来人がもたらした土師器(はじき)や須恵器(すえき)も使用されるようになります。
- 著者
- 白石 太一郎
- 出版日
- 1999-04-01
266年から413年にかけて、中国の歴史文献における倭国の記述が途絶えていて、実は邪馬台国からヤマト王権へどのようにして政権が移り変わったのか、あるいは移り変わってはいないのか、正確なことはわかっていません。
「空白の4世紀」ともいわれるこの歴史上の謎を埋めようと、多くの研究者が古墳に注目しています。
本書では、古墳の様式や分布、築造年代、大きさなどを分析することで、ヤマト王権がどのように誕生して国内を統一していったのかを解き明かしていきます。
いまだ多くの謎を秘めている古墳時代は、読者の好奇心を刺激し、読んでいるだけでワクワクしてくるでしょう。知的興奮を味わいたい方におすすめの一冊です。
- 著者
- 松木 武彦
- 出版日
- 2007-11-09
学校で重点的に習う日本の歴史は、大化の改新以降のわずか1400年ばかりの出来事です。 しかしそもそもヒトがこの列島に移住してきたのは約4万年前だといわれています。
なぜそれ以前の時代を勉強しないのかといえば、古墳時代に漢字が伝わるまでは文字をもっていなかったため、残っている記録が少ないからだといえるでしょう。
ただ、文字の記録はなくても、石器や土器、古墳など当時の人々がつくったモノは数多く残されています。本書ではこれらに着目し、「認知考古学」という新たな方法を用いて日本列島における4万年の歴史を紐解こうとしているのです。
なぜ古墳時代に巨大な古墳がつくられたのか、この命題に対しても作者なりの回答が示されています。新たな観点からの研究に目を見張ること間違いありません。
古墳時代は海外との交流も頻繁におこなわれていて、大陸や半島の進んだ文化や技術を取り入れて古代国家が形成されていきました。現代の私たちの暮らしにもその名残が散見されるのも興味深いところでしょう。