連載開始からじわじわ人気を集めてきた『トクサツガガガ』。2019年1月には小芝風花主演でドラマ化も決まり、まだまだ人気は昇り調子です。期待が高まる一風変わったオタク物語から、名言を集めてご紹介します。
主人公は仲村叶(なかむら・かの)26歳・OL・特撮オタク。勤め先では女子力高い人として通っていますが、当人が思うに「女死力滾(たぎ)ってる」。毎日、自作の弁当持参で出勤していますが、それは料理が好きとか得意とかではなく、お金を節約して特撮につぎ込みたいからなのです。
幼い頃から特撮大好きで、現在はおもちゃ・DVDやブルーレイ・児童雑誌・食玩・ヒーローショーなどなど……のために、生活費をやりくりし、特オタ(特撮オタク)であることが世間にバレないようカモフラージュに気を遣いながら、ヒーロー番組「獅風怒闘ジュウショウワン」(獣将王)を中心に特撮作品を追いかけています。
- 著者
- 丹羽庭
- 出版日
- 2014-11-28
幼い頃から特オタだった仲村さんですが、彼女のお母さんはかわいいものが好きでかわいらしい服装をさせたがり、仲村さんが特撮を見るのを嫌っていました。お母さんが口うるさく禁止するので学生時代は特撮から離れていましたが、実家を出てひとり暮らしをはじめると同時にオタク魂が復活。大量のおもちゃやフィギュア、DVDなどと一緒に生活する日々です。
強力な特オタ友人・吉田さんやドルオタ(アイドルオタク)の北代さんにミヤビさん、女児向けアニメ好き男子の任侠さんなど、個性の強い仲間たちを得て、広い世界を見出だしていく仲村さん。特撮に戻ったことをいつか打ち明けて、お母さんと和解したいと考えているのですが、仲村さんとお母さんはお互いを分かり合うことができるでしょうか……。
特撮オタクならではのネタと、特撮を通して語られる普遍的なテーマを、濃いキャラクタの面々が物語に織り成していきます。
『トクサツガガガ』の魅力は、ざっくりと挙げると次の5つがあります。
『トクサツガガガ』は、ときどきまじめなことも語りますが、ギャグ漫画です。何も考えずに読んでも笑って楽しめる内容です。ギャグの挟み方や、それを加味した上でのストーリーが心地よいテンポで展開されていくので、するすると読めてしまいます。
その一方で、特撮とそれを好きな人たちが織り成すストーリーには一本筋が通っていて、特撮が教えてくれる大切なことを特オタたちとともに読者も学びとることができる構成。しっかり読めば読むほど、味わいが深くなります。
仲村さんが日常で出会った問題や疑問。それらは決して特殊なものではなく、私たち読者もやはり日常でたびたび出会うものです。仲村さんが強烈な個性の友人たちの行動や、作中に登場する特撮作品や、「特撮あるあるネタ」などから悟りのヒントを得て、理解したり受け容れたり、あるいは気力を奮って日々を生きていく姿に共感することができます。
また、仲村さんが出会う問題を解く鍵として作中に挟まれる特撮作品のストーリーも、仲村さんを主人公とするメインストーリーと平行して楽しめる多層構造になっていて、おもしろく読めます。
作中、ところどころに散りばめられた「特撮あるある」、「オタクあるある」は、オタクの人はもちろん、そうでない人も似た場面に遭遇する経験も少なくはないでしょうから、きっと笑えることでしょう。こうした「少し共感できるかな」という部分をきっかけに、オタクでない人はオタクの生態を知ることができるかもしれません。
- 著者
- 丹羽庭
- 出版日
- 2014-11-28
――立派な大人になろうとするんじゃなくて、
子供の頃に(特撮から)習ったことを思い出すの。
大人になった時 大事なことは、
全部小さなうちに(特撮から)習うでしょ。
(『トクサツガガガ』1巻から引用)
『トクサツガガガ』第1巻第1話「獣将王シシレオー登場!」から主人公・仲村さんの名言です。
仕事が終わって電車で帰宅途中の仲村さん。隣り合って座る後輩の小野田くんと「つかれましたね」と話します。そこに「まごうことなき老人レベルの老人」の夫婦が乗車してきます。
電車は満員、空いた席はなさそうです。俯く仲村さんと小野田くん。老人の方を伺った仲村さんの目の前に、「獅風怒闘ジュウショウワン」の赤い人・シシレオーが現れて言いました。
自分が苦しいことは、
弱い者を見捨てていい理由にはならない!
(『トクサツガガガ』1巻から引用)
その台詞は「獅風怒闘ジュウショウワン」先週放送分のもの。仲村さんが「かっこよすぎか!!」と悶えながら見る番組の名場面です。仲村さんは、そっと席を立ち、老人に譲ります。
小野田くんが、老人に知らん振りしようとした自分を恥じて、「どうしたら先輩みたいになれますかね」と訊ねました。「特撮を観たらいいんだよ」と即答したい仲村さん。そこを耐えて一般向けに補正して言ったのが、冒頭に挙げた名言です。
(特撮から)は呑み込んだ心の声。ほんとうは伝わってほしい、でも声に出せない仲村さんの魂です。正しきを行い悪を憎む心は正義のヒーローが、特撮が育んでくれる。そのことを特撮で育った仲村さんは期せずして、自身の行いをもって証明したのでした。
- 著者
- 丹羽庭
- 出版日
- 2014-11-28
恥ずかしかったりかっこ悪かったりするのは自分で、
品物はなんも恥ずかしいものでもかっこ悪いものでも、
なんでもないんですよ。
(『トクサツガガガ』第2巻から引用)
『トクサツガガガ』第2巻第12話「『てれびくん』の買い方」から、任侠さんの名言です。
みなさんは「てれびくん」という雑誌をご存じでしょうか。小学館発行の、実在の児童向け月刊誌です。特撮・アニメ・ホビーを中心に取り上げており、『トクサツガガガ』作中で仲村さんが言うように、特撮作品の画面から取り込んだ写真ではなくスチール写真の掲載数が多く資料的価値もあるという、特撮オタクにとって大切な雑誌です。
児童向け雑誌なので大人の自分には恥ずかしくてとても買いづらい。でも、どうしてもほしい。その葛藤を繰り返して書店まで出向きながら、仲村さんはこのようなことを言って諦めてしまいます。
たかだか…児童雑誌に必死になるのも恥ずかしいですし。
さすがに分別を持たねば…。
(『トクサツガガガ』2巻から引用 )
そこで書店まで同行していた任侠さんが、代わりに自分が買う役をかって出ました。女児向けアニメ「ラブキュート」シリーズが好きな強面男子・任侠さんが「気持ちはよくわかりますけど…」という言葉に続けたのが、冒頭でご紹介しました名言です。
この言葉で仲村さんは気づきます。「いい大人がこんなものは……」、「たかだか児童雑誌に……」。それは仲村さんのお母さんが仲村さんから特撮を取り上げるときに口にした言葉と同じでした。
そのように言われて口惜しい思いをしたというのに、自分がほしいと思うものに対して同じことを言ってしまった自分を反省する仲村さんでした。
特撮も児童雑誌も、大人が一生懸命つくっています。恥ずかしいものであろうはずがありません。「たかだか」などと言っていいものではありません。恥ずかしいのは恥ずかしいと思っている自分なのだということは、特撮や児童雑誌についてだけではないということを、覚えておきたいものです。
- 著者
- 丹羽 庭
- 出版日
- 2015-03-30
泣き虫だけど弱虫じゃないわ。
涙を拭いたら、勇気満タン!
(『トクサツガガガ』3巻から引用)
『トクサツガガガ』第3巻第23話「涙を拭いたら、勇気満タン!」から、前項でご紹介した名言の主・任侠さんが大好きな女児向けアニメ「Chig-Hugラブキュート」のキャラクタ、ティアールの名言です。タイトルにもなっている通り、第23話の主題でもあります。
任侠さんは顔が厳つくて身体が大きくて、一見すると怖い人です。それ故に仲村さんは「任侠さん」と呼ぶようになりました。でも怖いのは見た目だけで、気遣いができるやさしい気性と怪談を本気で怖がる臆病さを持つ気弱な青年です。
気弱さはすでに小学生の頃から表れていました。授業でバレーボールをやることになったときや怖い犬に追いかけられたときなど、任侠さんは身体が大きかったためにクラスメイトからは活躍を望まれました。けれども、任侠さんはボールも犬も怖くて活躍どころではありません。そんなときにクラスメイトは「でかいのに情けない」と言って怒るのです。
体格がいいために頼られがちな任侠さんは「次は何を頼まれるんだろう」「何を怒られるんだろう」と不安が募り、学校に行くのが怖くなってしまいました。
その頃、放送されていたのが「ラブキュート」シリーズの初代作品「Chig-Hugラブキュート」です。スマイリーとティアールの二人が力を合わせて悪と戦います。でもティアールはちょっと泣き虫。それでも「泣きながらだって戦ってやるんだから!」と戦うことを放棄しないのです。
ティアールの姿に励まされて、小学生の任侠さんは怖いながらも学校には通い続けました。暗い表情で女児向けアニメをみる任侠さんを見て、任侠さんのお母さんは「引いた」と言います。でも、任侠さんから「ラブキュート」を取り上げることはしませんでした。
「不似合いだから」と、「男の子が見るものじゃない」と、そんな風な偏見で任侠さんの拠りどころとなっていたものを取り上げなかったお母さんは大英断を下したと言えます。
子供が好きで見ているものを奪っても碌なことは起きません。奪われた子供は大抵、反動でより「濃い」オタクになってしまいます。
- 著者
- 丹羽 庭
- 出版日
- 2015-06-30
夢中になれる人はかっこいい…
その人たちが作るモノもかっこいい…
でも夢中になってる姿は、だいたい気持ち悪い――。
(『トクサツガガガ』4巻から引用
『トクサツガガガ』第4巻第37話「汚しのコツ」から、仲村さんが悟った真実の名言です。
たとえば、写真家が撮影するとき、奇妙な体勢を取ることがあります。地面に寝そべっていたり、あるいは身体を大きく反らせていたり。「普通にカメラを構えて撮ればいいのに」と思う人も多いのですが、そんな場合は奇妙な姿勢を取らないと望んだ構図の写真が撮れないために、必死でつらい態勢を維持しているのです。ベストな作品のための努力、それが傍目に「気持ち悪さ」として見えてしまっているのです。
イケメン選手が多いサッカーも、試合を見てみると選手はプレイに夢中で、表情というよりは形相と呼ぶべき顔をしています。それがニュース記事の写真や動画にアップで抜かれているのを見て言葉を失った人も少なくないでしょう。これもチームに勝利をもたらすため、必死にプレイしているが故のことです。
そういった事例を踏まえた上での本項の名言。夢中になっている人、一生懸命何かに取り組んでいる姿は気持ち悪く見えることが間々あるのです。
オタクを指して「キモい」と言う人は多いのですが、非オタクにもこのように気持ち悪い瞬間はたくさんあるのです。そしてそれは、オタクにしろ非オタクにしろ、夢中になっている=一生懸命であるが故のこと。「キモい」と口に出す前に、夢中な人たちの見目を構わない集中力やがんばりを、讃えてみませんか。
トクサツガガガ (4) (ビッグコミックス)
2015年09月30日
ネイチャー界2大ピンクっつったら臓物とタニシの卵じゃ!!
女子は臓物とタニシの卵が大スキかコラ。
(『トクサツガガガ』5巻から引用)
『トクサツガガガ』第5巻第41話「ピンク怪人の悪」から、仲村さんのモノローグによる名言です。
仲村さんは幼い頃からお母さんに「かわいらしいもの」を押しつけられてきました。その頃から「女の子はピンクが好き」という謎の思想ははびこっていて、おかげで仲村さんはピンクが苦手です。
私たち読者が住む世界にも、女性向け商品は何でもかんでもなぜかピンク色が採用されているという「ダサピンク現象」があり、困っている女性はかなり多いようです。「キョーレツなピンクアレルギー」の仲村さんは「女子はピンク好き思想」に異議を唱えます。その一節が冒頭の名言です。
「タニシの卵はピンク」ということがここでは言われており、調べてみるとなるほどピンク色の卵の写真が見られたりしますが、実はこれはタニシの卵ではありません。タニシは卵を産まないのです。
ではピンク色の卵は何かと言うと、ジャンボタニシの卵。「何だ、結局タニシの卵なんじゃないか」とお思いかもしれませんが、ややこしいことにジャンボタニシはタニシではないのです。
ジャンボタニシのほんとうの名はスクミリンゴガイ。タニシとは別種の巻き貝であることを覚えておくと、何かいいことがあるかもしれません。
脱線してしまいましたが、ピンクは誰のものでもありません。「女の子のもの」とは決まっていませんので、ピンクが苦手な女子はピンクを身につけなくていいし、ピンク好きの男子がいても一向におかしくないでしょう。誰かに押しつけたり独占したりは、しないようにしたいですね。
トクサツガガガ (5) (ビッグコミックス)
2015年12月28日
引退されたらそれこそ「逢いたい」とか「握手させて」とか
知らん女がプレゼント送りつけるとか、
今までの行為がことごとく犯罪になってしまうからね。
(『トクサツガガガ』6巻から引用)
『トクサツガガガ』第6巻第55話「一番の願い」から、ドルオタ北代さんの名言です。
北代さんはローカルアイドル「Bee Boys」のファン(通称ハニーさん)。Bee Boysのイベントがあれば地方へも遠征し、ツーショット撮影会や握手会に参加し、その際には手渡しでプレゼントを贈ったりと、勤勉なドルオタ活動をしています。
しかしながら、芸能人は若くして引退してしまう人も少なくありません。マイナーで売れない時期が長く続いて食べていくにも苦しいなら当然辞めていきますし、メジャーになって遠い存在になってしまうよりもその事例の方が多いのです。
仲村さんは自分が見ていた特撮番組でヒーローを演じていた一人が知らない間に引退していてショックを受けています。北代さんが応援しはじめてからのBee Boysにも何人か「卒業」した人がいます。
仲村さんは、デビュー間もなくの頃に特撮番組に出演していた人が、メジャーになるとその事実をなかったかのように公にしなくなることにモヤモヤを感じていました。しかしそれに対して、たとえそれでも次のステップがあって、当人がやりたいことを続けていられる――芸能活動を続けてくれているのならそれが一番いい、と思うようにしていると、北代さんは語ります。
芸能人でいてくれる限り、目に見えるかたちで応援できます。好きな気持ちに変わりはないのに、もし引退などされたら応援できなくなってしまうのです。引退後も応援しようものならどうなるか……それが本項の名言です。
傍目に奇態だと思う人もいるかもしれません。しかし北代さんも仲村さんも、全力で好きなものが好きで、全力で応援しているのです。「夢中になっている姿はだいたい気持ち悪い」のは真実ではありますが、それを嗤う人には大きなしっぺ返しがあるでしょう。
- 著者
- 丹羽 庭
- 出版日
大丈夫じゃない人は、皆亡うなっただけの話です。
(『トクサツガガガ』7巻から引用)
『トクサツガガガ』第7巻第64話「先人達の灯」から、「まごうことなき老人レベルの老人」夫婦のおじいさんの名言です。「まごうことなき老人レベルの老人」夫婦は第1巻にも登場しましたが、その後もたびたび登場します。
今回も電車で席を譲った仲村さん。おじいさんの「昔は隣駅から歩いて仕事に通っていた」という話を聞いて、昔の人はタフだなあと思いつつ、訊ねます。「なんでそんなに元気なんですか」。これに対するおじいさんの答えが、本項冒頭の名言です。
昔の人みんなが丈夫で元気だった訳ではなく、丈夫で元気な人だけが長生きしているのだ、ということです。
私たちは目に見えるものだけを見て、ものごとを考えてしまいがちです。たとえば、昔はガンという病気で亡くなる人は少なかったとか、ガンという病気はなかったという話を聞くことがときどきありますが、実際にはおそらく現在と変わらないほどの罹患者がいたのではないかと考えられます。
ただ「ガン」という病名が昔はまだなかったとか、「ガンである」と診断する技術や能力がなかったとか、そういった理由で「ガンで亡くなった」人や「ガン」がなかったことになってしまっているだけで、実際にはガンが原因で亡くなった人はいまと変わらないほどいたのかもしれません。
元気な老人は確かにたくさんいます。元気でなくて早くに亡くなった老人はもっとたくさんいたのかもしれません。目に見えないものの存在があって、それもまた事実を形成しているのだということを忘れないようにしたいところです。
- 著者
- 丹羽 庭
- 出版日
600gは600g。炎天下は炎天下。
スキキライで量が減ったりやわらいだりはしません。
(『トクサツガガガ』8巻から引用)
『トクサツガガガ』第8巻第77話「明日もまた立つために」から、吉田さんの名言です。
仲村さんが好きな特撮には、「スーツアクター」と呼ばれる人が関わっています。怪人や怪獣などの着ぐるみやヒーローのスーツを着て演技をする人たちです。
外観の質感を出すために、また耐久性のために、通気性のよくない素材が選ばれることもあり、着ぐるみやヒーロースーツを着ての演技は、夏場は地獄の暑さと言います。
それを知る仲村さんは、野球はほとんど知らないながら、スーツアクター同様に暑い中がんばる甲子園の高校球児を、内心にそっと応援します。しかし近隣から聞こえてくる声が言うには「こいつらは自分からやりてー!つって甲子園出てんでしょ?」。
そうなのかな、と仲村さんは思ってしまいます。彼らは誰に強要された訳でもなくやりたくてやっていて、好きでやっているなら耐えるべきなんだろうか、と。それを特オタ仲間の吉田さんとファミリーレストランで会ったときに話すと、吉田さんは仲村さんに「ステーキ好きですか」と脈絡なく訊ねました。
仲村さんが「はい」と答えた途端に吉田さんはチャイムで店員を呼び、仲村さんの分として「爆裂☆ステーキ600g」を注文します。いくら好きでも600gは食べられないと抗議する仲村さんに、吉田さんは本項の名言を告げたのです。
いくら好きでも600gは食べられない。いくら好きでも暑いものは暑い。「好きだから耐えられる」、「好きなら耐えて当然」というのはおかしな話です。好きでがんばって甲子園大会に出場したとして、グラウンドの気温38度が25度に下がったりするでしょうか。
「好きなら耐えられる」という精神論がまかり通る私たちの社会。しかしその多くは間違っています。「好きなことだから徹夜もつらくない」……そんなことはありません。人は眠らないと死にます。「好きなことのために死ねば本望だろう」……はたしてそうでしょうか。
好きでもつらいことはつらいし、「つらい」と言って構わないのです。「つらい」と口に出すことを咎めて追い詰める人にはならないように気をつけたいですね。
- 著者
- 丹羽 庭
- 出版日
そう…だから私達はお金を使う…
「需要あります!」「次もいいモノ作ってください!」のアピールのために!
(『トクサツガガガ』9巻から引用)
『トクサツガガガ』第9巻第82話「夢追い人」から、仲村さんの「オタクの心の叫び」です。
仲村さんも北代さんも、特オタ・ドルオタの立場の違いはありますが、どちらも積極的に自分の推しジャンルのグッズを、きちんとお金を支払って購入します。チケット・DVD・ブルーレイ・おもちゃ・写真集などなど……グッズを惜しみなく買います。
こうした出費をオタクは「お布施」と呼んだりしますが、お布施をしないとご利益(グッズ)が得られなくなってしまうことをオタクは知っているのです。売れないものはつくられないのは当然のこと。自分がほしいグッズを買うという行為は自分の物欲を満たすだけではなく、「この番組やアイドルは人気がある」、「この商品はつくれば売れる」ということを売り手に知らせる方法でもあるのです。
お布施が多ければ新しいグッズの企画に結びついたり、テレビ番組なら制作費の足しになったり、続編や劇場版につながったりもします。ホンシェルジュの読者のみなさんならご存じかもしれませんが、漫画の単行本も、発売日から1週間程度の売り上げの伸びで連載の長さが決まったりもします。早めのお布施でお気に入りの連載作の寿命が延びることもある訳です。
好きなものが長く続いてくれますように。自分がほしいからという理由だけでなく、こういう願いも込めて、オタクは働いて稼ぎ、日々慎ましく生き、そうして捻出したお金を今日もお布施するのです。
- 著者
- 丹羽 庭
- 出版日
上手いヤツはあなたの見てない所で、
ゲーム機にとんでもない枚数の100円玉食わせてんだよ!!
(『トクサツガガガ』10巻から引用)
『トクサツガガガ』第10巻第93話「歴史の連鎖は負の連鎖?」から、北代さんの名言です。
ある日、北代さんは仲村さんに、大きな猫のぬいぐるみを渡します。「ゲーセンで取ったの。姪っ子、猫スキなんだよね?」と。「ちー(姪っ子の名前)のために取ってくれたんですかぁ?」とよろこぶ仲村さんですが、「取るのスキだけど置く場所ないし」と北代さん。
クレーンゲームに限らずゲームが上手な北代さんに、「すっげえなぁ~」と感心しつつ、仲村さんはうっかり「今度、アミューズ系の『獣将王』グッズ取ってくださいよ!」などと、実に簡単にお願いしてしまいました。
北代さんは猫のぬいぐるみを1000円の出費で取ったそうですが、仲村さんは自分なら5000円かけても無理なんだし、北代さんなら簡単に取れるだろうと言います。その仲村さんに北代さんが突きつけた事実が、本項で挙げる名言です。
今回はクレーンゲームについての言及ですが、これもまた、どんなことにもいえること。最初から上手にできる人などいないのです。「天才」だとか「神業」などと讃えられ、簡単にやってみせる人も、それだけの技術を身につけるまでに努力を重ねています。しかし努力の姿を見ていないだけで「努力することなく達人になった」などと勝手に思い、「簡単にできるでしょ」と仕事を頼む人は実は少なくないようです。
先天的な才能の差は、大部分の人にはほとんどありません。何かが上手にできる人は、上手になるだけの努力と時間とお金を費やしてきたのだということを失念しないようにしましょう。
- 著者
- 丹羽 庭
- 出版日
タピオカは遊びじゃないのに、携帯片手に飲むから。
(『トクサツガガガ』11巻から引用)
『トクサツガガガ』第11巻第101話「積み重ね」から、前項に続き北代さんの名言です。
吉田さんと吉田さんの彼氏、北代さん、仲村さんの4人がヒーローショーを見に出掛け、合間にフードコートで昼食を摂るという場面でのことです。仲村さんがタピオカドリンクを買って、飲みながら話しているところに、突然鳴り出す携帯電話。不意に「ズゴッ」と音を立てるストロー。
吉田さん曰く「ストローでタピオカをすすっていたら急にズゴッとくるアレ」になり、仲村さんは咳き込んでしまいます。その仲村さんをたしなめるように北代さんが言った言葉が本項冒頭の名言です。
タピオカは遊びじゃない……気を抜いて片手間に飲んでいると、不意に「ズゴッ」とくるから危ないよ、という注意でしょう。みなさんもタピオカを遊びで飲まないよう、気をつけてください。
- 著者
- 丹羽 庭
- 出版日
つまらないのは試合じゃないよ。
ちゃんといいプレーしてるんだから。
「イイ試合」はプレーする人と観る人で一緒に作るんだよ。
(『トクサツガガガ』12巻から引用)
『トクサツガガガ』第12巻第116話「不思議な魔力」から、仲村さんの同僚・マイちゃんの彼氏からマイちゃんへの名言です。
同じく同僚のユキちゃんと話したとき、仲村さんはちょっとしたダメージを受けていました。特撮などの作品は「どうつくったのか」、「どんな風に撮影したのか」、裏方事情におもしろさの大半があると考える仲村さんは、ユキちゃんの「なんでそんな裏事情まで汲み取らなきゃいけないの?」という疑問が結構なショックだったのです。
つくった人たちの努力や工夫は「そんなこと」と言われて見向きもされない、無意味なものなのか……少し残念な気持ちになっていたところ、仲村さんは今度は、彼氏とサッカー観戦に行ってきたというマイちゃんの話を聞くことになります。
何とルールをまったく知らないでサッカーを観に行ったマイちゃん。「つまらなかった」と感想を述べますが、同時に「つまらないと言ったら彼氏に怒られた」とも言っています。「つまらない試合だね」と言ったマイちゃんにサッカー好きの彼氏が説いたのが、本項でご紹介する名言です。
どれだけ選手がいいプレイをしていても、観る人にそれを分かる知識がなければ「いいプレイ」「いい試合」に見えません。いいプレイをする選手、いいプレイを観る目を持った観客、その両方で「いい試合」ができるのですね。
仲村さんが好きな特撮に当てはめるとこうです。制作する人たちが努力や工夫で「いい作品」をつくる。「いい作品」はどんな風につくられているのかを知りたくなる「魔力」のようなものを持っているのではないでしょうか。そういうものに触れ、少しずつ知っていくたびに、さらに新しいおもしろさに気づいていきます。
マイちゃんも、まったくサッカーを知らないながら、それでも盛り上がれる場面はあったから、ルールを覚えるなどサッカーを勉強してみようと言っています。興味を持って知ること。それが、どの分野においてもおもしろさに踏み込む第一歩のようです。
- 著者
- 丹羽 庭
- 出版日
大人とは、叶わんとかこんなんあるわけねーしを乗り越え、
それはそうとしつつ夢見とくパワーを持つこと。
(『トクサツガガガ』13巻から引用)
『トクサツガガガ』第13巻第128私達は「可能性∞」から、仲村さんが導き出した真理の名言です。
人生の夢はひとつ砕けたらそれで終わりなのか。大きな問いです。しかし、夢がひとつで終わってしまうなら、夢がついえたその後の人生はどうなるのでしょう。
夢はいくつあってもいい。叶いっこない夢でもいい。仲村さんはこう言うのです。特撮番組で時折ある路線変更と同じように、人生にも路線変更はいくらもあるし、別々の種類の夢をたくさん持っていればいいじゃない、と。
現実から目をそらすのはよくないことです。しかし、現実だけを見て生きるのは、とてもつまらないししんどいことです。「子供は夢があっていいね」ではなく、大人もたくさん夢を持ちましょう。
- 著者
- 丹羽 庭
- 出版日
私達は、中身を脱ぎ捨てて大人になるんじゃない。
私達は自分を、重ねて重ねて大きくなる。
そう…まるで合体ロボのように…
(『トクサツガガガ』14巻から引用)
『トクサツガガガ』第14巻第132話「重ねる意味」から、仲村さんのモノローグによる名言です。
「特撮オタクは中身が子供のまま大人になってしまったやつらだ」。特オタはときどき非オタクからこのように揶揄されることがあります。実際に作中で仲村さんは「自分は中身が子供のままなのでは」と思って心細くなってしまっています。特撮番組は確かに低年齢向けに制作されるものですが、はたしてそうなのでしょうか。
任侠さんのお母さんは、「霊」や「墓」という難しい漢字を書けるようになることで、以前に書けるようになった「雨」や「土」という漢字を忘れたりしない、「雨」や「土」が書ける自分の上に「霊」や「墓」が書ける自分がいるのだと言います。「旧い自分」と「新しい自分」が入れ替わるのではなく、「旧い自分」に「新しい自分」が重なって、どんどん自分の層が厚くなって、人は大きくなると。
つまり特オタは、特撮が好きな自分の上にほかのさまざまな知識や体験を得た自分が幾重にも重なって、人格が形成されているのです。「さまざまな知識や体験」のなかでも「特に」特撮が好きだというだけで、低年齢向けのものしか理解できないという訳ではありません。
このように自分を「重ねて」成長していくことを、仲村さんは「合体ロボのように」と形容しています。ロボにロボが重なって大きくなっていくように、自分に自分が重なって人は大人になるのだと。低年齢向けの番組に合体ロボが登場するのは、ひょっとするとこのことをちびっこたちに伝えようという大人の心遣いなのかもしれませんね。
- 著者
- 丹羽 庭
- 出版日
「『終わり』にして第一歩…
この一年の最後が、素晴らしい『幕開け』になってほしいんですよ…」
(『トクサツガガガ』15巻から引用)
『トクサツガガガ』第15巻第140話「ぶつかれ!!!」から、仲村さんの名言です。
覚悟を決めて、母親に会いに行くことを決めた仲村さん。
その旅を「仲村の母をたずねて ファイナルウォーズ」と名付け、吉田さん、北代さんとの小旅行も兼ねることにしました。
そして一行は、まるで修学旅行か何かのように旅のしおりをつくることにします。学生時代を思い出しながら、キャイキャイと班長を決め、集合場所や緊急連絡先などを書き込んでいく彼女たち。
しかしそこまでいって、もう書くことがないことに気づき、北代さんに至っては、「じゃあ いらなくない?」という元も子もない発言をしだすのです。
どうにかひねり出して持ち物などを考えますが、旅慣れしすぎている北代さんさんに聞いたが故に、最低限すぎる3つのものと己の身ひとつあれば、となってしまいます。書く必要がない内容ですね。
そもそも、旅のしおりのメインの内容は、主にレクリエーションの予定。仲村さんも母親と会う日程が決まっておらず、一緒にいくミヤビさんの予定も聞けていないので、何もかけずじまいなのも、さもありなんという感じです。
しかしそこで吉田さんが、しおりの内容についてナイスアイディアを思いつきます。それは、「旅の挨拶」。仲村さんの決戦がメインイベントということで、この旅を象徴するような抱負はないのか、と尋ねられます。
それをうけて仲村さんは「ビビらずハデに戦う!!」と打ち出しますが、「全体の客層意識してほしい」「ターゲットが狭すぎますねー」という商品会議のダメ出しのようなものをされてしまいます。
しかし単純なダメ出しではなく、その抱負が「過程」になっていることが気になる、という本質的な指摘も。その過程を経て、どういう「目的」にたどり着きたいかを抱負にすべきだというのです。
そして出てきた言葉が「き…きちんとした終焉を迎える旅…」という何とも暗いもの。
その暗い雰囲気のまま、仲村さんと吉田さんがハマっている「獣将王」の終わり方について話が脱線します。そして暗くなりつつも、空気を変えようと吉田さんが言ったのが、この言葉なのです。
それを聞き、母親との会合に向かう決意がついた仲村さん。果たしてラスボス感のある彼女と、どう決着をつけるのでしょうか?
- 著者
- 丹羽 庭
- 出版日
特撮やオタクの生態、愉快な人々の個性を通していくつもの名言を放つ『トクサツガガガ』。現在刊行されている単行本の各巻からひとつずつ、名言をご紹介しました。もちろん、ほかにも名言が潜んでいますので、みなさんも『トクサツガガガ』を読んで胸に響く名言を探してみてください!