本作は、青年誌「ヤングアニマル」で連載されていた、えりちんの作品です。漫画家(の卵)が主人公で、漫画業界をモチーフとした『バクマン。』のような漫画家漫画――かと思いきや、漫画家になるとは口だけで、一切漫画を描かないというギャグストーリーとなっています。 今回は、青春テイストもあるこの奇妙な漫画家漫画をご紹介。漫画アプリで無料で読めるので、おすすめです。
ナベこと渡部勇大は「器根田刃(きねだ やいば)」というペンネームを持つ、自称漫画家です。
漫画家といっても商業誌に連載もなければ、同人誌を発行しているわけでもありません。デビューはおろか新人賞に入選した経験もなく、それより何より、まず応募すらしたこともないのです。
- 著者
- えりちん
- 出版日
- 2010-11-29
彼は専門学校の漫画家養成コースに通う26歳の青年(開始当時)。もうすでにいい年をしている彼は、漫画家であると公言しつつ、漫画というものを一切描いたことがない「描かない漫画家」でした。
そうして漫画を描かない反面、彼はなぜか人を惹き付けます。それなりに慕われたり、拒絶されることで逆に意識されたり、才能ある若者に多少なりとも影響を与えていくのでした。彼自身には才能の片鱗が欠片もないにも関わらず。
漫画を描かないのに漫画家と言っていいのか?そもそも漫画家ではないのではないか?さまざまな矛盾と疑惑を孕みつつ、彼の自称漫画家生活がコミカルに描かれていきます。
漢字の意味に従えば、漫画家とは漫画を描き、それで生計を立てる職種のことです。ところが本作の主人公は、まったく漫画を描きません。
サブカル界隈では今も昔も「ワナビ」と呼ばれる、ある種の人々がいます。
ワナビとは「Wannabe」、すなわち英語で「~になりたい」という意味の「Want to be」を略したスラングです。つまるところ、何かを指向しつつまだ何者にもなりきれない、けれど夢だけはある者、とでもすればわかりやすいかもしれません。
重要なのは、ワナビは本来の意味からすでに変質して、中途半端な状態にある「なりたい」人の蔑称だということです。
『描かないマンガ家』とは、要するにそういったワナビな主人公の物語。基本的には1話完結形式のギャグ短編で、毎回のように漫画を描く姿勢を見せながら、絶対に描くことはないというスタイルが続いていきます。
その主人公のワナビさが、とにかく強烈な個性なのです。妄想逞しく、夢だけは人一倍あります。それだけならまだしも、ビッグマウスの口だけ番長で、大言壮語という言葉を擬人化したようなキャラクターのために、始末に負えません。
通常、どんな人でも(それが主人公なら特に)やる気を喚起させられる出来事に出くわせば、前向きに物事に取りかかるか、最低でも取り組もうとはするでしょう。しかし渡部は、取り組もうとすらしません。何かと理由を付けて、描こうとしないのです。
テスト勉強前に掃除をしてしまうような、優先課題をないがしろにしてしまう経験は多くの人があると思います。心理学では、何かの目的を前にして失敗した時の予防線になるような行動をとってしまうことをセルフ・ハンディキャッピングと呼びますが、そういった心理的傾向は多くの人に共通のものです。とはいえ渡部の場合は、その度合いが尋常ではないのです。
その無茶苦茶で不合理なところが、面白おかしく描かれるのが魅力でしょう。
また、口ばかりの主人公だけに発言が大きく、彼自身はまったく大したことがないのに、発想のスケールとポジティブさによって、他人に大なり小なり(無意識に)影響を及ぼすのも面白い点です。
漫画はおろか課題のネームすら描いたことのない専門学生・渡部勇大。現実から目を背け、似た境遇の仲間とつるんでは漫画家気分に浸る毎日に、それなりに満足していました。
夢だけは大きく、一流漫画誌「少年ダンプ」で漫画の神様の名を冠した賞を獲ること。漫画家の卵は、漫画家と近いようで限りなく遠い世界だからこそ、そんな妄想が可能でした。
- 著者
- えりちん
- 出版日
- 2010-11-29
しかしある日、そんな日常が脅かされる事件が起こります。同級生の小沢が初投稿、初デビューを飾ってしまったのです。
渡部は所詮天下のダンプではなく、マイナーな青年誌に載っただけと誤魔化しますが、本気で取り組んで成果を上げた人物との差は歴然。第1話にして主人公最大のピンチです。ここでやらなければ男が廃る。さすがのワナビもペンを執るかと思われますが……?
リアクション芸は必見です。
渡部と同じく漫画家養成コースに通う長妻志穂は、彼を反面教師として、しっかり現実に向き合う女性です。内心ではほんの少し渡部(の時々いいことをのたまうところ)を買っているのですが、彼と思わぬ出来事を経た結果、勢いに任せてそのネタをうっかり投稿してしまいました。
- 著者
- えりちん
- 出版日
- 2011-07-29
その結果、彼女は見事に佳作を受賞。現役生で2人目のデビューとなりました。面白くないのは渡部と長妻自身。渡部はいつもの僻み根性で、長妻は実体験ほぼそのままの話を汚点として後悔し始めます。
互いに思うところもあり、現役編集者が来校するという話を聞いて、売り言葉に買い言葉で、2人は漫画勝負をすることになりました。
ひたすら漫画と真摯に向き合う長妻と、エゴが肥大化したかのような渡部の対比が秀逸です。彼女の苦悩を見ていると、ちゃんとした漫画家漫画を読んでいる気になってきますが、空気を読まない渡部がいかにぶち壊しにするかが見所でしょう。
毎回毎回、描く描かないので一波乱ある渡部ですが、今回はひと味違います。ここに賭ける覚悟と意気込みが、これまでとは決定的に異なるのです。
1年も半年を過ぎかけたある日、27歳の誕生日が目前に迫っていることに渡部は気付きました。彼はちょうど1年前の誕生日、26歳のうちに必ずダンプでビューするという自己公約を立てていたのです。
- 著者
- えりちん
- 出版日
- 2012-04-27
描かない漫画家の卵である渡部も、これにはさすがに火が付きました。いつもの先延ばしをお約束として挟みつつも、学校まで休んでドタバタあがき始めるのです。
仲間達の生ぬるい声援を受け、約2週間執筆に専念。ダンプ編集に予約した持ち込みの当日、ついに原稿が……?
ここまで煽ってなんですが、タイトルが『描かないマンガ家』ということをくれぐれもお忘れなく。
渡部の大学時代の後輩で、現在は同じく漫画家養成コースに通う岡田満希という女性が出てきます。少女漫画誌「少女パール」に投稿するなど、意欲的なところがこれまで描かれてきました。
今巻では、パール編集者のツテで、彼女が超売れっ子漫画家・枝野カンナの5千万部突破記念パーティに招待されるのですが……そこへ呼ばれてもいないのに、勝手についていくのが渡部という男です。
- 著者
- えりちん
- 出版日
- 2013-01-29
いつものように業界人を気取ってパーティに溶け込む渡部でしたが、会場の思わぬ場所で、なかなかの美女と思わぬ出会いを果たします。大言壮語が奇跡的に噛み合った2人は意気投合。その美女こそ、実はパーティの主役たる5千万部作家・枝野カンナその人だったのです。
まさかまさかの展開の連続。ワナビ渡部が、なんの因果か売れっ子作家とお付き合いする流れに発展していきます。その気になる理由と、2人の交際に注目です。
枝野カンナこと、本名・野方佳奈子。本物の売れっ子作家との付き合いをとおして、渡部は現実と才能について直視せざるを得なくなっていきます。それでも頑なに描かないのが彼です。
本巻はまさに、そんな彼にとっての分かれ道ともなる、重要なエピソードが収録されています。
- 著者
- えりちん
- 出版日
- 2013-08-29
季節は巡り、専門学校の卒業間近。すなわち卒業制作の時期です。
ことここに至って、枝野との関係で傷心した渡部は、漫画家養成コースでイキリちらそうとするのですが……彼が青春にうつつを抜かしていた間に、長妻は「少年パワーズ」で連載準備、岡田は「少女パール増刊」にデビュー作掲載と、大きく差をつけられていました。
うちひしがれる間もなく、どんどん卒業は近付いてきます。果たして渡部の取る道は?ニート同然の身分が、本当にニートとなるのか、はたまた……。
専門学校の岐路に立った渡部は、卒業制作の提出を迫られるなか、思い切った行動に出ました。そんな行動に出ても、まだ言い続ける「ダンプ連載準備中」。ここまで極まると、もはや天晴れといったところです。
- 著者
- えりちん
- 出版日
- 2014-04-28
それからしばらく時が流れ、すっかり人の変わった渡部は長妻の連載作『絶壁のアライゲンガー』を読んだことで、物申すため彼女のスタジオを訪れます。連載に行き詰まっていること、漫画への情熱が失せていること。渡部のそうした指摘は、長妻の現状にぴったりと当てはまっているのでした……。
ここにきて『描かないマンガ家』は初期に会ったギャグ漫画のノリがほとんどなくなります。あるのは漫画業界という厳しい世界に身を置いた、若者達の苦悩です。その世界の内側で足掻く者達と、外側で燻る渡部。
彼らは一体どうなっていくのでしょうか。
漫画を描かない漫画家漫画、ついに最終巻。
一念発起した渡部は、とうとうペンを執りました。出来るだけの力を込めて、作品を完成させたのです。持ち込む先は、もちろん「少年ダンプ」。
- 著者
- えりちん
- 出版日
- 2014-12-26
彼はこれまで、自分の才能を疑ってきませんでした。天性の才能があると信じていました。それは、疑わないように目を逸らしてきたからです。その事実と保身を指摘され、ようやく動いたのでした。
漫画に注がれた青春の挫折と、成長の軌跡、その最後の1ページがここにあります。「描かない漫画家」を描いてきた本作の最後は、どういった風に描かれるのでしょうか。また、渡部は自由な妄想家から、あらゆるしがらみと制約に縛られる「描ける漫画家」となれるのでしょうか。
最後の最後まで必見です。
いかがでしたか?本作は問題を先延ばしにした挙げ句、こじらせてしまった青年の反面教師的成長譚とも読めます。そう考えると、小憎らしい主人公に多少愛嬌が感じられるかも?