5分でわかるピラミッド!歴史や建設の目的、内部構造、作り方など謎を紹介

更新:2021.11.16

人類史上もっとも有名で、もっとも謎に満ち溢れている建造物「ピラミッド」。いまだに明らかになっていないことも多く、人々を惹きつけてやみません。この記事では、歴史や作られた目的、内部構造、作り方、世界七不思議とされているクフ王のピラミッドなどを解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。

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ピラミッドの歴史。4500年以上前にエジプトで作られた!

 

巨石を四角錐状に積み上げて築造された建造物、ピラミッド。エジプトでは、古代に作られた約140基が発見されています。

綺麗な四角錐の形をしているものをイメージする方が多いかと思いますが、発見されているものの多くは階段状に石を積み重ねていく方式で築造された「階段ピラミッド」です。

エジプトのほかにも、中東や中南米などで発見されています。また日本でも人によって加工された形跡がある山がピラミッドなのではないかという説があるのです。

「ピラミッド」という言葉の由来は、ギリシャ語で「三角形のパン」という意味の「ピューラミス」という言葉です。日本語では「金字塔」と訳されることもあり、後世に残る立派な業績や作品などの意味で現代でも用いられています。

世界でもっとも古いピラミッドといわれているのが、紀元前2600年代に第3王朝のファラオだったジェセルが築いたものです。設計したのは、知恵の神トトの神官でジェセルの宰相を務めていたイムホテプという人物だといわれています。階段状で、高さ62m、縦横ともに100mを超える大きさのものでした。

その後第4王朝になると、スネフェル王時代に勾配の角度が途中で変わる「屈折ピラミッド」が登場。やがて綺麗な二等辺三角形の形をした「真正ピラミッド」へと変化していきました。

もっとも有名な「ギザの大ピラミッド」は、スネフェル王の次代であるクフ王が築いたものです。紀元前2560年頃に作られました。クフ王の息子であるカフラー王のもの、孫のメンカウラー王のものと合わせて「ギザの3大ピラミッド」と呼ばれています。

エジプトで最後に作られたものは、紀元前1500年代に活躍した第18王朝のイアフメス1世によって築造されたものです。

クフ王のピラミッドは世界七不思議のひとつ

 

紀元前2560年頃にクフ王が建造したギザの大ピラミッドは、元々の高さが146.59m(現在は138.74m)、底辺が230.37mという大きさのもの。重さ2.5tもある巨石を約280万個積み上げて築造されています。数字だけではわかりづらいですが、が東京ドームの2.5倍以上あると考えると少しは想像がつくでしょうか。

約20年間で作られたことがわかっていて、これほどの規模の建造物を、短期間でどのようにして完成させることができたのか、その建設法を巡ってさまざまな説が議論されています。

その石積みの技術は非常に高度なもので、底辺の長さの誤差は20cm、東西南北に垂直に交わっている四辺の誤差は100分の5度しかありません。1311年にイギリスでリンカン大聖堂が建てられるまで、世界でもっとも高い建造物でした。

ちなみに1800年代に、王の間の上部に空間があることがわかりその最上部には当時建築に携わった人々が残したと思われるいたずら書きが発見されています。そのなかに「クフ王」の名があったことことから、彼のピラミッドであると考えられているのです。

また、紀元前400年代に古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが著した『歴史』にも、「クフ王のピラミッド」とする記述が残っています。

さらに紀元前225年頃に、古代ギリシャの数学者であり旅行家でもあるフィロンが提唱した「世界七不思議」にも、バビロンの空中庭園やオリンピアのゼウス象、ロドス島の巨像などとともにギザの大ピラミッドが選ばれています。「世界七不思議」の多くは、地震や人為的な破壊によって消失していて、現存するのはギザの大ピラミッドのみなのです。

ピラミッドが作られた目的は?

 

ピラミッドが作られた目的としてもっとも有名なのが、「王墓説」でしょう。ただ肝心のミイラがほとんど見つかっていないことや、別の場所で王の墓が見つかっていることなどから、この説を否定する意見もあります。築造されてから発見されるまでの間に盗掘されているケースも多いようで、判断が難しいというのが現状です。

もうひとつ、ナイル川の氾濫によって農作業ができなくなったため、農民を労働力として用い給料を支払うことで救済した「救済土木事業説」という説もあります。

ちなみにピラミッドの近くからは、築造に携わった人々が生活していたとみられる街も発見されました。ヘロドトスの『歴史』には、奴隷を酷使して無理やり作らされていたという記述もありましたが、実際の作業員たちは家族で暮らし、報酬をもらい、パンやビールを口にしていたことがわかっています。

勤怠管理はしっかりしていて、たとえば家族のミイラ作りを理由に休日を取得する、いわゆる慶弔休暇もありました。なかには二日酔いで休んだ人もいるそうです。

そのほかピラミッドが造られた目的としては、「日時計説」「穀物倉庫説」「天体観測施設説」などさまざまな機能をもつ建造物だといわれていました。どれも詳しいことは明らかになっていませんが、死者の領域だと考えられていたナイル川西岸に立地していること、周辺に葬祭殿や付属の墓地群などが発見されていることなどから、葬礼と何らかの関係があるのはほぼ間違いないだろうとされています。

ピラミッドの内部構造はどうなってる?作り方も謎だらけ

 

ピラミッドの中には「王の間」「女王の間」「大回廊」「控えの間」「未完の地下室」などの空間や、それらを繋ぐ通路があります。まだまだ隠された空間がある可能性は高く、現在でもさまざまな調査がおこなわれています。

最近では1993年にクフ王のピラミッドで、これまで通気口だと考えられていた「女王の間」から伸びる通路の先に、青銅製の取っ手が付いた扉があり、その奥にも空間が広がっていることが発見されました。エジプト考古学庁長官のザヒ・ハワス博士は、この空間がクフ王の玄室に繋がっているのではないかと考えています。

ピラミッドを形成している石の素材は、石灰岩と花崗岩です。石灰岩は500mほど離れた場所にある石切り場で切り出されたものと考えられていますが、花崗岩はギザ周辺にはありません。ナイル川を約1000km遡った場所にあるものを、船などで運んでいたようです。

具体的な作り方についてもわかっていないことが多く、いくつかの説が提唱されています。代表的なのは、緩い傾斜をつけた直線通路を作り、ソリのようなもので石材を引きあげる「直線傾斜路説」や、ピラミッドの外周に沿ってらせん状の傾斜通路を作った「らせん傾斜路説」などです。

ただ石の重さは平均で2.5t。大きさは均一ではなく、上段になるほど小さくなっていきます。また王の間や女王の間には60tもの巨大な石が使われていました。

これらの石を切り出し、運び、積み上げる作業員や、傾斜路を作る作業員、道具を作る職人、彼らの身の回りの世話をする人など、あわせて約2万人の労働者が必要だったと考えられています。

初心者におすすめの入門書

著者
河江 肖剰
出版日
2016-12-16

 

テレビ番組などにも出演している考古学者の河江肖剰が、最新のピラミッド研究についてわかりやすく解説した作品です。河江は、エジプト研究の第一人者であるマーク・レーナー博士のチームに参加し、10年以上現地で発掘活動に携わってきました。

タイトルにあるように、基本的な知識をしっかり押さえているほか、最新の科学技術を用いて明らかになったこと、いまだに残っている謎などが紹介されています。写真やイラストも豊富なので、イメージを膨らませながら読むことができるでしょう。

古代エジプトやピラミッドに興味を抱いたら、最初に手に取るのにおすすめの一冊です。

もしもピラミッドが現代の街にあったら

著者
["柏木 裕之", "米澤 貴紀", "伏見 唯"]
出版日
2013-08-01

 

「もしも現代のビル群のなかにピラミッドをたてたら……」

歴史に「もしも」は禁物といいますが、本書は科学的根拠をもとに妄想の世界を実現。エジプトのピラミッドだけでなく、万里の長城や出雲大社なども取り上げられています。

現代の世界に当てはめることで、歴史的な事実をイメージしやすくなるのが魅力でしょう。構造や仕組みを楽しく理解できるので、歴史に興味をもちはじめた人にぴったりの一冊です。

ピラミッドはエジプトだけに留まらず、人類全体にとってまさしく「金字塔」と呼べる存在ではないでしょうか。多くの謎に包まれ、築造から4500年以上経った今でも人々を魅了してやまない存在です。謎が解き明かされる時は来るのか、どんな人が何のためにどうやって築き上げたのかを考えると、心が躍るでしょう。ピラミッドに興味をもった方は、ぜひ紹介した本を読んでみてください。

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