5分でわかるインカ帝国!マチュピチュの謎、ミイラ信仰、滅亡の理由等を解説

更新:2021.11.16

15世紀から16世紀にかけて、南米の地に栄えた「インカ帝国」。その遺跡マチュピチュは、世界遺産にも登録されています。この記事では、帝国の隆盛の歴史や人々がどんな暮らしをしていたのか、マチュピチュやミイラ信仰の謎、滅亡の理由などをわかりやすく解説していきます。あわせてより理解が深まる本も紹介するので、ぜひご覧ください。

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インカ帝国とは。時代や場所、建国者など概要を紹介

 

1438年、前身となるクスコ王国を、ケチュア人の皇帝パチャクテクが再編したことで始まったインカ帝国。1533年にスペイン人の征服者フランシスコ・ピサロに滅ぼされるまで、約100年間栄えました。

現在の南米に位置し、最盛期の領土はペルー、ボリビア、エクアドルを中心に、チリ北部と中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまでおよびました。約80の民族を支配し、人口は1600万人もいたといわれています。

インカ帝国という名前はスペイン人がつけたもので、ケチュア族の言葉では「タワンティン・スウユ」といいます。「タワンティン」は「4」、「スウユ」は「州・国」を意味するものです。首都であるクスコを中心に、北のチンチャイ・スウユ、東のアンティ・スウユ、南のコジャ・スウユ、西のクンティ・スウユの4つの国が緩やかに結合する連邦制国家でした。

公用語はケチュア語で、国教は太陽崇拝。「インカ道」と呼ばれる道路網を整備し、精強な軍隊と官僚組織をもって広大な領土を支配していたといわれています。

インカ帝国の暮らしや文化を紹介。言語、政治、ミイラ信仰、食べ物など

 

ケチュア語という公用語はあったものの、文字はもたなかったインカ帝国。その代わり、「キープ」と呼ばれるものを使用していました。これは縄の結び目などで数字を示す表記方法ですが、複雑な文章を表現することはできなかったようです。また教育は、貴族階級の者のみが受けることが許されていました。

帝国を構成する4つのスウユは、いくつかの「ワマン(県)」に分けられ、ワマンはさらに1万人ごとに「ウニュ(村)」に分割されます。

インカ帝国成立前から支配者階級だった者は、帝国への従属と引き換えにウニュの長になることができましたが、ワマンやスウユの長にはなれませんでした。これらの地位には、太陽神の化身たる皇帝の血を引く上級貴族たちが任命されたといいます。

土地・鉱山・家畜などの資産は、貴族であっても私有は認められていませんでした。これらは「アイリュ」と呼ばれる共同体で管理され、生産物を徴収する形で徴税がおこなわれていたのです。税は寡婦や老人、孤児などの社会的弱者に再分配されたり、飢饉の際に放出されたりと、社会主義によく似た仕組みがとられていました。

またインカ帝国では、広くミイラが信仰されていました。もともとは西海岸部の砂漠地帯の人々が信仰していて、インカ帝国がこの地域を支配下に置いた際に、現地の文化を取り込んだといわれています。

歴代の皇帝は死後にミイラとなり、皇帝に仕えていた者は生前と同じようにミイラに仕えることでその地位が保障されました。皇帝はミイラになっても生前の領土をそのまま保持すると考えられていたので、新しく皇帝になった者は新たな自分の領土を得るために遠征をくり返し、帝国の領土は急速に拡大していったのです。

もうひとつインカ帝国に伝わるものとして、生贄を神に捧げる儀式があります。「カパコチャ」と呼ばれるもので、飢饉が起きた時や、皇帝が崩御した時におこなわれていました。1999年には、アンデス山脈の山中から、約500年前に生贄に捧げられたと思しき3体の子どものミイラが発見されています。ふっくらした肌で心臓や肺に血液が残っている状態だったことから、まるで数週間前に亡くなったようだと大きく話題になりました。

このミイラを解剖したことによって、インカ帝国の人々が主にトウモロコシやジャガイモを食べていたことがわかっています。また高山病に対する気付け薬として、コカの葉や、トウモロコシが原料の「チチャ」と呼ばれるお酒も口にしていました。

そのほか、各家庭でクイと呼ばれる大型のネズミを飼育し、祭礼などの際に食べていたそうです。国土の多くが高地だったため、魚を口にできるのは貴族階級など特権階級の者に限られていました。

インカ帝国の遺跡、マチュピチュは謎だらけ!

 

インカ帝国の遺跡であり、現在は世界遺産に登録されているのが「マチュピチュ遺跡」です。標高2430mもの高地にある都市の跡で、1911年に、アメリカの探検家ハイラム・ビンガムによって発見されました。ちなみにビンガムは、映画「インディ・ジョーンズ」のモデルとなったことでも知られています。

インカ帝国は文字をもたず、スペイン人に征服されたことによって口頭伝承の類も消失してしまったので、マチュピチュ遺跡には多くの謎が残されたままになっていて、現代版の「新・世界七不思議」にも選出されました。

遺跡を作ったのは、インカ帝国を建国したパチャクテクだといわれています。彼は、マチュピチュ遺跡のほかにも、オリャンタイタンボ遺跡やサクサイワマン遺跡など、多くの優れた建造物を遺したことでも知られています。

しかし、なぜパチャクテクが高地にマチュピチュ遺跡を作ったのか、その理由はわかっていません。敵に見つからないようにするためという説や、太陽神を崇拝するため、皇帝の離宮・避暑地にするため、生贄の処女たちをかくまうため、農業試験場にするためなどの説がありますが、いずれも決め手に欠ける状況です。

マチュピチュ遺跡には階段畑が作られ、水路が張り巡らされているのですが、水源は見つかっていません。さらに、遺跡を構成する10tもの巨石をどう運び、どう加工したのか、どうやってほとんど隙間なく積み上げることができたのかなど高度な建築技術についても解明されていないことが多くあります。

そして最大の謎は、マチュピチュ遺跡で暮らしていた人々はどこに消えたのか、というものです。最盛期には750人ほどの人々が生活していたと推測されていますが、発見された時には無人でした。

スペイン人に発見されて皆殺しにされたことも考えられますが、スペイン側の記録には、マチュピチュ遺跡のような高地の都市を発見したというものは残っていません。火災が起きた跡はあるものの、破壊された形跡がないのも不思議です。

いまだに多くの謎が残されているマチュピチュ遺跡。だからこそ現代の人々の心を惹きつけるのでしょう。

インカ帝国が滅亡した理由とは

 

インカ帝国を滅ぼしたのは、スペインの征服者(コンキスタドール)だったフランシスコ・ピサロです。しかし彼らの兵力は、わずか168名の兵士と大砲1門、27頭の馬しかありませんでした。

なぜそれだけの力でインカ帝国を滅ぼすことができたのでしょうか。それは、彼らがやってくるより前に、すでにインカ帝国が弱体化していたからだと考えらえています。

その原因となったのが、「天然痘の流行」と「内戦」です。スペイン人によってコロンビアに持ち込まれた天然痘は、インカ道を伝って帝国全土に蔓延しました。わずか数年間で、人口の60~90%が死亡したと考えられています。これは計算すると960万~1440万人となり、その規模の大きさが実感できるでしょう。

天然痘により、皇帝ワイナ・カパックと皇太子のニナン・クヨチが相次いで亡くなると、ワイナ・カパックと正妻の子であるワスカルと、側室の子であるアタワルパが帝国を分割して継承します。

しかし正妻の子である自分こそが正統なインカ皇帝であると考えたワスカルが、アタワルパに服従を要求。アタワルパがこれを拒否したことから、内戦が勃発してしまいました。結果は、アタワルパがワスカルを破り、インカ皇帝を宣言します。

そんな彼の元へ、スペイン人の神父であるピサロとバルベルデが訪れました。スペインへの降伏とキリスト教への改宗を要求しますが、アタワルパは当然拒否。するとスペイン人は、アタワルパの態度は神を冒涜するものだと糾弾し、1532年に奇襲を仕掛けます。

「カハマルカの戦い」と呼ばれる2時間ほどの戦いの結果、スペイン側は7000人以上のインカ兵を殺傷し、アタワルパを捕縛しました。さらにピサロは、ワスカルを暗殺したうえで、それをアタワルパの仕業として処刑。事実上のインカ帝国の滅亡となりました。

この後、スペインは傀儡の皇帝を立て、インカの地を支配することになります。

インカ道から歴史を読み解く

著者
高野 潤
出版日
2013-01-24

 

「すべての道はローマに通ず」といわれたローマ街道、ユーラシア大陸を横断するシルクロード、日本の五街道や熊野古道……人類の歴史において、「道」はとても重要な役割を果たしてきました。

「道を見れば国が見える」といわれることもありますが、インカ帝国においても、横無尽に張り巡らされたインカ道に注目すれば、在りし日の帝国の面影を感じることができるかもしれません。

作者の高野潤は写真家で、全長3万kmにおよぶインカ道を実際に歩き、遺跡や都市を訪れました。本書を読むと、数多くの写真とともに、インカ帝国の文明を知ることができるでしょう。広大な帝国を支配するために作られたインカ道ですが、いかに合理的に考えられていたかもうかがい知ることができます。

写真とともに歴史的な事柄についてもしっかりと解説されているので、インカ帝国について学びたい方にもおすすめの一冊です。

インカ帝国とスペインの歴史

インカとスペイン 帝国の交錯 (興亡の世界史)

2008年05月20日
網野 徹哉
講談社

 

学校の授業で習う歴史は、「インカ帝国がスペインの征服者によって滅ぼされた」という結果だけで、そこに至るまでの経緯についてはほとんど触れられることは無いのではないでしょうか。

本書では、19世紀にスペインから南米諸国が相次いで独立していくまでの歴史を扱っています。インカ帝国の隆盛にはじまり、スペイン人が支配してきた際に敵側についた人々がいたこと、帝国が滅びた後もインカの魂が引き継がれていたことなど、新たな発見があるでしょう。

中立の立場で歴史的事実を語っているので、南米の歴史をより深く、詳しく知りたい方におすすめの一冊です。

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