直木賞作家車谷長吉
車谷長吉(本名車谷嘉彦)は1945年に兵庫県姫路市に生まれました。中学時代は県下一の進学校を目指しますが、あえなく失敗。自暴自棄になっていた高校生活の最中に夏目漱石や森鴎外の著書を読み、文学に目覚めます。
その後、慶応義塾大学に入学。大学時代に読んだ嘉村礒多の本に小説家という道を見出します。小説家になるという願望を抱いた車谷でしたが、卒業後は生活のため広告代理店へ就職。サラリーマンとしての生活に世間の醜さを感じ、鬱々とする日々を過ごす中、処女作『なんまんだあ絵』が文芸誌『新潮』の新人賞候補に。これを機に会社を辞め、本格的に小説家を目指すことを決めます。このとき車谷長吉二十八歳。
しかしこの後、これといった作品を生み出せない苦悩の時期がやってきます。この世に希望を見出せなくなった車谷は下足番、料理屋の下働きなどの職を転々とします。その間も小説家になるという目標をあきらめることはありませんでした。ついに『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞を受賞したとき、処女作の発表より実に二十六年が経過していたのです。
まさに人生をかけて小説を書いた男、車谷長吉。そんな彼の姿を浮き彫りにしてくれる著作をご紹介します。
車谷長吉の半生を読みたいならこの本
この作品は車谷長吉の自伝的小説です。この本はいわば彼の半生を丸ごと書き収めたものになっています。
主人公の生島嘉一は若いころから西行や一休宗純といった「世捨人」の著書にひかれ、いつか自分も「世捨人」として生きたいという願いを抱きながら、ついに果たせず、ずるずると人生を生きている男です。
慶応大学を卒業しながら、最初に就職した広告会社の栄転を蹴って辞表を出し、総会屋の隠れ蓑として設立された左翼新聞社に転職。その後もごみ収集員、下足番、料理場の下働きと仕事を転々とします。
これは車谷長吉の人生そのものです。特に一度小説が新人賞候補に上がったものの、その後はさっぱり目が出ないのに、小説への未練を断ち切れず苦悩する様。長く世に知られることのなかった不遇の作家車谷長吉の姿がここに書かれています。
- 著者
- 車谷 長吉
- 出版日
またこの作品には「世捨人」になりたいという、現代社会になじめない多くの人が抱えている隠れた願望が生々しくかかれています。
物語序盤で、生島は高校で同級生だった僧侶を訪ね、仏門への道を探ろうとします。しかし、寺で聞いた話は想像を絶する過酷なものでした。朝、昼、晩と用意されるのは飽食の時代には信じられないほどの粗末な食事。テレビも新聞もなく、夏は藪蚊に、冬は寒さに耐えての座禅修行など、生半可な気持ちではとても務まらない生活を聞き、生島はそれに耐えきれるのか自問自答を続けます。俗世への絶望を抱きながら結局世を捨てるまでに至れないという矛盾が、激しい自己嫌悪になって生島に襲い掛かります。そんな自分を現した言葉がタイトルの『贋世捨人』というわけです。
この小説が出たのは車谷が直木賞を受賞した後です。栄光を味わった後に、これだけ自分の不遇の過去を露出して書けるというのは凄いことだと思います。車谷長吉を知るためには欠かせない一冊といえるでしょう。
車谷長吉の家族について知りたいならこの本
『鹽壺の匙』には車谷長吉の作品でたびたび登場する親族にまつわる物語が収録されています。
「なんまんだあ絵」は小説新潮の新人賞候補になった作品で、おみかさんという車谷の田舎の祖母の話です。この作品は彼が小説家を目指すことになったきっかけとなった記念的作品ですが、そこから車谷の苦悩が始まるわけです。この辺の事情は『贋世捨人』を読むとよくわかります(おそらく『贋世捨人』の中に出てくる「田舎の葬殮準備」という作品のモデルがこの「なんまんだあ絵」だと思われます)。
田舎の老婆おみかさん、孫は都会にでていますが、彼の帰省中にぜひとも縁談をまとめたいと願っています。そして、それをきっかけに自分の死の準備もしてしまいたいとも思っているのです。この死の準備を周りに気が付かれず、そっとやってのけたいおみかさんですが…。死が身近にせまっているものの日常にはっとさせられる作品です。
- 著者
- 車谷 長吉
- 出版日
- 1995-10-30
「鹽壺の匙」は車谷長吉の叔父宏之が若くして自殺した過程を淡々と描いた作品です。この中で車谷は自分の家系をさらしています。曾祖父と祖母が金貸しで(今の闇金に近く、銀行などではお金を借りられない人にお金を貸していたそうです)、極道との渡り合いもある家庭でした。そして曾祖母のむめおばあさんの暗い過去。これらのじっとりとした背景の中に叔父宏之を書くことで、車谷長吉の屈折した世界が浮かび上がってくるようです。叔父が首を吊ったシーンの描写はあっさりしていますがすさまじく印象的です。
他、実父のことを書いた「吃りの父が歌った軍歌」も収録されています。