記憶を操作する力があったら何に利用するでしょうか。そんな特殊能力があるが故に、運命に翻弄されてしまう少年たちを描いた三宅乱丈『ペット(PET)』。独特な世界観にファンの多い本作は、2019年にアニメ化が決定し、さらには舞台化も予定されているようです。 この記事ではそんな原作漫画の見所を、徹底紹介!ネタバレを含みますので、ご注意ください。
2020年にはアニメ化もされた漫画『PET』。TK from 凛として時雨がオープニングを歌い、話題となりました。
『ペット(PET)』は、時代設定が明確になっていません。携帯電話が登場する場面もあるため、おそらく作品が連載された当時に近い2000年代前半でしょう。日本が舞台の物語です。特殊能力が登場する作品は数多くありますが、本作の特徴はなかでもかなり独特な設定と特殊能力を持つ登場人物たちの人間関係が繊細に描かれていることです。
他者の意識に侵入することで、記憶の改ざんや消去をおこなうことができる能力者が存在する世界。記憶操作能力者であるヒロキは、保護者のような存在である司とともに中国人マフィアが管理する「会社」に所属し会社の都合のいいように人の記憶を変更する「潰し屋」として働いています。
- 著者
- 三宅 乱丈
- 出版日
- 2009-10-26
潰し屋の仕事は、人間の記憶を操作して改ざんをする以外にも、「ヤマ」や「タニ」と呼ばれる、人間の記憶のなかでも最も大切な2つの要素を破壊することで、廃人にすることもありました。ヒロキは他者の記憶に侵入するとき、自身が金魚になるイメージを持っています。ヒロキのように、イメージを持つ能力者を、会社は蔑称として「ペット」と呼んでいるのでした。
2人は会社のために潰し屋として働いてきましたが、殺人をもいとわない会社の姿勢にヒロキが耐えられなくなってきた頃、司ともかかわりの深い、会社から逃亡していた元社員の林が、ペットたちを救い出すために動き出します。
ペットの能力がかなり独特で、専門用語も多めですが、能力が絵で表現されるため、難しく感じることはないでしょう。記憶に入り込んでいくシーンは、とても幻想的で、殺伐とした背景を忘れそうになります。本作で描かれている登場人物たちの絆は、通常の人間関係とは違い能力が深くかかわることで生まれているため、より関係を濃密に感じることがでるでしょう。
*用語についてはのちほどご説明します。
本作の主人公は、記憶を操作する能力を持った少年、ヒロキ。天真爛漫な性格で、会社に所属して潰し屋として働いています。記憶にシンクロする際に使用するイメージは金魚。自身が金魚になり、記憶の中に飛び込んでいきます。
ヒロキが絶対的な信頼を寄せ、いつか一緒にまともな生活をしたいと望んでいる相手が司です。司はヒロキのヤマ親であり、相手の記憶とシンクロする際は、水をイメージしています。司ももとはをヤマ親とするペットでしたが、ある事情で引き離された過去を持っています。
悟は、ヒロキや司と同じ潰し屋の少年。子どもの頃に能力を発見され、会社で育てられました。林をヤマ親としていますが、2年前から連絡がとれておらず、ヒロキたちと行動をともにしながら帰りを待ち続けています。悟がイメージするのはドアです。
多くのペットに影響を与える存在として登場するひとりが、林。他のペットの行く末を案じており、潰し屋たちを救うために組織から離れました。林は風をイメージし、記憶に侵入していきます。
そしてペットたちに大きな影響を与えるもうひとりの人物が桂木。会社の社員で、以前は司をペットとして使っていたという古株です。イメージすることはできませんが、催眠術を使用しています。彼は林も関係するとある過去の出来事から、感情が欠落したような性格となってしまいました。
さて、先ほどからたびたび登場するキーワード、ヤマやタニ、についてご説明しましょう。本作の見所のひとつは何といってもこの独特の設定なのです。
記憶を操作するという能力を使用する作品は他にもありますが、キャラクターの個性を際立たせるものという扱いが多いのではないでしょうか。本作ではキャラクターの能力自体にフォーカスして物語が作られており、作品の主軸を担っています。
まず、人間は「ヤマ」と「タニ」という記憶の「場所」を持っていると言われています。「ヤマ」とは、その人にとって最も尊く、大切な記憶がある場所。その人の心を支え続ける記憶です。そして他者がここを置き換えたり、壊したりすると、記憶のすり替えや廃人化につながります。「タニ」とは、まさしくヤマとは正反対で、人の心を痛めつける、辛さや恐怖を感じた記憶のある場所のことを指します。こちらも他者に手を加えられると人格に変化が起こってしまいます。物理的な接触を介して行われます。
記憶操作能力を持つ者たちは、その高すぎる精神性のせいか、自己と他者の境界線がわからず、記憶を区別することができません。そんな彼らにヤマを分け与えることで、記憶を区別する方法を教えるのが「ヤマ親」です。ヤマ親のおかげで自我を保てるようになった者は「ペット」なり、ヤマ親を慕いながら会社という組織の一員として働くのです。
ペットたちは、タニでヤマを取り囲むことで高すぎる精神性による感応を抑え、他者と自分の境界線を明確にし、自我を保っています。この防御策を「鍵」と呼んでおり、意図的にタニを与えられず、自己と他者との境界を失い、物理的な接触をせずとも、記憶に接触できる能力を持った者が、通称「ベビー」。精神遅滞の状態になっており、能力のみを会社に使われる存在です。
大切な記憶を分け与えてくれ、自我を保つ手助けをしてくれる存在だからこそ、ペットはヤマ親に信頼を寄せ、慕い続けます。この関係は作中で多く描かれ、物語により一層の深みを与える設定です。
ペットとヤマ親の特殊な関係から、本作には多くの強い絆で結ばれた人間関係が描かれます。また、そんな血のつながりではない部分での深い結びつきももちろんですが、それ以外にもどこか切なさを感じさせる人間関係を多く見ることができます。
そしてそんな心の交流が頭の中でイメージ化されるのですが、その描写が圧倒的なのです。
先ほどもお伝えしたように、ペットは接触した人間の記憶を操作することができます。記憶に侵入した際に触れるのが、その人の心の支えとして燦然と輝く大切な記憶、ヤマ。ペットたちがそれぞれのイメージで記憶に触れるのと同じように、ヤマは記憶と、記憶の持ち主のイメージで彩られます。
大切だからこそ、美しい景色で溢れているヤマ。記憶はその瞬間が切り取られるだけではなく、持ち主の感情やイメージが反映されています。
たとえば、母子家庭で育った少年が、実の父親に認知された時の記憶であるヤマのイメージ。草木に覆われた場所にいた少年が父親らしき男性に抱き上げられた瞬間、男性は木々を突き抜けるほどの大男になりました。肩車された少年の手は太陽に手が届くほどで、それだけ未来が開けた、明るい希望を感じさせます。
しかし本作は、誰かの心の支えである、美しい記憶を眺める作品ではありません。幸せな記憶を一転させ、つらい記憶に塗り替えていく姿も描きます。幸せな景色が消えさり、どこか寂しく暗い形式になっていく場面は、壊れていく人間関係を切なく描いています。
また、記憶の改ざんだけでなく、途中途中で描かれる、それぞれの交流をイメージ化したシーンも見所。4巻で司の怒りや苦しみが、うねる水で表現された様子などは、こちらまで落ち着かない気持ちにさせられます。一番大切な心の部分に直接触れて作り出されるイメージは、読者の心を揺さぶる力があるのです。
人の心と共感するせいか、どこか繊細さが感じられるペットたち。その中にあって、雑でちょっと不快な人物として描かれているのが桂木です。もともと司をペットとして使っていた人物です。
ヒロキや司からも、暗示にかかりやすく出し抜かれやすい男として認識されており、年下からもなめられてしまう場面もある彼。しかし、こういうキャラもいるよね、くらいに思っていると、予想もしなかった過去に驚かされ、涙腺を刺激されることでしょう。
桂木は複雑な家庭事情を持っており、他者を信用できない子供時代を過ごしました。他者に踏みにじられて生きてきた彼にとって、「おかえり」「ただいま」と当たり前に言いあえる家庭は、理想であり叶わぬ夢でした。
その夢を叶えたのは社長の妹であるレンレンでした。能力を持っていることが判明し、会社に所属するようになった時に初めて彼女と出会います。精神を破壊する能力を持っているが故に、情緒不安定であるレンレンを、誰もが腫れもののように扱っていましたが、本人は桂木に興味津々。心を開いて接してくる彼女に、桂木も徐々に惹かれていくのでした。
そこから交際が始まり、周囲に反対されていたものの、自分の家庭を作ることが夢だった桂木と結ばれたレンレン。ジンという娘がお腹にいることも分かり、これから幸せな日々が始まるかと思われたのですが……。
実はこの過去の真相こそ、桂木が雑で乱暴な性格になってしまった理由。その真相を知った時、ただ嫌な男だった彼に心を揺さぶられ、本作の人物描写の濃さと構成能力の高さを感じるでしょう。
本作は、2003年に「週刊ビッグコミックスピリッツ」にて連載されていた作品です。コミックス全5巻完結後の2009年、完全版『ペット リマスター・エディション』として、こちらも全5巻が発売されました。
『ペット リマスター・エディション』は新装版という扱いではなく、大幅な加筆修正がなされ、150ページにも及ぶ描き下ろしのクライマックスが追加されるなど、まさに完全版と言ってもよい内容、ボリューム。
前作が未完だったというわけではありませんが、描き切れなかったエピソードが存在していたことが伺えます。物語全体がブラッシュアップされ、より作品の完成度が高まりました。エピソードや設定に大幅な変化は加えられていませんが、ヒロキと司が、司本人のヤマを巡るというエピソード、そして2人の関係が大きな違い、見所です。
- 著者
- 三宅乱丈
- 出版日
- 2010-01-29
そんな本作の最後は、全てが丸く収まるハッピーエンドではありません。強い繋がりがあるからこそ、ヒロキと司に厳しい現実が待ち受けているのです。
記憶を共有することで生まれる、ペットとヤマ親の強固な関係は、実の親子や恋人といった結びつきとは異なる関係性を持っています。誰かがいるから自分が存在している。記憶操作能力によって結ばれた関係は、人が他者を強く思う気持ちをより強く、鮮やかに映し出しているようです。
ヒロキと司が迎える、美しくも切ない終焉は終焉は必見。他にも林が最後に関わるペットや隠されていた素性、悟の成長などが描かれるので、そちらもお見逃しなく。
ちなみに作者は全体を3部作として構想しているらしく、リマスター版は2部という位置づけなのだとか。その後に続く物語を想像しながら、それぞれの結末を読み比べてみるのも、面白いかもしれません。
濃密な世界設定と人間関係が物語を構築していく本作。独特な世界観と巧みな描写にのめり込んでしまうこと間違いなし。アニメ化に舞台化も決定している注目作。自分の記憶にはどんな景色が広がっているのか、思わず想像したくなる作品です。