「漫画の神様」の異名で知られる、手塚治虫。今回は、彼の作品の1つである『アドルフに告ぐ』をご紹介いたします。 この作品は、作者自身が体験した戦争の話も元にしており、その当時のドイツのナチスと、日本の神戸を舞台にして作られています。神戸は、手塚治虫にとって名残の地だそうです。 この記事では、そんな本作について徹底解説!
峠草平は記者の仕事の一環で、ドイツへオリンピックを見にいきます。その流れでドイツに住む弟・勲を訪ねることになるのですが、何やら勲は重要な話があると言ってくるのです。
しかし草平が勲のもとへついた時、そこにあったのは、何者かによって殺害された弟の遺体でした。それを見た草平は弟の仇をとるために、ドイツと日本を駆け回ることになります。
時を同じくして、日本ではユダヤ人のアドルフ・カミルと、ドイツと日本のハーフであるアドルフ・カウフマンが、互いの友情を強め合っていました。しかし、それは思わぬ形でそれはしだいに歪んでいくこととなるのです。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 2010-06-11
ここでは本作の登場人物についてご紹介します。
最初に登場する草平は、自分で、私は主人公ではなく狂言回しだと告げています。ここで、3人のアドルフの物語であると言っているので、読者にアドルフ……ヒットラーが3人!?と疑問に思わせるのです。
さらに本作は、草平の弟である勲が何者かに殺されてしまうという、衝撃的な展開からスタートします。さらに、その事件を証拠づけるものが消し去られてしまうのです。それは勲が生活していた痕跡から遺体に至るまで、何もかもでした。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 2010-07-09
一方、日本では芸者・絹子が殺されるという事件が発生。この2つの事件は、まったく別の場所で起きていながら、ヒットラーの出生文書に関して共通点があるのです。
勲は、その出生文書そのものを持っていました。また絹子は、出生文書が隠された石像のうちの1つを所有していたのです。その石像は、世界に5つあるのみ。そのうち4つはフェイクで、1つだけが本物であり、出生文書が隠されているという仕組みなのです。そして、勲もこれを持っていました。
このように、シリアスでミステリアスな展開が、物語の序盤で広がっていきます。
この時点では、まさかそこに一国を左右するほどのものが存在しているとは、登場人物たちは夢にも思っていなかったでしょう。
この数々の謎や疑問で、読者を虜にしていくのです。
この物語に激流起こした張本人、アドルフ・ヒットラー。
ユダヤ人差別に疑問を抱き、幼いながらも本気でそれに染まることを否定していたのに、最終的にナチスに染められてしまう、アドルフ・カウフマン。
そして、気のよい性格で、日本文化を愛し、ユダヤに誇りを持って生きたユダヤ人であるアドルフ・カミル……彼らはその人生のなかで、何度も決断を迫られます。
ヒットラーは自分の力でドイツの頂点に立ち、何千人もの部下を従えていながら、常に孤独を背負って生きていました。
またカウフマンは、ユダヤ人との友情を誓いながらも「アドルフ・ヒトラー・シューレ」に入学。あるきっかけから友人がユダヤ人であることに対して、怒りを持つようになります。ここが彼の劇的な心情の変化であり、血に汚れた人生の始まりとなるのです。
そしてカミルは、ユダヤの敵ともいえるカウフマンにも親しくするような人間でした。しかし後にユダヤ帝国を築くため、アラブ民族との戦いで冷酷な一面を見せていくようになるのです。
歴史の波に飲み込めれていく彼らの運命とは……。それぞれの人生が時代の荒波に揉まれて変化していく様子に引き込まれます。
本作は1936年のベルリン・オリンピックから、1983年の47年間を描いており、その間の史実通りに、物語は進んでいきます。ナチスの興亡、ユダヤ人大量虐殺、第二次世界大戦、原爆の投下……また、「アドルフ・ヒトラー・シューレ」など実際に存在していた施設も、本作には登場しています。
ここで、もっとも重要となってくるのは、「ヒットラーはユダヤ人の血を受け継いでいる」ということ。
これは実際に存在した説の1つで、手塚治虫はこれを本作に取り入れました。しかし2018年現在では、この説はほとんど否定されています。ですので、この点に関しては、フィクションであると認識されることが多いようです。
実際のヒットラーがどうだったのであれ、この「フィクション」を取り入れることで、本作にドラマが生まれす。
作中では、ヒットラーがユダヤ人であるという事実があることで、彼の政権に苦しめられたユダヤ人たちや、当時のナチスに疑問を持つ共産主義者たちは、分かり合えるかもしれないという希望を見出します。しかし草平のように、それに巻き込まれた人間の肉親は、わけもわからず、それを恨むことになるのです。
そんななかでナチスを狙っている国家や、国力を上げようと躍起になる国は、その事実の証拠を手に入れるために大金をつぎ込みます。
実在しないフィクションとして登場するカウフマンは、その事実を知っても、ヒットラーに忠誠を誓い続けることになりました。彼はこの時代に生きる、正にヒットラーにとって「思い通りの手駒」として生きた人間なのです。
一方、同じく架空の人物であるカミルは、日本を愛し、ユダヤ人であることに誇りを持つ優しい人物でした。しかし後にユダヤ人の土地を守るため、アラブ民族と戦うことになります。彼もまた争いのなかで生まれた恨みに、支配されてしまったのです。
このような様々な人の思惑が渦巻く状況のなかで、ヒットラー自身も、孤独感や不安、緊張が増すことになり、巧みにフィクションを取り入れることによって、登場人物それぞれの苦悩が生まれ、物語を彩っていくのです。
史実どおり、ナチスは敗退。ヒットラーは亡くなり、1つの歴史の幕がおりました。
しかし、物語はまだ終わりません。
カウフマンはナチスの残党狩りから逃れ、やがてアラブ人と結婚し、家庭を持ちます。しかし、それもユダヤ人によるアラブ人への攻撃で、妻子を失ってしまうのです。
そのユダヤ人の指揮官をしていたのが、かつての親友アドルフ・カミルでした。カウフマンはそれを知るなり、復讐を誓います。反対するアラブ人の仲間に反撃までして、彼が配ったビラには、「アドルフに告ぐ」とプリントされていました。
そして彼らは、最後の決闘を始めるのです。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 2010-08-12
その数年後、草平は、彼の書く本にアドルフたちを登場させるために、カミルの墓参りにやってきます。その時には彼はもう年を取っており、カミルの妻であるエリザも、息子と2人で静かに暮らしているようでした。そして彼は、元記者の意地で、この本を書き上げたいと、その題名を2人に告げるのです。
かつての親友同士の決闘、そして年老いた草平……物語は、どのように終わりを告げるのでしょうか。その結末が気になる方は、ぜひ本作をご覧ください。