日本とアメリカの間で締結されている「日米地位協定」。在日米軍基地の問題とともに、しばしば争点となります。この記事では締結された経緯や内容、不平等といわれる理由や問題点をわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介していくので、最後までチェックしてみてください。
日本とアメリカで安全保障上の相互協力などを規定した「日米安全保障条約」。1960年に締結されました。「日米地位協定」は、この日米安全保障条約において駐留が認められた在日米軍について、細かい取り決めを定めたものです。
在日米軍と密接なかかわりがあるので、日本に米軍が駐留することになった経緯もあわせて説明していきます。
1951年、日本は第二次世界大戦の講和条約である「サンフランシスコ平和条約」に調印しました。しかし当時は東西冷戦が激化していて、アメリカはアジアにおける共産主義の防波堤となる国を求めていたのです。そして日本は、資本主義陣営の重要拠点とみなされていました。
「サンフランシスコ平和条約」と同時に「日米安全保障条約」が結ばれ、日本が独立を回復した後も米軍が駐留を続けることが決められます。「日米安全保障条約」の第3条にもとづき、在日米軍に関する配備の条件を定めるため、1952年に「日米行政協定」が締結されたのです。
しかし当時の「日米安全保障条約」は日本側の義務に偏った内容で、アメリカの内政干渉を招きかねないなど、いくつかの問題点がありました。それを問題視した岸信介内閣総理大臣は、1960年に条約を改定し、日本とアメリカの双方に義務を課す「日米相互協力及び安全保障条約(新日米安全保障条約)」を結んだのです。
新しく結ばれた「安全保障条約」の第6条には、
「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。」
とあります。この条文にもとづいて、「日米地位協定」が作成されました。
在日米軍の法的な取り扱いや地位について定めている「日米地位協定」。その内容から、たびたび「不平等」であると指摘されることがあります。
たとえば第3条。
「合衆国は、施設及び区域において、それらの設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる」
とあり、米軍基地内における治外法権を認めているのではないかと指摘されています。一方で外務省は、第3条の内容は治外法権を認めているのかという問いに対し、ホームページで、
「米軍の施設・区域は、日本の領域であり、日本政府が米国に対しその使用を許しているものですので、アメリカの領域ではありません。したがって、米軍の施設・区域内でも日本の法令は適用されています。」
と回答。治外法権を認めていないという見解を示しています。外務省は、第3条にかかわらず「日米地位協定」は、他の二国間で結んでいる地位協定とほぼ同じ内容で、日本が特別に不利な条件になっているわけではないという立場です。
次に第12条3項。
「合衆国軍隊又は合衆国軍隊の公認調達機関が適当な証明書を附して日本国で公用のため調達する資材、需品、備品及び役務は、日本の次の租税を免除される。
(a)物品税
(b)通行税
(c)揮発油税
(d)電気ガス税」
在日米軍が公用で調達する物品は、税金が免除されるというもの。経済的特権を付与した不平等条約ではないかという指摘がありますが、外務省は特別に均衡を失した内容ではないとしています。
第24条では、米軍基地の費用に関する記述があります。
「1 日本国に合衆国軍隊を維持することに伴うすべての経費は、2に規定するところにより日本国が負担すべきものを除くほか、この協定の存続期間中日本国に負担をかけないで合衆国が負担することが合意される。
2 日本国は、第2条及び第3条に定めるすべての施設及び区域並びに路線権(飛行場及び港における施設及び区域のように共同に使用される施設及び区域を含む。)をこの協定の存続期間中合衆国に負担をかけないで提供し、かつ、相当の場合には、施設及び区域並びに路線権の所有者及び提供者に補償を行なうことが合意される。」
日本が払うことを決められている経費以外は、アメリカが負担することが定められています。ただ、防衛費のなかから通称「思いやり予算」という「在日米軍駐留経費負担」が支払われていて、これが基地職員の労務費や基地内の光熱費に充てられている現状があり、条文の内容が守られていないのではと問題視されています。
そして最後に第17条。
「(前略)
3 裁判権を行使する権利が競合する場合には、次の規定が適用される。
(a)合衆国の軍当局は、次の罪については、合衆国軍隊の構成員又は軍属に対して裁判権を行使する第一次の権利を有する。
(中略)
(ii)公務執行中の作為、又は不作為から生ずる罪
(中略)
5(c)日本国が裁判権を行使すべき合衆国軍隊の構成員又は軍属たる被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国により公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行なうものとする。」
在日米軍に対する裁判権は、日本とアメリカの双方が有しています。しかし両者の裁判権が競合する場合、「アメリカの財産、安全のみに関わる事件や、在日米軍の内部で完結している犯罪」と「在日米軍の公務執行中に生じた、作為、不作為を問わない事件、犯罪」についてはアメリカが第一次裁判権をもつことが規定されているのです。
さらに日本が裁判権を行使する場合も、容疑者の身柄を在日米軍が確保している場合は、引き続き拘禁措置をおこなうことなども定められています。
外務省はこの条文に対し、この取り決めは受け入れ国にとってもっとも有利な内容になっており、犯罪を防止するために改善の努力が続いているという見解を示しています。
ただ実際には米兵による犯罪が起こるたびに、その処遇をめぐる問題が浮き彫りになり、特に沖縄では県全体で大規模な基地反対運動が発生する事態にもつながっているのが現状です。
上述したとおり、その内容が不平等としてたびたび問題となる「日米地位協定」。なかでも第17条により、公務中の在日米軍が起こした事件については、日本が裁判権を有していないため、日本の警察が介入できないことは大きな問題とされてきました。
2005年には、厚木基地に勤務していた米兵が、東京都八王子市でワゴン車を運転していたところ、小学生3人をはね、そのまま逃げてしまった事件が起きています。逃走から1時間後に警視庁によって逮捕されましたが、「公務中」だったため、その後釈放されました。身柄を引き渡されたアメリカは、この米兵に対して裁判をおこなわず、減給処分だけを下しています。
この事件にかかわらず、アメリカは「公務中」の事件について、ほぼ裁判を実施していないことが明らかになっています。2005年の調査によると、1985年から2004年までに軍事裁判を受けたのは1人、懲戒処分を受けたのが318人だそうです。
その一方で、1985年から2004年までに発生した「公務中」の事件数は7046件。多数の事件や事故が起きているのに、懲戒処分だけでは抑止にならないのは明らかで、犯罪が野放しにされているのではという批判があがっています。
また「公務外」の判事行為についても、「日米地位協定」が問題になったケースがありました。
1995年、沖縄県で小学生が米兵3人に拉致、強姦される「沖縄米兵少女暴行事件」が発生しました。沖縄県警は少女を暴行した米兵たちの身柄を拘束しようとしましたが、在日米軍は第17条を理由に容疑者たちの引き渡しを拒否。県警は取り調べをおこなうことができず、捜査に支障をきたしてしまったのです。
この事件は「日米地位協定」の見直しを求める大きなきっかけとなりました。その後は改善がすすめられ、容疑者引き渡しなど日本側の要求に対し、アメリカ側は「好意的考慮」を払うことが定められています。
ただこれはあくまでも「改善」であり、「改正」ではありません。日米地位協定の第27条には、
「いずれの政府も この協定のいずれの条についてもその改正をいつでも要請することができる。その場合には、両政府は、適当な経路を通じて交渉するものとする。」
と記されていますが、成立から半世紀以上が経っても、その内容が不平等だという声があっても、日米地位協定は1度も「改正」されたことがないのです。
- 著者
- ["前泊 博盛", "明田川 融", "石山 永一郎", "矢部 宏治"]
- 出版日
- 2013-02-28
「日米地位協定」が締結された経緯や具体的な問題点を説明したうえで、対アメリカ従属の状態が深刻であると論じている作品です。
やや感情的な作者の見解には異論もあるかもしれませんが、「日米地位協定」の概要がわかりやすくまとめられているうえ、ドイツやイタリア、韓国など、他の地位協定を結んでいる国の事例も紹介されているのが特徴。「日米地位協定」の特質がより理解しやすい構成になっています。
- 著者
- 矢部 宏治
- 出版日
- 2017-08-17
外務省が作成した「日米地位協定の考え方」などの機密文書の内容を参照し、戦後の占領期に形成された日本とアメリカの力関係が今日まで影響をおよぼしていることを論じている作品です。
たとえば、横田基地が管制を敷いている「横田空域」。原則として、日本の民間機はこの空域を飛ぶことができず、迂回飛行を強いられている状況です。このように、実は日本の主権が制限されている事例を具体的に紹介しています。
良い面も悪い面も含めて、日本の戦後史はアメリカとともにあるといえるでしょう。これからの在り方を考えるためにも読んでおきたい一冊です。