「知の学問」といわれる朱子学に対し、「心の学問」と呼ばれることもある陽明学。この記事では、概要や思想、問題点、日本へ与えた影響などをわかりやすく解説していきます。あわせてもっと理解の深まるおすすめの本も紹介するので、ぜひご覧ください。
15世紀から16世紀に、明代の中国で活躍した儒学者である王陽明によって確立された儒教の一派「陽明学」。この呼び名は明治時代以降の日本で広まったもので、それ以前は「王学」と呼ばれていました。中国では「心学」「明学」「陸王学」などと呼ばれるのが一般的です。
陽明学の特徴は、形骸化されていた「朱子学」を批判し、より実践的な倫理を説いている点です。朱子学は12世紀末頃に儒学者である朱熹(しゅき)によって確立された学問体系ですが、王陽明の時代になると、その道徳主義的な面はすでに失われていました。
朱子学の考え方は、世の中のすべてのものや事柄は「理」で成り立っていて、「理」について読書などの学問をすることで理解が深まり「性」へといたることができるとしています。王陽明自身も朱子学を学び、「理」を極めようとするのですが、挫折をしてしまいました。
王陽明はこの経験から朱子学そのものへ疑問を募らせ、学問をすることで「理」を求めるのではなく、日々の日頃の仕事や生活のなかでの実践を通じて、心のなかに「理」を求めようとしたのです。
そして朱熹と同じく南宋時代の儒学者である陸象山の教えにたち帰り、これを発展させて陽明学を起こしました。
王陽明自身が著した書物は実はほとんどなく、彼の思想は弟子たちによってまとめられ、今日まで伝えられています。では、陽明学の思想をあらわすカギとなる言葉である「心即理」「致良知」「知行合一」についてそれぞれ紹介していきましょう。
心即理(しんそくり)
朱熹が提唱した朱子学の重要なテーマである「性即理」に対して、王陽明は「心即理」を唱えました。
朱子学では「心」を「性」と「情」に分け、「性」のみが「理」にあたるとしています。また「理」は人に内在すると同時に、外にもあるとしました。
一方陽明学では「理あに吾が心に外ならんや」と述べ、「心」を「性」と「情」に分けるのではなく、「性」と「情」をあわせた「心」そのものが「理」であるとしています。内在する「性」を完成させるために外的な「理」は必要ないという立場です。
致良知(ちりょうち)
『孟子』の「良知良能」に由来する言葉です。
「良知」とは、身分や学問の有無に関わらず、すべての人が生まれ持っている道徳知や生命力の根源のこと。「致良知」とは、この「良知」を全面的に発揮することを意味し、「良知」に従う限りその行動は善いものとみなされることをいいます。
知行合一(ちぎょうごういつ)
「知」は知ること、「行」は実践することで、これらは同じ「良知」から発されるもので分離することはできないとする考えです。
朱子学では、「知」が先にあって「行」が後になる「知先行後」を重視していました。つまり、実践に先だって書物などで学ぶことが重要だとしていたのです。
一方の陽明学では、「心即理」の考え方にあるように「心」の外に「理」を求めないため、たとえ書物で学んでも「理」を得ることはできません。王陽明は知ることと実践することを不可分のものとし、「知は行の始めにして、行は知の成なり」と述べ、「知行合一」を唱えました。
朱子学が、統治者など秩序ある体制を求める人々に好まれた一方で、陽明学は、統治者に対して反発する革命思想をもつ人々に好まれる傾向がありました。現に中国や朝鮮では弾圧の対象となった歴史があります。体制側の人々は、陽明学がはらむ危険性を警戒していました。どのようなものなのか見ていきましょう。
ます「聖人」とは、宋以後は読書などの学問を通じて到達する目標とされ、努力しだいで誰でも到達可能なものとされていました。しか実際には高価な書物を購入するだけの財力や、書物を読む時間、優秀な教師などを得られる環境がなければ難しく、一般の人が聖人になることは実質的に不可能でした。学問をできる環境がある者が科挙に合格できるという、身分の固定につながります。
しかし陽明学では、「心即理」の考えにもとづき外的な権威を否定するため、聖人になるために読書は必要ないと説いたのです。これは身分制を崩壊させかねない危険性がありました。
さらに「心」そのものを「理」とする陽明学が広がるなかで、これまで儒教の基本教典とされてきた「四書五経」などの書物の地位が低下していきます。
また陽明学を学ぶ人々は講学と呼ばれる研究会を作り、同じ研究会内での議論や交遊を好みました。その結果、同志意識や連帯意識が醸成され、仲間内での人間関係を重視するようになっていきます。
これは、儒教が唱える「五倫」の「朋友」に当たります。他の4つである「父子」「君臣」「夫婦」「長幼」がすべて上下の関係であるのに対し、水平方向の人間関係である「朋友」を重視する陽明学の姿勢は、体制側にとっては脅威となり得るものでした。
江戸時代に日本に伝わってきた陽明学。中江藤樹(なかえとうじゅ)や、その弟子の熊沢蕃山(くまざわばんざん)など著名な陽明学者を排出します。
幕府の官学である朱子学を教える役割だった佐藤一斎(いっさい)は、その立場上、公然と陽明学を教えることはできませんでした。しかし彼の著書『言志四録』には陽明学の思想が散見されました。
佐藤一斎の下で学び、後に備中松山藩の財政状況を立て直した山田方谷(ほうこく)も、陽明学者として有名です。ただ彼は、「致良知」が革命思想に繋がりかねないという危険性も十分に理解していて、弟子たちにはまず朱子学を学ばせ、「良知」について十分に理解できた者だけに陽明学を教えたといわれています。
さらに幕末になると、吉田松陰や高杉晋作、西郷隆盛なども陽明学の影響を受け、革命運動、倒幕運動へと進んでいきました。
- 著者
- 王 陽明
- 出版日
- 2005-09-01
王陽明の弟子たちによってまとめられた、師の言行や手紙類が編集されたものです。
現在の日本で普及している陽明学h、中国から日本に伝わった後、多くの学者たちの研究を経て独自の道を歩んできたものです。そのため中国で成立した本来の陽明学とは異なる点も多いのだとか。
本書では、王陽明が唱えた原点に立ち戻り、原文、書き下し文、現代語訳文を掲載。その神髄を学ぶことができます。入門書としてぴったりで、陽明学に興味をもちはじめた人におすすめの一冊です。
- 著者
- 小島 毅
- 出版日
- 2013-09-10
中国における正統的な思想として長く受け継がれ、東アジア社会に大きな影響を与えた儒教。 その二大学派と呼ばれるのが、「朱子学」と「陽明学」です。
本書は、この二大学派が誕生した背景やそれぞれの教え、問題点などをわかりやすく解説している作品です。
大学の講義用にまとめられたものなので、語り口は簡潔かつ明快。わかりやすい半面、現在も多くの学者たちが解釈をめぐって議論していることもうなずける、生々しさも感じられる一冊です。