フランス語で「旧体制」を意味する「アンシャン・レジーム」。フランス革命によって打倒される前の体制を指す言葉です。この記事ではその特徴である身分制や、革命にいたるまでの流れをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひご覧ください。
フランス革命が起こる以前の16~18世紀に、ブルボン王朝が敷いていた絶対王政による政治、社会体制を表す言葉を「アンシャン・レジーム」といいます。
直訳すると「古い体制」という意味で、フランス人の政治思想家アレクシス・ド・トクヴィルの『アンシャン・レジームと革命』や、哲学者イポリット・テーヌの『近代フランスの起源』などの著書で用いられたことから、用語として定着しました。
アンシャン・レジームの特徴は、身分制度にあります。国民は、聖職者で構成される「第一身分」、貴族で構成される「第二身分」、市民と農民で構成される「第三身分」の3つに分けられていました。
第一身分は約12万人、第二身分は約40万人で、合わせても全人口の2%ほどにしかなりません。ただ彼らは特権階級と呼ばれ、国土の大半を封建領主として支配し、免税特権も有していたのです。
一方の第三身分は約2000万人の農民と約450万人のブルジョワジー(商工業を生業とする中産階級)で構成されていました。3つそれぞれの身分が参加して議論する「三部会」に代表を送る権利はもっていたものの、三部会そのものがほとんど開催されなかったため、実質的には国政に関与することはできませんでした。
人数の少ない第一身分と第二身分の人々が土地を支配し、官職を独占し、年金支給など数々の権利を得ていたのに対し、大多数を占めている第三身分の人々は、重税に苦しみながら貧しさに耐えるしかないという矛盾した社会構造だったのです。
ひと口に「第三身分」といっても、そのなかでさらに大商人・金融業者・大地主・徴税請負人からなる「富裕市民」、商工業者からなる「中流市民」、職人・徒弟・労働者からなる「下層市民」、「農民」などに分類されます。
経済や商工業が発展していくなかで、富裕市民や中流市民は富を蓄積して経済的に豊かになり、実力にふさわしい政治的な権利を要求するようになっていきました。なかには貴族の身分を「買う」者も現れます。これを「売官制」といいます。
新たに貴族になった人は「法服貴族」、古くからの貴族は「帯剣貴族」と区別され、両者の間でも対立が生じていくことになるのです。
一方で国民の大多数を占める「農民」は、国や領主、教会などから多重に課される税金に苦しんでいました。さらに、1783年にアイスランド南部にあるラキ火山で大規模な噴火が発生し、噴煙被害や天候不順による凶作と飢饉が発生。ますます農民たちの生活は困窮していくのです。
過酷な労働と飢えから、若い女性でも皮膚は固く、深い皺が刻まれているという記述も残されています。また十分な水道設備がなく、不衛生で窓もない藁の家に住んでいて、ヴェルサイユ宮殿などに代表されるような特権階級の人々の暮らしとは雲泥の差がありました。
このような身分間の社会的な格差やねじれの現象を「アンシャン・レジームの矛盾」といい、フランス革命を引き起こす大きな要因となりました。
1701年に起きた「スペイン継承戦争」や1775年に起きた「アメリカ独立戦争」への援助など、たび重なる戦争と飢饉で財政が破綻していたフランス。
国王のルイ16世は、重農主義経済学者であるジャック・テュルゴーや銀行家のジャック・ネッケルらを登用して財政の改革を試みますが、失敗してしまいます。財政を再建しようと、これまで免税特権に守られてきた第一身分と第二身分からも徴税すべく、新たな制度を制定するための三部会を招集しました。1789年5月のことです。
三部会における議決方法をめぐって、特権階級と第三身分は激しく対立します。第一身分と第二身分は、「身分ごとの議決」を主張。しかしこの方法では、第一身分と第二身分が特権階級への課税に反対すれば、第三身分が賛成をしたとしても2対1で敗れることになります。
一方で第三身分からは、代表者が1人1票をもつ「三部会合同での議決」を主張しました。この方法であれば、第一身分と第二身分の合計よりも、第三身分の人数が多いため、有利になります。
結局、議決方法が決まらないまま40日以上が経過。業を煮やした第三身分の議員たちは6月17日、自分たちが国民を代表しているとして、第三身分ではなく「国民議会」であると宣言します。
国王が議場の閉鎖などの妨害に出ると、6月20日、ヴェルサイユ宮殿の球戯場(テニスコート)に集まり、王国の憲法が制定されるまで解散しないと誓いを立てました。これを「球戯場の誓い」といいます。
国民議会には後に第一身分と第二身分も加わり、7月9日には「憲法制定国民議会」と改称。憲法の制定に着手します。国王がこの動きを武力で抑えようとしたことに対し、7月14日にパリ市民がバスティーユ牢獄を襲撃。これがきっかけとなって、フランス革命が勃発しました。
当時のヨーロッパでは、宗教や偏見にとらわれず、人間の理性によって普遍性と不変性をもった思考で世界をとらえる「啓蒙思想」が広がっていました。
たとえばそれは、政府や法律がなくても、誰もが基本的人権をもっているという「自然権」や「平等主義」、国家や体制が国民の同意によって成り立つ「社会契約説」、政治の決定権が国民にあるとする「人民主権論」などの概念として説かれるようになります。
こうした思想をまとめていったのが、ジャン=ジャック・ルソーやヴォルテールなどに代表される哲学者や政治学者です。多くの知識人に影響を与えていきました。
しかし、それにもかかわらず当時のフランス政府は、第三身分出身で貴族に質素倹約を進言したジャック・ネッケルを罷免、さらに憲法制定国民議会が採択した「人権宣言」をルイ16世が拒絶するなど、失策といえる行為を重ねていきます。
物価の高騰や重税で不満を抱えていた国民と、啓蒙思想を受けて従来の社会体制であるアンシャン・レジームへの不満を抱くようになった知識人らが共鳴し、フランス革命へとつながっていったのです。
そして革命は、「自由・平等・友愛」を掲げ、アンシャン・レジームの大きな特徴である「身分制度」を一掃していきます。
- 著者
- フランソワ ルブラン
- 出版日
- 2001-05-01
本書は、フランス革命が起こる直前のアンシャン・レジーム期における結婚生活を切り口に、当時の庶民の生活を綴った作品です。
フランスというと華やかな貴族たちを連想しがちですが、実は国民の大半を占めていたのは庶民たちです。そんな彼らの結婚にいたるまでの流れや夫婦生活、家族のあり方、親子の関係など、リアルな暮らしぶりがわかるでしょう。
また当時は核家族が主流だったことや、晩婚傾向が進んでいて高齢出産が多かったことなど、具体的なイメージを抱きながら読むことができます。
- 著者
- ウィリアム ドイル
- 出版日
- 2004-10-20
「古い体制」という意味のアンシャン・レジームという言葉、もちろんフランス革命以降に作られました。その概念は曖昧で、時代によってさまざまな意味が込められてきました。
本書では、アンシャン・レジームという言葉をめぐる概念が、政治的脈絡や思想的脈絡のなかでどのように捉えられてきたのか、その変遷を追って重要性を解き明かしています。
ヨーロッパの歴史において、特に重要な出来事のひとつとされるフランス革命を理解するうえでも、読んでおきたい一冊です。