1789年に発生した「フランス革命」において、革命を支持する人々が発表した「フランス人権宣言」。ヨーロッパが民主主義にもとづく市民社会へと転換するきっかけになりました。この記事では人権宣言が成立した経緯や内容、女性の扱い、日本への影響などをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひご覧ください。
正式な名称は「人間と市民の権利の宣言」といい、フランス語では「Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen」と表記されるフランス人権宣言。1789年に「フランス革命」が発生した後、革命派に協力したラ=ファイエットらによって起草、発表されました。
「基本的人権の尊重」と「人民主権」を宣言し、以降発表されたさまざまな人権宣言の先駆けになったといわれています。
17世紀から19世紀は、ヨーロッパの各地が大きな変化を遂げた時代でした。国王や貴族が中心の身分制社会から、「市民」が中心となる自由で平等な社会へと変わりはじめたのです。
当時のフランス社会は、国王を頂点に、以下第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(平民)の3つの身分から成り立っていました。第一・第二身分は納税を免除される特権を与えられていたのに対し、第三身分は納税を負担しなければなりませんでした。
そんななか、イギリスで1642年に起きた「ピューリタン革命」や、1688年に起きた「名誉革命」、アメリカで1775年に起きた「アメリカ独立戦争」などに影響を受け、徐々にフランス国内での不満が高まっていきます。
1789年になると、王政を批判した人々が収容されていた「バスティーユ牢獄」を民衆が襲撃する事件が発生。これをきっかけに、「フランス革命」が始まることとなるのです。この動きを受けてフランス議会は、フランス人権宣言を採択。1948年には国際連合が「世界人権宣言」を採択したことにも示されるように、その理念は世界共通のものとして重視されるようになりました。
フランス人権宣言は、前文と17の条文から構成されています。
国民議会を構成するフランス人民の代表者たちは、人権についての無知、忘却あるいは軽視のみが、公衆の不幸および政府の腐敗の原因であることにかんがみ、人間のもつ譲渡不可能かつ神聖な自然権を、荘重な宣言によって提示することを決意した。
前文にはこのように記され、人権に対する無知、軽視が人々の不幸や政府腐敗の原因であると指摘しています。そしてこれらの問題を正し、社会の構成員が自分の権利と義務を忘れないようにするために、フランス人権宣言を発したと述べているのです。
その後に続く条文ではさまざまな権利を規定しているのですが、その内容はフランスの政治哲学者ルソーが唱えた「社会契約説」や、「アメリカ独立宣言」の影響を受けているといわれています。
たとえば第1条にある「人間は、生まれながらにして自由かつ平等な権利を持っている」や、第3条にある「すべて主権は、本来人民(国民)にある」という文言は、今日でも重視される「基本的人権の尊重」や「国民主権」を述べたものだといえるでしょう。
また第2条には「あらゆる政治的結合の目的は、人間のもつ絶対に取り消し不可能な自然権を保全することにある。これらの権利とは、自由、所有権、安全、および圧政への抵抗である」と記されています。
「政治的結合」とは国家を指していて、人々が国家を形成する目的は、自由や所有、安全などの諸権利を保障するためであると述べているのです。さらにこの諸権利には「圧政への抵抗」が含まれていて、これは「抵抗権」と呼ばれています。不当な権力に対して人々が抵抗することを、権利の一種として規定しているのです。
つまり、国家が人々の権利を侵害している場合、国家に対して抵抗、打倒することは「抵抗権」の行使の一環で、正当な行為として認められるということです。この発想は、その後の世界各地で発生した革命や改革の理論的根拠となりました。
フランス人権宣言の内容には、いくつかの問題点があると指摘されています。
正式名称の「人間と市民の権利の宣言」にあるように、社会の構成員である「人間」「市民」の権利を表明したものですが、当時「人間」や「市民」の具体像として想定されたのは「市民の条件を満たした白人男性」だけで、女性や奴隷、有色人種などの権利は考慮されていなかったのです。
当時のフランス語で「人間」を意味する言葉「Homme」は、同時に「男性」という意味でも用いられていました。このことからもわかるように、「フランス革命」が起きた後も、女性を「人間」として扱わない意識は残っていたのです。
フランス人権宣言が発表された後も、女性は選挙権を与えられず、「市民」としても認められないなど、権利が抑制された状態が続きました。
これを受けて、フランスの女優であり劇作家のオランプ・ド・グージュは、「Homme」を、女性を意味する「Femme」に書き換えた「女権宣言」を発表するなど、女性の権利向上に向けたさまざまな取り組みをしています。しかし彼女の活動は革命派から批判され、処刑されてしまいました。
女性や有色人種の権利にまつわる問題は後世にもち越され、今日でも残っているのです。
1947年に施行された「日本国憲法」は、民主的な内容であると評価されていますが、実はフランス人権宣言から多くの影響を受けているといわれています。
「日本国憲法」の基本原理は、「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」の3つ。このうち「基本的人権の尊重」と「国民主権」はフランス人権宣言が重視した内容でもあり、その影響を指摘することができるでしょう。
また「日本国憲法」は、ルソーの「社会契約説」からも影響を受けているといわれています。ルソーの考えは世界的に影響を与えているものですが、そのきっかけは、フランス人権宣言に「社会契約説」がとり入れられたことにもありました。この点からも、「日本国憲法」はフランス人権宣言から大きな影響を受けているといえるでしょう。
- 著者
- 遅塚 忠躬
- 出版日
- 1997-12-22
タイトルにも記されているとおり、作者は「フランス革命」を「劇薬」と表現しています。民主主義を進展させた一方で、その過程で多くの人々が犠牲になったことに言及。その歴史が今日にもたらした意義を考察しています。
また、革命に翻弄されて命を落としていった人々の思想が、フランス人権宣言に生かされていることもわかるでしょう。
中学生や高校生を対象にしたジュニア新書ですが、大人の学び直しにもおすすめ。専門的な内容をわかりやすくまとめつつ、情熱的な語り口で読み物としても楽しめる一冊です。
- 著者
- 神野 正史
- 出版日
- 2015-03-18
作者の神野正史は、大手予備校の名物講師。「世界史劇場」と銘打って、数多くの書籍を発表しています。
本書では「フランス革命」について、なぜ起こったのか、どのように展開していったのかを臨場感たっぷりに解説。イラストも豊富で、まるで劇を見ているかのように読み進めることができます。
貴族たち特権階級と市民の対立や、フランス人権宣言が出されるまでの過程、そして人権宣言の問題点など、教科書を見ているだけでは読み取れない内容も充実しています。歴史が苦手な人におすすめしたい一冊です。