ある日、壁に開いた穴から声を聞いた主人公・志織。声は未来からのものであるらしく、その人物は彼女に「あなたに危険が迫っている」と言うのですが……。SFとミステリー、そして恋愛の要素が混ざった読後感の爽やかな一冊です。 本作は書店員からの支持も厚く、「書店員が選んだもう一度読みたい文庫」の恋愛部門で見事1位も獲得。2019年3月には映画も公開されます。 今回は、そんな『九月の恋と出会うまで』の内容と、作中の謎や伏線にフォーカスを当ててご紹介しましょう!
新居に引っ越した、27歳の北村志織。芸術活動に関わっていることが入居条件という「アビタシオン・ゴドー」に引っ越した彼女は、ある日、自室のエアコンの穴から聞こえるはずのない声を聞くのです。
「こちらは1年後の未来です、あなたに危険が迫っている」と。
その未来を予言するセリフに導かれて、彼女は行動をするようになります。しかし、声の主が指示する内容は、いまいちよくわからないものばかりで……。
- 著者
- 松尾 由美
- 出版日
- 2016-02-10
声の正体だという隣人・平野の存在、指示される内容、そして志織に訪れる未来とは?ミステリー、SF、恋愛、さまざまな要素が混ざった注目の作品です。一冊で多くの要素を楽しみたい方にとっては、大変おすすめの内容となっています。
印象的な表紙の絵を手がけているのは、坂本ひめみ。イラストレーターとして活躍している人物で、本の表紙の他にもポストカードなども手がけています。
そんな本作は、2019年3月に映画化も決定。志織に川口春奈、平野に高山一生とキャストも豪華です。監督は山本透が務めます。主題歌は人気ロックバンドの「androp」です。本作の世界観がどのように映像化されるのか、今から楽しみですね。
北村志織
主人公である、27歳の女性。未来から伝えている、と言う謎の声により自らの危機を知り、やがて隣人・平野に相談するようになります。さまざまなやり取りをするなかで、謎の声の人物・シラノに好意を抱くようになっていく人物です。
平野
志織と同じく27歳で、もう1人の主人公。小説家志望の男性です。近所の住人が言うには、自室に美少女のフィギュアを飾るなどオタク的なところのある人物。理論的思考を得意とし、謎の声の正体を巡って、志織にタイムパラドックスに関するアドバイスをおこなっていきます。
シラノ
「未来から話しかけている」と言う謎の声。その証拠に、志織が知り得ない未来の情報を当てていきます。彼女に奇妙な指示を出し続けますが、その真意はわかりません。彼は、自身を未来の平野だと言いますが、果たして……。
権藤
志織が引っ越す「アビタシオン・ゴドー」のオーナー。芸術に関わる人物であることを入居条件とする変わり者で、亡くなった妻を魔法使いだったと話す不思議な人物。また、その孫の真一と志織の間には意外な繋がりが……?
倉
話好きのオーケストラ団員。入居したばかりの志織に「アビタシオン・ゴドー」について話してくれます。
祖父江
「アビタシオン・ゴドー」に暮らす美人女医。倉からは、密かに「メアリー」というあだ名で呼ばれています。
バンホー
志織が買ったぬいぐるみですが、ある時から異変が起きて……?
1960年生まれ。お茶の水女子大学のSF研究会出身です。
夫で、同じくSF作家である柾悟郎との共作『エモーショナル・レスキュー』で、SFファンジン大賞を受賞。その後もハヤカワ・SFコンテストに入選します。
この経歴から明らかなように、得意とするジャンルはSF。「バルーン・タウン」シリーズや「安楽椅子探偵アーチー」シリーズが代表作です。SFや恋愛だけでなく、ミステリーとユーモアも豊富な、独自性の強い作品を送り出している実力派作家なのです。
- 著者
- 松尾 由美
- 出版日
特徴は、全体に漂う穏やかで優しいムード。また、単なる優しさだけでなく、その深いテーマ性と、ファンタジーやミステリーのよさを組み合わせた職人芸に定評があります。
恋愛小説としての優しさだけではない、SF的な理知性は、『九月の恋と出会うまで』においても存分に発揮されています。恋愛小説と見せかけてSF、SFと見せかけて恋愛小説……という移り変わりの鮮やかさに、多くの読者が魅了されることでしょう。
「アビタシオン・ゴドー」に引っ越してから数々の怪現象に遭遇する志織ですが、なかでも衝撃だったのが、彼女の購入したぬいぐるみ「バンホー」が突如として喋り出したこと。シラノからの声によって、平野を尾行していた志織に突如語りかけ、以後彼女の話し相手となります。
無邪気さが印象に残る半面、その言葉にはどこか殺伐としたところがあり、単なるマスコットとしてだけではない不気味な謎を感じさせるキャラクターです。
バンホーは何者で、なぜ突如喋りだしたのか。なぜ、その言葉の端々に死の雰囲気が漂っているのか……それもまた、本作が解き明かすしていく謎の1つとなります。
バンホーの謎も気になるところですが、本作最大の謎といえば「未来から話しかけている」と言う謎の声・シラノに他なりません。
1年後の声である、というとおり未来に発行される新聞の見出しを次々と当てて、自分が本当に未来からの声であるということを証明していきます。しかし、なぜ志織に話しかけているのかという核心部分をぼかし、目的の不明な指示を彼女に与えて、不信感を抱かせたりするのです。
彼は自身を「未来の平野」であると言うので、志織は隣人の平野と区別するために、声の主を「シラノ」と呼ぶことにしました。そんな彼が出す指示は、どうやら志織の命が関わっているようですが……。
ときたま平野とシラノの声が異なって聞こえるということもあり、その正体は最後まで推理しきれないミステリアスなもの。志織は、声の主を「アビタシオン・ゴドー」のオーナーの孫・権藤真一という仮説を立てますが、その真相は……?
シラノの指示により平野の尾行をおこなった志織が目撃したのは、尖っていてギザギザのコンクリートの塊を拾った平野の姿でした。
さらに祖父江から「人を殴る練習のようなことをしていた」と聞かされたことにより、シラノが過去の自分の犯罪を隠蔽、証拠捏造をするために志織を利用しているのではないか、という疑惑が生まれるのです。
平野の行動の真意とシラノとの関係も、本作をミステリーとして成り立たせる大きな要素の1つ。また恋愛小説としてのギミックにもなっています。一見意味のわからないこの行動が、ラストにどう絡んでくるのでしょうか。
ある夏の日、志織は雑貨屋に置いてあるクマのぬいぐるみと出会います。目があった瞬間「引っ越しちゃえば?」と言われた気がして、彼女は引っ越しを決意。そして、ぬいぐるみを買って帰るのです。彼女は、彼をバンホーと名付けました。
彼女は「アビタシオン・ゴトー」の2階、B号室への引っ越しが決まります。その隣室、A号室に住んでいるのが平野です。階段ですれ違った彼はなんとも頼りなく、ヒョロヒョロとした印象。挨拶もまともにできません。
そんな彼の様子を1人で自室で思い出し、バンホーに話しかける彼女。すると突然、エアコン設置用の穴から笑い声が聞こえてくるのでした。
声の正体は、平野だと言いました。以前見かけた時とは違い快活な印象で、志織は少し意外に感じます。その声は、なんと未来から話しかけているというのです。怪しむ志織に、声は翌日から一週間分の新聞の見出しを伝えました。
一週間後、それらはすべて的中します。彼のことを信じた志織は、あるお願いをされました。それは、彼女が休みの水曜に、平野を尾行して写真を撮ること。
理由は語れないけど重要な行為だ、という説明を受け、彼女はしぶしぶお願いを引き受けるのでした。そして彼女は、未来の平野の声を「シラノ」と呼ぶことにしたのです。
約束通り、平野を尾行する志織。後をつけていると、彼はコンクリートのカケラを拾うというやや不審な行動を見せるものの、それ以外に異常な点は見当たりません。約束の5時になり、志織は帰宅しました。
コンクリートの件について、バンホーに話しかける彼女。そうすると、なんとバンホーから返事が!この日から、彼との会話が始まります。なんでもハッキリと、皮肉っぽく話す彼は、この件について、凶器に使用するためなのでは、と言ってくるのです。
祖父江から、平野がコンクリートで人を殴るような動作をしていた、という話を聞いていたこともあり、彼女は平野に対して不信感を強まらせていくことに。
尾行を続けているものの、シラノからはハッキリとした目的を聞き出せないままの志織。結局モヤモヤしたままでいるのでした。
体調不良のなかでも、約束通り尾行を続ける志織。帰宅すると、いつもと様子が違います。なんと、家の鍵が開いていたのです。荒らされた室内からは、現金がなくなっていました。
オーナーのところに事情を説明しに行こうとした際に、彼女はあることに気づきます。なんと、A号室にエアコンが設置されていたのです。ここで、シラノから聞いていた話に矛盾が生じるようになります。
つまり、エアコンで穴が塞がれたことによって、未来からの声が穴を通じて届くはずがないということ。シラノの正体について、志織の頭にさまざまな疑問が湧いてくるのです。そしてこの日から、シラノの声は聞こえなくなったのでした。
その日、彼女は偶然にも平野に遭遇します。未来からの声以外、彼とまともに話をするのは初めてでした。そして、彼女は気づきます。平野の声と、シラノの声は、まったく違っていたのです。
彼女は平野に今まであったことをすべて話し、協力してもらうことになります。エアコンの穴が塞がった状態であるのに、どうして未来からの声が届いたのか。2人で話し合った結果、未来のB号室の住人からの声だったのではないか、という仮説を立てるのです。
そして、平野はある考えにたどり着きます。それはシラノが何か目的を持って、志織を水曜に外出されていたのではないか、ということ。つまり、空き巣に入られたあの日、本来なら彼女は亡くなっていたのではないか、ということです。果たして、その真相は……。
平野は、ある矛盾点について指摘しました。それは志織が助かればシラノは現れない、シラノが現れなければ志織は助からない、志織が亡くなってしまった場合のみ未来のシラノが過去に現れる、ということ。このままでは「シラノの登場」と「生存している志織」の両立しません。
この矛盾が生じていることによって、どちらか1つの事実は消滅してしまうことになります。つまり、このままシラノが現れなければ、今、ここに存在している志織は消えてしまうことになるのでした。
彼女の消滅を回避するためには、シラノを見つけて、登場されるしかありません。彼らは、シラノを探し始めるのでした。
最終6章。志織はシラノの正体に心当たりがありました。それは、権藤真一。「アビタシオン・ゴドー」のオーナーの孫で、かつてのクラスメイトだった彼。そんな彼はもうじき海外から帰ってくることになっており、後にB号室に入居する可能性が極めて高い人物でした。
そんななか、志織は引っ越しを決意します。そして別れ際、平野から告白をされるのです。彼女は平野に惹かれつつも、シラノのことを好きになっていたのでした。そんな彼女は、彼からの思いに応えることができません。
自分に思いを伝えてくれた平野、未だ謎の存在のままであるシラノ。そんな2人に惹かれていることを、自覚している志織。
果たして、この奇妙な三角関係の行方は……。
- 著者
- 松尾 由美
- 出版日
- 2016-02-10
ラストでは、ついにシラノとの直接の対面が描かれます。シラノと平野のズレや、志織自身の危機、そしてタイムパラドックス。数々の謎が1つに繋がって、SFミステリーから爽やかな恋愛ストーリーに収束するラストは、まさに感動的です。
また、これまで出てきていた「未来からの声により行動してきた」ということ自体が伏線となり、最後の一押しの要素として、より志織の恋愛模様に説得力を与えています。
最後の電話のシーンは、まさに必見。そのハッピーエンドといえる結末がどのようなものか気になる方は、ぜひ本編でお確かめください。