日本のクラシック音楽の歴史が分かるお薦め本

更新:2021.12.2

「クラシック音楽」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。 大規模な管弦楽、しかめっ面をしたベートーヴェン、会得するのが難しそうな楽器…。これらの要素は言うまでもなく日本古来のものではありません。その一方、今や本にCD、テレビ等々、様々な手段で日常的にクラシック音楽へとアクセスできます。 しかし、これらの要素がいつどの様にして日本へ上陸し、現在に至るのかは意外と知られていません。そこで、今回は西洋の側からばかり見てしまいがちなクラシック音楽を、日本という視点から見ていくことにします。

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歴史の大枠をつかむ

著者
団 伊玖磨
出版日

著者名を見て、「おや?」と思われた人もいるかもしれません。著者は「ぞうさん」や「花の街」の作曲者である團伊玖磨です。なぜ作曲家の團が、日本の音楽史を語っているのか。自伝を読んでみると、実は幼少の頃の團は「歴史を専攻する事に決めていた」と言います(『青空の音を聞いた』17頁)。にも関わらず、どうして作曲家になろうとしたかはまた別の話。

話を戻すと、團の日本音楽史の叙述はさすがに歴史家らしく、広い視野でなされています。歴史の大枠をつかむのに、これほどうってつけの本はそうそうありません。

副題にある「異文化との出会い」の通り、クラシック音楽以前に日本にやってきた音楽として、仏教音楽、南蛮音楽に言及し、更には日本独自の音楽として猿楽能や三味線の説明にも十分なスペースが割かれています。その上で軍楽、唱歌、オーケストラ、歌劇といった西洋音楽、ひいては「クラシック音楽」の話につながる、というのが「広い視野」と言う所以です。

團の歴史家らしさは、その視野のみに留まりません。日本と西洋の音楽観、音楽の在り方の相違を端的に指摘します。キリスト教への信仰という共通基盤を持つ西洋は、その共有する範囲の中で、相対的にではあっても音楽が自立し得る。これに対して、キリスト教の様な絶対的な共通基盤を持たない日本は、「具体的なものにつく」「抽象的な概念が苦手」という特徴、心性によって、音楽が言葉、物語に奉仕する存在になったと言います(123-127頁)。ここに指摘される日本的音楽観とでも言うべきものは、現代にも通じる問題とは考えられないでしょうか。例えば「ベートーヴェン」などは。

歴史家としての團と作曲家としての團。2人の團伊玖磨が音楽史の世界にいざなってくれる、何とも贅沢な一冊です。

偶像としてのベートーヴェン

著者
西原 稔
出版日

冒頭に「しかめっ面をしたベートーヴェン」と申しました。この作曲家の名を聞けば、気難しそうな、何かを背負い込んだ様な人物像がイメージされるかと思います。

現代にもそのまま通用するこのイメージは、クラシック音楽が導入された頃からずっと続いてきたものでした。特筆すべきは伝記によるベートーヴェンの理解です。大正デモクラシーによる「個人」への着目、そこから「煩悩」や「苦悩」がクローズアップされる。この状況を背景に、ベートーヴェンの伝記が立て続けに出版されます。

この多くが、聴覚の喪失、失恋による苦悩を不撓不屈の精神で乗り越え、芸術的な曲を多く書いた崇高なるベートーヴェン、というイメージを強調するものでした。人格の陶冶に資する、参考たりうるベートーヴェン像と言っても良いでしょう。同時に、メタ的に見れば、ベートーヴェンをその音楽ではなく、言語や逸話で理解していた、という特徴も持っていたということも言えます。

音楽を音によって組み立てられた作品として聴くのではなく、作曲家のストーリー、逸話や一種の修養、教養として聴く。團の言葉を思い出しましょう。日本人は「具体的なものにつく」「抽象的な概念が苦手」なのです。この様に考えると、「しかめっ面をしたベートーヴェン」という理解、認識の仕方が現代にも通じるものだということがお分かり頂けるでしょう。

「現代のベートーヴェン」("a digital-age Beethoven")とやらが、他のどの作曲家でもなく、「ベートーヴェン」だったということは、この歴史的な背景が少なからず作用しているのではないでしょうか。

ここでは割愛しましたが、演奏によってベートーヴェンが日本にどう普及していったのか、近代ヨーロッパ、国家にとってベートーヴェンとは何だったのか、ということも説明されています。

洋楽史のパイオニアを知る

著者
後藤 暢子
出版日
2014-08-10

教科書に落書きをする時、ザビエルと並んで最大の標的となる人物といえば山田耕筰ではないでしょうか。「赤とんぼ」「ペチカ」「待ちぼうけ」等の童謡の作曲者と、何より禿頭とで、「あぁ」と思い出す人もいるでしょう。

しかし、このハゲ(失礼)、ただのハゲではありませんでした。先程ご紹介した團伊玖磨は、自身が作曲家になろうとした理由について、「日本には山田耕筰以外に本格的な作曲家が生まれていないという事実を知って驚愕した」からだと自伝で語っています。逆に考えれば、少なくとも團にとって、山田は唯一の「本格的な作曲家」だったということになります。事実、山田は日本のクラシック音楽の歴史の中で第一世代の作曲家、まさしくパイオニアでした。

その山田の生涯を知るのに、この本ほど適したものはありません。山田の著作や作品に向き合ってきた著者だからこそ可能な、「これでもか」と言わんばかりの史料の投入には圧倒されます。

そうして説明される山田の生涯もなかなか波乱に満ちたものです。ドイツへの留学、オーケストラの創設と挫折、童謡の作曲は有名ですが、それ以外にも、色々な意味で多岐にわたる恋愛模様も必見です。また、1930年代にはソヴィエト連邦を2度旅し、ナチス政権下のドイツにも滞在しました。ベルリン・フィルの指揮もします。そうして帰国した山田は何を見たか、何を思ったか、戦争に積極的に協力していきます。戦後には「戦争犯罪者」ではないかと指摘され、論争もありました。それでも生き延び、1965年に没します。まさに時代を生きた人でした。

同時に、副題にもなっている山田の創作上の信条、「作るのではなく生む」といった、音楽家としての内面を知ることもできます。

小中学生の頃、写真の頭に毛を書き加えていた人にこそ是非挑んで頂きたい、読みごたえのある一冊です。

戦争と音楽家との関係性

著者
戸ノ下 達也
出版日
2008-02-07

先程、山田耕筰が「戦争犯罪者」と言われ、論争になったという話を持ち出しました。誤解されそうなのですが、音楽は言葉を超え世界の人をつなぐとか、世界を平和にするとかいった話が見事に実践された例はごく稀です。

山田の活動についてあれこれ言うのは簡単ですが、重要なのは、山田による協力がどういう経過でなされ、それぞれの音楽家がどう対応し、実態はどうだったのか、でしょう。加担の事実を責めるだけでなく、加担の構造こそを批判的に検討する必要があります。

こういった視点から、近年、戦争と音楽家との関係への探求が盛んになりました。その代表格というべき存在が本書です。テーマは、音楽家と体制のせめぎあい、国内外の情勢、戦前から敗戦への反応まで幅広く、それでいて内容は細かくフォローされています。

特に面白いのは、時局に合わせて音楽界が一元化、統合していく動きです。当局が音楽を「統制」しようとする動きもありますが、基本的には音楽家たちの自発的な活動によって一元化が試みられます。しかし、その音楽家たちの間にもそれぞれの領分、思惑、意図があり、一元化の動きは簡単には進みませんでした。そこに「統制」する側が関与することで物事が進んでいきます。つまり、「統制」する側とされる側は敵対的な関係にあったのではなく、密接に連関する状態にありました。そして、「統制」される側も一枚岩ではありませんでした。

そうしてなされた一元化は、「お国のため」という「タテマエ」のもと、クラシック音楽の大衆化、普及という「ホンネ」を実践していくことになります。

もちろん戦争に加担することは危険ですが、その構造を、「統制」する側、される側といったふうに単純化して捉えることもまた危険なのだと分かります。

「売れる!」の軍歌史

著者
辻田 真佐憲
出版日
2014-07-30

軍歌というのも何かと誤解を招きそうなテーマです。軍歌といえば戦争中に歌われる、お上から押し付けられたもので、現代とは何の関係も無い、過去の遺物だ、と考える人もおられるでしょう。その様な理解をあっさりと覆してくれるのが本書です。

第一に、軍歌は最先端の存在だったと言います。西洋から導入された文物の一つでした。山田耕筰だって軍歌を作りました。クラシック音楽畑の人間が、です。戦争中、最も売れた音楽は軍歌でした。それも強制された結果ではなく、自発的に売れたのです。

第二に、軍歌はエンターテインメントだと言います。こう考えると分かり易くなります。北朝鮮に行ってみれば(この箇所は北朝鮮旅行記としても楽しめます、236-245頁)、中国のネトゲを遊んでみれば、軍歌がエンターテインメントとして生きています。死んだと思っていたものは、そうだと思っているだけで決して死んではいない。逆に、いつ再び私たちの目の前に立ち現われてくるか分からないのです。

注目すべきは、軍歌を取り巻く環境がどうなるかを過去の事例から示した、「利益共同体」という概念です。当局は時局にそぐわない曲が容易に排除でき、仕事が楽になる。レコード会社も内容にさして気をつかうことなく、営利活動に集中できる。作曲家や歌手といった音楽家には仕事ができる。消費者も音楽にありつける(186-187頁)。

この各方面にとっての「利益」をもたらす「共同体」こそが、戦中の「軍歌大国」ともいうべき様相をもたらしました。ことは現代と無縁ではありません。仮に戦中の軍歌は「死んだ」にしても、軍歌そのものは未だに「生きて」いるのですから。

「日本のクラシック音楽の歴史を知る」と銘打って5冊紹介して参りました。勿論本の紹介という意図が中心ですが、その歴史的特徴として、発展的に以下の三点を導くことも可能になるかと思います。

第一に、日本におけるクラシック音楽は長い歴史を持ち、その結果として完全に外来のものではなくなってきているということ。 
第二に、《ぞうさん》の團伊玖磨や、《赤とんぼ》の山田耕筰。あるいは、ベートーヴェン像などは、一見すると縁遠そうに見えて、それでいて、存在自体も時代的にも決して私たちと縁遠い存在ではないということ。 
第三に、戦争との関わりが深く、最近ではあまり顧みられなかった戦争と音楽家との関係の解明が進んできているということ。

そうこうしている内に、クラシック音楽と日本人との関わりにも何らかの変化が起こるかもしれません。「日本という視点から」見るということは、その時、クラシック音楽を自分たちの問題として考えるということです。

外国の楽器、外国の作曲家、外国の演奏家。それとはまた別のクラシック音楽との関わり方というものをお考え頂くきっかけになれたとすれば、これに優る幸せはありません。

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