第一次世界大戦後、主食である米の価格が高騰し、日本国内で暴動が起きた「米騒動」。この記事では、概要や原因のひとつといわれるシベリア出兵との関係、影響などをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。
1918年に起こった、米の価格の急騰にともなう暴動事件を「米騒動」といいます。
食が欧米化している現代においても、日本人の主食として米は重要な位置を占めていますが、当時は肉や魚など副菜の摂取が少なく、食生活は現代以上に米中心でした。特に肉体労働者の場合、1日に約1升の米を消費していたといわれています。そのため、米の価格の高騰は家計を直接圧迫し、人々の生活は困窮することとなったのです。
1914年から1918年の間、米の価格はほぼ同じ値段で安定していました。しかし1918年の中頃から急激に上昇し、1月に100升で15円だった価格が6月には20円を超え、7月なかばには30円を超える異常事態となるのです。
当時の平均月収が18~25円だったことを考えると、家計に与える影響はかなり大きなものだと想像できるでしょう。
米騒動の始まりは、富山県で起こりました。1918年7月上旬、約25人の女性が役所に押しかけて生活難を訴え、米の安売りを求めたのです。この動きに参加する人数は徐々に増え、8月には1000人を超えたそう。
さらに新聞などで報道されたことで、全国に波及。収束するまでの50日間で、最終的には数百万人規模になりました。打ちこわしや放火など過激化していき、少なくとも2人の死者が出たことが確認されています。
米騒動が起こった主な原因は、「社会の変化」と「シベリア出兵」だと考えられています。
まず「社会の変化」ですが、これは第一次世界大戦による好景気にともない、工業労働者や都市住民が増加したことが挙げられます。離農する人が増え、米の生産量が減少しました。
その一方で養蚕などで収入の増えた農家が、それまでの麦やひえの代わりに米を食べるようになり、米の需要は増えていったのです。
価格があがると、売り惜しみや買い占めが発生。国は事態を抑制するために「暴利取締令」を出しましたが、効果はありませんでした。
「シベリア出兵」は、1918年から1922年までおこなわれた、ロシア革命に対する干渉戦争のひとつです。日本は、イギリスやアメリカ、フランス、イタリアなどとともに「革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」という名目のもと出兵を実行しました。
この情報をいち早く入手した商人たちは、戦争特需による物価の高騰を見込み、売り惜しみをさらに加速させていくことになるのです。
約50日間におよんだ米騒動は、最終的に1道3府37県に波及し、参加者の規模は数百万人に膨らみました。各地で警察や軍が出動する事態になり、2万5000人が検挙されて7500人以上が起訴。有期刑が59件、死刑が2件となっています。
また1918年の夏の甲子園大会が中止されるなど、スポーツ界にも影響を与えました。
社会に大きなダメージを残した米騒動に適切な対応ができなかったとして、1918年9月に寺内正毅内閣は総辞職。原敬が首相となり、日本で初めての本格的な政党内閣が成立することとなりました。
1918年の米騒動ほどの混乱はなかったものの、1993年にも冷夏による記録的な米不足が発生し、「平成の米騒動」と呼ばれています。当時は、需要が1000万tだったのに対し、800万tに満たない量しか収穫できませんでした。
政府はタイ米を緊急輸入するなどの対策をとりますが、日本人の口にあわなかったり調理法が適さなかったりと、需要を回復するまでには至らなかったそう。
日本の要請に対して自国の備蓄を輸送してくれたタイ国内でも、米の価格が高騰。その一方で日本ではタイ米が大量放棄されるなどし、国際的な問題となりました。
平成の米騒動は翌1994年が豊作だったため解消されますが、国際的な米の物流に混乱を与えたことへの負い目もあり、これまで断り続けてきた米の輸入自由化を解禁することになりました。
- 著者
- 藤野 裕子
- 出版日
- 2015-10-29
1905年に起きた日露戦争の講和に反対する「日比谷焼き討ち事件」から、1923年に起きた関東大震災の混乱における「朝鮮人虐殺事件」まで、日本国内で起きた民衆による暴動と、それにともなう社会秩序の変化を追った作品です。
たとえば米騒動については、きっかけが女性だったことからジェンダーに注目しながら解説。「男らしさ」に突き動かされる人々の姿が見えてきます。
暴動が頻発していた20年間を、民衆史の視点からひも解ける作品です。
- 著者
- 成田 龍一
- 出版日
- 2007-04-20
日本の近現代史を紐解くシリーズの4作目。第3章は「米騒動・政党政治・改造の運動」と題し、米騒動の結果、日本の社会を改造しようとする潮流が生まれたことを解説しています。
政治や文化、外交などさまざまな面で自主的集団による運動が展開された、大正デモクラシーを知るうえで参考になるでしょう。
文章も簡潔で読みやすく、この時代の人々の姿が浮かんでくる一冊です。