5分でわかる大航海時代!航路や目的、日本への影響などをわかりやすく解説!

更新:2021.11.17

15世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパ諸国によるインド航路や新大陸が発見された「大航海時代」。この記事では、背景と目的、ポルトガルとスペインの航路、日本に与えた影響などをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。

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大航海時代とは。概要を簡単に紹介

 

15世紀から17世紀にかけて、ポルトガルとスペインを中心とするヨーロッパ諸国が、アジア・アフリカ・南北アメリカへ航海をし、新たな航路や大陸を「発見」した時代を「大航海時代」といいます。

この名称は1963年に、文化人類学者であり歴史学者でもあった増田義郎によって、『大航海時代叢書』という書籍のなかで命名されました。それ以前は「地理上の発見」や「大発見時代」などヨーロッパ中心主義にもとづく名称で呼ぶのが一般的でした。

大航海時代がいつ始まり、いつ終わったのかについては、さまざまな議論がなされています。増田は、1415年のポルトガルによるアフリカ大陸のセウタの攻略を始まりとし、ロシアの探検家セミョン・デジニョフがユーラシア大陸最東端のチュクチ半島に到達した1648年を終わりとしています。

大航海時代が始まった背景と目的

 

15世紀、モンゴル帝国が衰退した後に台頭したオスマン帝国は、1453年にビザンツ帝国を滅ぼし、イタリア諸都市国家との戦いにも勝利して、地中海の制海権を握りました。

高い関税をかけたことにより、それまでの経済秩序は崩壊。ヨーロッパ諸国は、新たな交易ルートの開拓を求めるようになるのです。

同じ頃、ヨーロッパの外れにあって地中海交易の恩恵を享受できていなかったスペインやポルトガルでは、イベリア半島からイスラム勢力を駆逐しようとするレコンキスタが最終盤を迎えようとしていました。

また遠洋航海にも耐えうる頑丈なキャラック船やキャラベル船が建造されるようになり、さらにヨーロッパよりも進んでいるイスラム文明との接触を通じて羅針盤も手に入れ、遠洋航海技術を発達させていったのです。

こうしてスペインとポルトガルは、新たな交易ルートの確保を目指して競いあうように海に進出していきました。

大航海時代に開拓されたポルトガルとスペインの航路を解説

 

大航海時代の先陣を切ったのは、いち早くレコンキスタを達成したポルトガルでした。

1415年にアフリカのセウタを攻略して北アフリカ大陸への侵略を確固たるものにし、1460年頃にはカナリア諸島、マデイラ諸島を経て西アフリカのシエラレオネ付近にまで進出します。

さらに象牙海岸と黄金海岸を経て、1482年にガーナに城塞を築き、ここを拠点として金や奴隷の交易を始めました。

1488年、航海者のバルトロメウ・ディアスが、アフリカの南端に到達。彼が発見して「嵐の岬」名付けた岬は、帰国後に国王によって「喜望峰」と改名されています。

初めてインドに到達したのは、ヴァスコ・ダ・ガマです。彼は1497年7月8日にリスボンを出港し、1498年5月20日、ヨーロッパ人として初めてインドのカリカットに到達。翌年には香辛料を持ち帰ることに成功しました。

ポルトガルによる東周りインド航路の開拓は、ヨーロッパの歴史において特筆すべきものとされ、その後の発展にも大きく寄与したといわれています。しかしイスラム商人は、古くからインドや中国、インドネシアなどと盛んに交易をしており、アフリカ大陸においても赤道周辺にまで進出していました。また中国の明代には鄭和の大艦隊がアフリカに到達しており、南アフリカのジンバブエからはインドやペルシャ、中国の製品も出土しています。

世界航路はさまざまな国や民族によってすでに開拓されていて、ポルトガルをはじめとするヨーロッパ諸国はむしろ後進国でした。

その一方でポルトガルに遅れをとったスペインは、西周りのインド航路を開拓しようと西に向かいます。

クリストファー・コロンブスはスペイン国王フェルナンド5世とその妻イサベルの支援を受け、1492年に、サンタ・マリア号を旗艦とする船団を率いてパロス港を出港します。10月12日にバハマ諸島に到達し、翌年に帰国したコロンブスは西周りインド航路を発見したと宣言しましたが、実際に発見したのは新大陸アメリカでした。

またスペイン国王カルロス1世の援助を得たマゼランは、1519年にスペイン南部のセビリャから出港。1520年に南アメリカ大陸最南端のマゼラン海峡を通過し、太平洋を横断して、1521年にフィリピン諸島に到達しました。

マゼランは現地で住民たちの争いに巻き込まれて殺害されたものの、部下たちが航海を続け、1522年に帰還。世界周航を果たし、地球が丸いことを証明したのです。

その後はイタリアやイギリス、フランス、オランダなども相次いで海洋への進出を果たし、ヨーロッパ人の足跡が世界中に刻まれることとなりました。

大航海時代が日本に与えた影響は?

 

インド航路を開拓したポルトガルは、さらに東へと向かい、セイロン島とマレー半島を侵略します。1557年にはマカオに要塞を築いて、極東の拠点としました。

そんなポルトガル人が日本に初めてやってきたのは、1543年のこと。ジャンク船が鹿児島県の種子島に漂着し、鉄砲を伝えています。

1549年には、イエズス会士のフランシスコ・ザビエルが、カトリックの布教と日本植民地化の可能性を探るために来日。それ以来日本は、ポルトガル人やスペイン人を「南蛮人」、遅れてやってきたオランダ人やイギリス人を「紅毛人」と呼び分けながら交易をし、ヨーロッパの文化を取り入れていったのです。

1467年に「応仁の乱」が発生し、戦いに明け暮れる戦国時代に突入した日本にとって、南蛮貿易は先進的な文化や武器と、莫大な富をもたらしました。

またポルトガル人から伝えられた料理は「南蛮料理」と呼ばれ、チキン南蛮や南蛮漬け、南蛮菓子など、現代もよく口にするものとして残っています。

初心者の方におすすめの一冊

著者
森村 宗冬
出版日
2013-09-05

 

大航海時代というと、ゲームで馴染みの深い方も多いのではないでしょうか。エンリケ航海王子やヴァスコ・ダ・ガマ、コロンブス、マゼランなど、名前は知っているけれど詳しいことはわからない、という方にこそおすすめしたい本です。

広い海に乗り出していった冒険者たちの人生を追い、大航海時代そのものの流れを把握できる作品。図説も多く、当時の時代背景も解説しながらし記してくれているので、事前知識がなくても理解しやすいでしょう。

船でどのような生活を送っていたかなど、興味深い記述も盛りだくさん。当時を知る最初の一冊としておすすめです。

大航海時代の日本の情勢を知る一冊

著者
平川 新
出版日
2018-04-18

 

大航海時代、ヨーロッパ諸国は世界各地に進出し、現地の人々と戦って植民地にしていきました。そのような状況のなかで、なぜ日本は植民地になることを免れることができたのでしょうか。

本書では、豊臣秀吉や徳川家康、伊達政宗らの対ヨーロッパ政策を取りあげ、その謎の解明に挑んでいます。

豊臣秀吉による「挑戦出兵」は、暴走だったのか。徳川家康による「禁教政策」は、家康が外国嫌いだったからなのか。伊達政宗が「遣欧使節」を送ったのは、天下統一の野望を燃やしていたからなのか……。

日本国内を見ているだけではわからないことも、視野を広げると見えてきます。日本史と世界史の壁を取り払った、ダイナミックな歴史書です。

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