びっくりすることに昨年末、子どもが産まれた。いや、子どもを“産んだ”。この私が!子どもを!産んだのだ…!産んだ瞬間もびっくりしたが、産まれるまでも、産まれてからもびっくりしっぱなしだ。今、横を見れば隣で赤子がスヤスヤ眠っている。びっくりだ。人生におけるびっくりの回数がここ数か月に偏っている気がする。一生分のびっくりを全て使い果たしたじゃないだろうか。
最初のびっくりはつわりだった。びっくりするほど気持ち悪かった。朝起きてから、夜寝るまで。いや、寝ている間ですら気持ち悪かった。旦那さんに八つ当たりし、カフェインはダメだからと麦茶を飲むものの、麦茶の味に飽きたと泣き、『食べづわり』という、食べてなきゃ余計気持ち悪くなる謎の症状に悩まされ、それで何かを食べては吐き、なぜか焼き肉ばかり食べたくなって、毎晩のように食べて太り、気持ち悪くて冷蔵庫が開けられないと騒ぎ、お気に入りだったルームフレグランスに近づけなくなってビニール袋をかぶせてもらい、夏に売っているりんごは美味しくないと憤慨した。
とにかくもう地獄だった。24時間体制の憂鬱。いや、しかし今こうやって書き連ねていると、つわりに苦しんだ自分もかわいそうだけれど、その生活に付き合わされた旦那さんもかなり気の毒だ。元来持ち合わせているワガママ気質に加えて勃発したつわりの乱は相当なものだったろうに、よくもまぁキレずにいてくれたと思う。
あれもこれも気持ち悪いとヤイヤイ文句を言う私に、いつでも『舞子さんの食べたいものを食べよう』と言ってくれた。ちゃっかり甘えて、焼き肉焼き肉しゃぶしゃぶ焼き肉…みたいな生活をしていたら、旦那さんも太った。しかし、彼はミュージシャンなので、「ミュージシャンたるもの太ってはいけない!」と、ランニングシューズを買わせ、せっせと一人で走らせている。やはりかわいそうなのは彼かもしれない。
つわりの次に訪れたびっくりは、体型の変化だった。妊娠するとお腹が出るという赤ちゃんでもわかりそうな事実は承知していたが、こうも骨盤に変化が出るとは…。妊娠がわかってから、あっという間にほとんどの服が入らなくなり、3パターンくらいの服を着まわして生活した。
そして、腰痛にも悩まされた。中学生くらいから変わってなかった体型が変化したことも、正式な腰痛も初めての経験だったのでびっくりした。自分も人の子なんだと思った。
体型と同じく体重も変化した。太った。ものすごく。そりゃ妊娠したのだから太るのは当たり前だが、想像の倍太った。体重が増えすぎて誰かに怒られる日がくるとは思わず、びっくりした。いつも診てもらっていた先生にはあまりきつく言われなかったが、緊急時に対応してくれるという病院にカルテを作りに行ったとき、「体重、わかってますよね?」と、ピシャリと言われて震えた。
しかし何をどうコントロールすればいいのかわからず、とりあえず栄養あるけどカロリー低いよ的なスープを飲んでお腹を満たしていたが、体重増加のグラフは右肩上がりだったので、もうダイエットも体重計に乗るのもやめた。なので最終的にどれくらい太っていたのかわからないが、産んでから測った体重計の数字に『あれ?私…産みましたよね?』と、目を疑った。
そういえば産む前は、あまりの体重増加とこんなにお腹出る?ってくらいお腹が出て周囲に驚かれていたので『きっとジャイアントベイビーなんです!へへへ』とヘラヘラ答えていたものだが、産まれてみるとむしろ未熟児でちっちゃかったので、やはりただ私が太っていただけだった。そして、赤ちゃんのせいにしていたバチが当たったらしく、体重はかなり戻ったが、あの時のデニムをもう一度履ける気配はない。私こんなに細かったのか…と過去の自分にも驚いている。
体型、体重が変わると日常生活に支障をきたす。足が洗えない、靴下が履けない、寝転ぶのがしんどい、起き上がるのもしんどい、膝への負担がエグい…など、何もかもが不自由になりびっくりした。
外出先で靴ひもがほどけたら最悪だ。一人だと、たかだか靴ひもを結ぶだけなのに近くに手ごろな椅子はないかと探すのに骨を折るし、誰かと一緒だと結んでもらえるのだが、どうしても偉そうな格好になってしまう。通りすがりの人からは妊婦だから結んでもらっているんだなと思ってもらえるだろうし、そもそも知らない人が知らない人の靴ひもを結んでいる姿なぞ、いちいち誰も気にしていないだろう。しかし、結んでくれている人は座り込んでいるのに、結ばれている私は立っているというのは、何となく居心地が悪い。
そんなシーンを作らぬためにも靴ひもを固く結んでから出かけるようにしていたが、身体が重くひょこひょこ変な歩き方をしていたせいか、いつもより多く靴ひもはほどけた。スリッポンでも買えばよかった。
こうして産まれる前からびっくりの連続だったのだが、出産、育児となると、さらにびっくりを重ねていくことになる。それも書くつもりだったが恐ろしく長くなりそうなので、また次回にしよう。それより妊娠中にびっくり…というか不便だったりしんどかった経験から気付いたことがある。そのとき読んでいた本に影響されただけとも言えるが、普通に生活していたら、きっと素通りしていただろう。
それは、不便なことやしんどいことをひとつ経験すると、幸せがひとつ増えるということ。こういう話を以前にも書いた気もするし、そんなもん知ってるわ!とツッコミを入れられそうだし、水戸黄門のオープニングでも言われていたことだが、改めて、小さくくだらない出来事でも『あ、これって幸せなんや』と感じるようになったのだ。
妊娠する前、私はお酒が大好きだった。仕事を終え、冷たいビールやハイボールをグビグビ飲んだり、日本酒をチビチビやったりして、酔っぱらってそのまま死んだように眠るのが幸せだった。(翌日の二日酔いは不幸の極みだけど)
しかし、妊娠が分かったその日から禁酒が始まる。始まった直後は、つわりもまだそれほど辛くなくて、ただただ悲しかった。旦那さんにくっついて地方のライブに遊びに行ってはご当地の美味しいものを食べたりするのだけれど、それも飲まないとなんだか物足りない。産まれてくる我が子のため!という想いはもちろんあったが、突然の生活の変化が寂しく、酔っぱらいたいなと思う日もあった。
しかし、なんと今はノンアルコールビールを飲めるのが最高に幸せだと思っている。禁酒開始から程なくして『お酒なんてもうぜったいいらない!きもちわるい!』というつわりの期間が始まり、それがいつのまにか終われば『どんな匂いを嗅いでも気持ち悪くならない幸せ』により、24時間幸せを感じられる日常が待っていた。すると、ほんのりビール飲みたい欲も戻ってきてしまうのだが、これはノンアルコールビールでほぼ100%満たされている。酔っ払う感覚なんぞはすっかり忘れてしまった。なので、二日酔いになる心配もなく、ビールを楽しめるようになったのだ。
しかも一生飲めないというわけではない。最近卒乳したという友人が『二年ぶりにビールを飲んだら美味しくて泣いた』と言っていた。次、飲む機会があれば私もこうなるような気がする。ノンアルコールビールで満足できる身体を手に入れた上に、ビールを飲んで泣ける券まで手にしたのだ。これを幸せと言わずして何と言おう。
コーヒーもそうだ。カフェインは極力控えた方がいいという話から、ノンカフェインやデカフェのコーヒーを飲むようになったのだが、最初はこれも物足りなく感じた。コーヒーの美味しさとはズバリ、カフェインなのだ。たまに旦那さんのコーヒーを一口もらってはその美味しさに驚いた。その一口だけでも幸せだと思えていたのだが、そのうちノンカフェインのコーヒーでも美味しいと感じられるようになってきた。
後から知ったのだが、カフェインが入っているコーヒーでも一日に2~3杯程度なら問題ないそうだ。しかし、ストイックに禁じたおかげで、眠気を遮らずともコーヒーを楽しめるようになり、カフェイン入りのコーヒーに至っては何と、一口ちょうだいのそれで満足できるようになった。ちなみに紅茶も緑茶もカフェインが入っている方が格段に美味しい。元々好きだった飲み物をより楽しめて、その一杯一杯にいちいち幸せだと感じられるようになったのだ。
これは産後の話だが、出産してから1か月程はシャワーしか浴びられない。真冬に実家でシャワーだけは一向に悟りの開かない修行のようで、入るたびに余計に冷えているような気がするほどだった。しかし入浴解禁となった日から、お風呂に入れる幸せも手に入れた。1か月ぶりに熱いお湯につかったときは叫び出しそうになったほど幸せだった。その幸せは今も続いている。毎日のお風呂の時間は至福のひとときだ。
それ以外にも、お腹が苦しくない幸せ、どんな匂いを嗅いでも吐かない幸せ、近所のスーパーに行ける幸せ、音楽が聴ける幸せ、本が読める幸せ、化繊の服を着ても肌が荒れない幸せ・・・。
くだらない、当たり前の羅列だが、それが嬉しい。そんな、ある意味素直な感覚を持てる自分にびっくりしている。素直なんてものはとっくにどこかへ置いてきたものだと思っていた。出産とは、自分も少しだけ赤ちゃんに近づける行事なんじゃないだろうか。
さて、この原稿を書き終える前に赤子が一度目を覚ました。未熟児で産まれ、ミルクがなかなか飲めずNICUに入っていた彼女が大声で泣くと、元気なんだなぁと幸せな気持ちになる。おっぱいを飲むとまたスヤスヤ眠り始めた。
娘の寝顔は最高にかわいい。自分の口から『娘』なんて言葉が出る日がくるとは思わなかった。びっくりできることは幸せだ。そんな風に思えるなんて、幸せだ。明日どんなびっくりや楽しみが待っているのか、楽しみだ。涙のあとには虹も出る。
- 著者
- 群 ようこ
- 出版日
- 2011-05-15
有名広告代理店を45歳で早期退職し、実家を出て、安アパート“れんげ荘”で貯金を使って暮らし始めるキョウコ。新しい服を買ったり、贅沢な暮らしはできないけれど、不便さの中で新しい幸せを見つけていくキョウコがとても羨ましく思えて、「幸せとは何か」を考えさせてくれた一冊です。
れんげ荘に住む人々は、皆個性的ですがそれぞれ充実した生活を送っているように映ります。自分の感覚をリセットできるような物語。幸せな本です。
- 著者
- 獅子 文六
- 出版日
- 2013-04-10
人気女優であるモエ子は、年下の夫であるベンちゃんを若い女優に取られてしまいます。仕事や恋愛、プライベート・・・どれもが充実していないと人って幸せとは感じられないものなのかなぁと思いながら読んでいましたが、あらゆる角度から前を向こうとするモエ子は頼もしく、足りない部分は自分で補えばいいのかと妙に腑に落ちました。
最後はスッキリ。モエ子の淹れる美味しいコーヒーの香りが漂ってきそうな一冊です。
小塚舞子の徒然読書
毎月更新!小塚舞子が日々の思うこととおすすめの本を紹介していきます。