5分でわかるオイルショック!原因と影響、対策をわかりやすく解説!

更新:2021.11.17

1970年代に2度にわたって発生した「オイルショック」。日本をはじめとする世界各国の経済に大きな影響を与えました。ここではその原因と概要、日本とった対策などをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、参考にしてみてください。

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オイルショックとは。第一次オイルショックの原因と世界に与えた影響

 

1970年代に、2度にわたって世界的な経済の混乱が発生しました。その原因は、「オイルショック」。名前のとおり、原油の価格が高騰したことです。まずは、1973年に発生した「第一次オイルショック」の原因と、世界に与えた影響について解説していきます。

1950年代から1960年代にかけて、主要エネルギー源が石炭から石油に転換する「エネルギー革命」が進展しました。日本をはじめとする先進国は、アラブ諸国から安価に供給される石油を用いて、経済成長を遂げていきます。

しかし1973年10月に、イスラエルと、エジプトやシリアなどアラブ10ヶ国の間で「第四次中東戦争」が勃発。状況が大きく変化します。開戦後「アラブ石油輸出国機構(OAPEC)」が、アメリカなどのイスラエル支持国をけん制するため、イスラエル支持国に対して石油禁輸措置や、原油価格そのものを引き上げる方針を発表したのです。

この結果、原油価格は「第四次中東戦争」以前と比較して4倍ほどに高騰。「第一次オイルショック」となり、世界経済に大きな混乱が生じました。

日本の場合は、外交交渉の結果、禁輸措置は実施されていません。しかし1974年の経済成長率は-1.2%と戦後初めてのマイナスを記録しています。この景気後退により、1950年代末から続いた「高度経済成長」は終わりを告げることとなったのです。

オイルショックにおける「トイレットペーパー騒動」とは

 

日本における「第一次オイルショック」の有名なエピソードとして、各地でトイレットペーパーの買い占めが起こり、市場からトイレットペーパーが姿を消したことが挙げられます。

原油価格の高騰にともない、各種物資の不足が懸念されるなか、大阪近辺で「紙がなくなる」という噂が発生しました。これが新聞などのメディアを通じて拡散すると、いつしか噂を信じた多くの人々が、トイレットパーパーを中心に砂糖や石鹸などを買い占め、騒動は全国に拡大することとなったのです。

実際のところ、当時の日本の紙生産は安定していて、トイレットペーパーの生産に支障をきたしていたわけではありません。

しかし田中角栄内閣が提唱した「日本列島改造論」の影響もあり、「狂乱物価」と呼ばれるインフレーションが発生。「第一次オイルショック」とタイミングが重なった結果、人々の危機感があおられて、パニックともいえる騒動が発生したと考えられています。

第二次オイルショックの原因と世界に与えた影響

 

日本をはじめとする世界各国の経済に大きな打撃を与えた「第一次オイルショック」。1979年には、「第二次オイルショック」が発生します。この原因は、1978年に発生した「イラン革命」です。

当時のイランでは、パフレヴィー朝による王制が敷かれていました。しかし革命によって王制が倒れ、イスラーム復興を掲げる宗教指導者、ホメイニが権力を握ります。

イランはサウジアラビアに次いで世界第2位の石油大国でしたが、ホメイニは資源保護を理由に、原油の大幅減産を決定しました。

その結果、石油の供給量が激減。1978年に「石油輸出国機構(OPEC)」が原油価格の上昇を決定していたことも重なって、原油価格が再び高騰したのです。1バレル12ドルだったものが34ドルにもなり、「第二次オイルショック」となりました。先進各国の経済は再び停滞期に突入してしまいます。

一方の日本では、後述する対策が功を奏し、他の先進各国と比較するとその影響は軽微なものにとどまりました。ひとり勝ちの状態となった日本経済は躍進し、アメリカでも『Japan as Number One』という日本の経済を分析した書籍がベストセラーになるなど、高い評価を得ています。

オイルショックへの対策。日本では省エネ法が制定

 

先述したように、日本では「第一次オイルショック」を受けて各種の対策が実施されました。これらは一定の成果を収め、日本は後に起こる「第二次オイルショック」を乗り越え、経済大国として台頭することとなったのです。

まず「第一次オイルショック」の後、日本では省エネ型の産業や、省エネを意識したライフスタイルへの転換が図られました。たとえば企業では「減量経営」と呼ばれる人員の削減やパート労働への切り替え、産業用ロボットの導入などが推進されます。

さらに自動車産業では低燃費化が進みました。その結果、日本車に対する世界の評価が一層高まることとなり、自動車の海外輸出が大きく進展することとなるのです。

また民間企業だけでなく、行政もオイルショック対策を推進しています。その代表的なものとして、1979年に「エネルギーの使用の合理化などに関する法律(省エネ法)」を制定したことが挙げられます。工場などの省エネ化や効率的な使用について定めた法律で、現在でも日本の省エネ方針の根幹を担うものになっています。

こうして、民間企業と行政が「第一次オイルショック」を踏まえて対策を整えたことが、日本の経済大国化につながったといえるでしょう。

その一方で「減量経営」は、非正規雇用の増大や労働運動衰退の引き金ともなりました。この頃からサービス残業や過労死などが日常化し、現在に至るまで大きな社会問題となっています。

柳田邦男が当時の情勢を描いた迫真のノンフィクション

著者
柳田 邦男
出版日
1982-10-25

 

本書は、豊富な史資料と証言を駆使しながら、「第一次オイルショック」に直面した日本の状況や、危機を乗り越えるために人々が奔走した様子を描いたノンフィクション作品です。

「第一次オイルショック」は日本経済に大打撃を与え、トイレットペーパー騒動などさまざまな出来事を引き起こしました。当事者たちの証言や資料を丁寧にまとめつつ、なぜそのような事態になってしまったのかを解説しています。

また後半部分では、石油を確保するために奔走した商社の人々の姿が描かれています。困難に直面した時に発揮される日本人の底力をぜひ知ってみてください。

オイルショックは現代に繋がっている!石油を軸に国際社会の動きを解説

著者
佐々木 良昭
出版日
2015-05-02

 

本書は、中東を中心に、石油が国際情勢にどのように関わっているのかまとめたものです。

対象となっているのは、第一次世界大戦の前後から、イスラム過激派組織「IS」の台頭までの約100年間。この間に生じたパレスチナ問題や東西冷戦、オイルショックなどの背景には、常に各国の石油をめぐる戦略が影響を与えていると述べています。

石油は燃料以外にもさまざまな物資の原料に用いられる、重要な資源。アメリカやイギリスは石油を確保することで大国の地位を築き、その他の国もまた、石油を確保することを念頭にさまざまなアクションをとっていたことがわかります。

本書を読むことで、欧米の世界戦略に対するアラブ諸国の反発がオイルショックを招いたこと、そして今日の中東問題にも繋がっていることが見えてくるでしょう。

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