本作は「月刊モーニングtwo」で連載されている、速水螺旋人の作品。2大国家による戦時下の軍隊、その意外と緩くて時々シビアな日常を描いた架空ミリタリー漫画です。前線ではなく、後方勤務を主軸とした珍しい作品で、他では味わえないマニアックな面白さが魅力。 今回はそんな本作『大砲とスタンプ』について、その面白さをご紹介しましょう。
2大国家「大公国」と「共和国」の間では、先の見えない戦争が長きにわたって続いていました。
大公国が実効支配するアゲゾコ市の前線基地「アゲゾコ要塞」の補給廠に、主人公のマルチナ・M・マヤコフスカヤ少尉が赴任してきます。彼女は軍人ですが、最前線で戦う兵士ではありません。
実は大公国の陸海空3軍に次ぐ第4の軍、補給と輸送を担当する「兵站軍」の若き士官で……。
- 著者
- 速水 螺旋人
- 出版日
- 2011-12-22
兵站軍はその性質上、後方支援やデスクワークがメインです。そのため他の将兵からは、「紙の兵隊」と揶揄されていました。軍全体を縁の下で支える生命線ではあるものの、やる気に乏しい者ばかりで、仕事は滞りがち。
そこへ堅物のマルチナが配属されたことで、兵站軍に徐々に変化が出てきます。それは戦争全体から見ればごくごく些細ですが、着実な変化でした。
勇ましく戦う陸軍の連隊、派手で雄々しい海軍の艦隊、爽快かつ激烈な空軍の戦闘機。
それらがわかりやすいミリタリーものの面白さかもしれません。しかし、このジャンルの作品の多くで見落とされがちな要素があります。それは、兵站です。
人には食料、機械には燃料とメンテナンス、武器弾薬の補給などなど、何かを動かすにはそのためのエネルギー源が欠かせません。それを無視しては何事もうまくいきません。現実の例でいうと、旧帝国陸軍の牟田口廉也による補給を無視したインパール作戦は悲惨なものでした。
そんな兵站にスポットを当てたのが、本作『大砲とスタンプ』なのです。お役所的にも思える書類仕事が前線の兵士を支え、引いては戦争を左右していく重要な要素となっていきます。
とはいえ、本作はリアル一辺倒というわけではなく、お役所仕事を皮肉ったり、長期化した戦争で緩みきった日常を描くのが大半。戦時中なのにどこか牧歌的で、一見平和なのに非日常感を覚える不思議な内容となっているのです。
なお、時々ブラック過ぎるネタや、戦争ならではの非情なシーンも出てくるのでご注意ください。
本作に登場するキャラクターは、紙で戦う軍というモチーフの奇抜さに負けず劣らず、インパクトの強い、癖のある者達ばかりです。
まず主人公のマルチナ。短髪で眼鏡をかけており、スタイルはあまりよくありません。堅物の官僚主義者で、旧来の兵站軍がやっていたような、なあなあの仕事にメスを入れてきます。ことあるごとに「責任問題」と言うのが口癖。逆に書類の書式さえ整っていれば、大抵のことはOKという滅茶苦茶なところがあります。
ただし面倒見はかなりよくて、人種的偏見も持たない善良な人物です。イタチに似た多足生物「スタンプ」を飼っています。
そんな彼女の上司は、キリール・K・キリュシキン。一族揃って軍属の名家出身ですが、本人はやる気がなく、SF作家になりたがっています。ぐうたらのためマルチナとは衝突しがちですが、いざ動くとかなりの切れ者。彼の変化も本作の見所でしょう。
兵站軍なのに読み書きが出来ず、雑用(と護衛)を担う、アーネチカという女性も出てきます。普段はハチャメチャですが、修羅場を経験してきた出自から、荒事が得意で諜報活動まがいのこともして見せます。
その他に重要人物としては大公国と同盟を結ぶ「帝国軍」の大佐、ガブリエラ・ラドワンスカが挙げられるでしょう。階級的にも肉体的にも貫禄のある女性で、かなりの権限を持っています。マルチナの実直さを認めており、何かと便宜を図ってくれる人物です。
『大砲とスタンプ』は後方支援の煩雑さが面白い作品ですが、しばしば登場する独創的なメカニックも見所。
大公国は使用される文字や慣習からすると、かつてのソ連にも似た架空の国家です。銃火器も旧共産圏のものに似た装備が多数出てきます。ところが車両、とりわけ戦闘車両や機動兵器は、かなり独特な形状で描かれます。
全体的にまぬけというか……間延びしていたり、ずんぐりむっくりだったり、およそ洗練さとはほど遠く、兵器なのに可愛げすら感じられるのです。時折、そういった兵器の図解が挿入されるのも面白いところ。
図解の細かい説明文やデザインに、かの宮崎駿が趣味半分で連載していた『宮崎駿の雑想ノート』の影響が見て取れます。
ここからは、本作のおすすめのエピソードをご紹介していきます。まずは1巻から。
アゲゾコ要塞の管理部第2中隊に配属されたマルチナは、着任早々、あ然としました。補給の指示はすべて口頭で適当なうえに、伝言ゲーム化したせいで誤った指令が頻発していたのです。新任かつそれほど偉くないにも関わらず奮起したマルチナは、書類記載を徹底させていきます。
- 著者
- 速水 螺旋人
- 出版日
- 2011-12-22
その最中、彼女は奇妙なことに気付きました。それは組織的な横流し。彼女はすぐさま司令部に報告書を上げるのですが……直属の上司キリールが犯人とされます。彼は横領の張本人、イグナチェフ少将から罪を被せられたのでした。
マルチナは八方手を尽くして帝国軍の大物、ラドワンスカ大佐の前でイグナチェフを告発。キリールを助けることに成功します。
正規軍といっても、そこに正義はなく、よくも悪くも人間のやることとして描かれます。マルチナが引き起こした結果には、複雑なものを感じることでしょう。
つづいては6巻からのエピソード。
大公国の相手は、前線の共和国軍だけではありません。大公国の占領地で「匪賊」と呼ばれるゲリラが、共和国の支援で暴れていたのです。
事態を重く見た大公国は陸軍と兵站軍を連携させ、ゲリラと住民を切り離す「羊飼い作戦」を発動します。
- 著者
- 速水 螺旋人
- 出版日
- 2016-12-22
「羊飼い作戦」の対象地域には、マルチナが以前から知っているメルテムという娘がいました。この彼女に非はないのですが、彼女の実家がゲリラらしき男を一晩泊めてしまったことから、悲劇が起こってしまいまうのです。マルチナは、それを目撃してしまい……。
前線と後詰めの温度差、行き違いや差別など、いろいろな要素が影響した結果から生じた出来事でした。マルチナ達が携わっているのが、悲惨な戦争であることをあらためて思い知らされるエピソードです。
いかがでしたか?架空の戦争とはいえ、『大砲とスタンプ』で描かれる戦線が停滞した軍の日常は、不思議なリアリティとなって印象に残ります。
戦争の行方と、兵站軍の行く末はどうなるのでしょうか?