「じょゆう」とは女の業の塊、であろうか【山本裕子】

「じょゆう」とは女の業の塊、であろうか【山本裕子】

更新:2021.4.17

いわゆる女優サマたちの「あいたた……」エピソードは面白い。実害の及ばない遠くから眺めてるぶんには。この本『女優にあるまじき高峰秀子』はあれだ「スカッとジャパン」だ。デコちゃん高峰秀子が、どんだけかっけーか、という話です。

山本裕子プロフィール画像
俳優
山本裕子
劇団・青年団所属。1974年、三重県生まれ。京都大学法学部卒。ドラマ『踊る大捜査線』にはまり、警察官僚を目指すか、このまま司法試験に向け勉強を続けるか、散々迷った末、勢い余って俳優になる。現在長野県在住。四歳の男児持ち。「トマト農家の嫁」と「俳優」二足の草鞋を履く。 【出演情報】 映画「シスターフッド」 監督:西原孝至 アップリンク吉祥寺にて特集上映 2020年1月4日(土)19:50の回 https://joji.uplink.co.jp/movie/2019/4221
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確定申告の時期ですね。 

この世界の片隅で俳優をちんまりしているので職業欄「俳優」で申告し、そのたび気恥ずかしさに悶える山本ですがこんにちは。 

で、そのすみっこ俳優やまもとは、撮影現場とかで、ひとさまの芝居みるのがとても好きなのですが、さらに、撮影待ってたりしてるときそのひとがどう居るか、どんな居かたをしているかをみるのが好きで。 

というのも、なんだかそういうところに、そのひとの本質とか仕事に対する考え方が、一部なりとも顕れる気がしてな。 

そんで、とてもいい居かたをしているすてきなひとを見つけると、俄然胸熱、泣きそうになるんですけどこれはなんですか。ホルモンの異常ですか。 

いい居かた。それは大抵、なんか、飄々としている。 

周りに気を遣わせない、感じ。壁を作るでもなく、話しかけたらふつーに返して、でも黙ってても、別にその沈黙が重くない感じ。 

知り合いとはしゃぐでもなく、わざわざ場を盛り上げるでもなく、すっとそこに居る。 

それはもともとがそういう性格、というよりは、現場の円滑さとか効率とか、そっちを考えた上で、そうしている、そうしてきたんだろうなあ、と、そのひとの蓄積までが見える気がして、ああ、なんかほんと、かっけー。あれ、妄想入ってますか?

実際どんなひとかは知らんが、現場での姿勢がとてもとても好きで、こうありたいと憧れる俳優さん。ビバ。 

そんで、現場でなんだか嫌な感じの時、たとえば、うわあ媚びてんな~とか、すげえちやほやしてんな~とか、ひとをみて態度変えてんな~とか、そういう気持ちの悪い状況を見ちゃった時、憧れのひとたちの名をマントラのごとく呟くのです。 

「マイケル・エマーソン。マイケルエマーソンならきっと。おのれはまいけるえまーそん……」 

実名だしてアレな感じになるとアレなので、あえてメリケンの俳優さんにしましたが。 

ていうか、マイケル・エマーソン会ったことないので現場でどんな風か知りませんが。 

でもぜったいこのひとは、いい居かたのひとと思う。なんか。 

女優にあるまじき高峰秀子

著者
斎藤 明美
出版日
2018-11-28
非難を覚悟で言えば、女とはお喋りで感情的で意地悪な動物だ、と私は思っている。そしてさらなる非難を覚悟で言えば、女優とは、その女のイヤな部分を凝縮した生き物である。 

週刊誌記者として延べ300人近い女優に取材した著者が得た、女優観、女性観。 

一方、それに対し全く異なる生き方を貫いていた「高峰秀子」という存在。 

大女優である高峰秀子は、なぜ女優が嫌いだったのか。 

さて、ここには著者が仕事で会ってきた「女優」たちがわんさか出てきます。 

対談の取材部屋に自前の鏡台を持ち込み、1時間以上かけて化粧したのち約束の時間から相手を40分待たせる女優サマ。 

地方に講演でよばれて、事務所の社長ほか取り巻き5人をつれていく女優サマ。 

「目立ちたくないの」と真っ黒なサングラスをかけ、頭には真っ赤なスカーフ、立てたコートの襟に顔をうずめて取材場所に現れる女優サマ。 

「上映会」と銘打って、若かりし頃の出演作を他人に観るよう強要する往年の女優サマ。 

自分の事務所から取材場所まで歩いて3分なのに、ハイヤーで送迎させようとする女優サマ。 

実名は出てこないので、誰のことやらわたしにはさっぱりわからんのですが、おそらく現在若くても60代以上の、昔の女優サマたち。 

高慢、不遜、わがまま、無理難題、差別、怠慢、媚び、見栄、虚飾。 

それが「女優」にまつわる属性とか。 

こんな今どきコントでしか見ないようなザ・女優サマたち、いっぱいいたんスか、へえ~。なんだか、絶滅した恐竜の話を聞くみたいで、面白いスね。 

今はどうなんスかね、いるんスかね。 

わたしはそこまでアレな女優サマに出くわしたことがなくて。ややアレくらい。 

見たことあるのはむしろ演者に対してアレな……ゲフンゲフン。 

掘り下げるとナニなんでこのへんで。 

で、女優に対する著者の辛口具合が、もう。 

女優はそれぞれに愚かである。
女優が自分のことを語る時、その大半を費やすのが“自慢"である。
女優は言ってみれば、その自己愛の海に溺れている生き物だ。
厚化粧の女優は、たいてい大根である。
女の中でも、女優ほど歳をごまかす人種はいない。
女優の好物、権力と金。
私が出逢った多くの女優は、女優を職業とは考えず、女優が人格とでも思っている節があった。
彼女たちは間違いなく、己を特別な人間だと考えている。 

あはは、すげーな。よっぽど大変だったんでしょうね。 

しかも著者は、女で、年下で、雑誌記者で、それこそ女優サマたちナメてかかってきそうじゃん~。逃げて~。 

さて、これら女優サマたちと対極のところにいるのが、大女優・高峰秀子、デコちゃんですが、これがまあ筋が通ってすっぱりさばさば。デコちゃんの見方、考え方が、なんせかっけーのですよ。気持ちがよい。 

ん、この構造、どこかで。 

そう、これはもう「痛快TV スカッとジャパン」だ。はい、論破。 

前出の女優サマたちの器のなんと小っせーことか。 

そもそもデコちゃんは「女優」の本分の、演技そのものがすごいのでね。 

では、デコちゃんはどんなひとだったのか。 

それは目次でもうわかります。ざっとこんなかんじ。 

  • 「待たせない」
  • 「自作を観ない」
  • 「マネージャー、付き人を持たない」 
  • 「自分のポートレートを飾らない」
  • 「話が短い」 
  • 「化粧が薄い」
  • 「美容整形をしなかった」 
  • 「年齢を多くサバをよむ」 
  • 「主演女優なのに演技力がある」 
  • 「落ちぶれなかった」
  • 「太らなかった」
  • 「自然に引退した」 
  • 「目立つのが嫌い」 
  • 「人の手を煩わせない」 
  • 「子役から大成した」 
  • 「弱い者の味方だった」
  • 「特別扱いを嫌った」
  • 「人を地位や肩書で見ない」 
  • 「女優が嫌いだった」 

……などなど。 

デコちゃんが「女優」という仕事の役割をどう見て、それに向き合ってきたか。 

女優を「商売です」と割り切り、それ以外の時間をどう普通の人間として生活し、真っ当に敬意をもって他人に接したか。 

それらは、本人の口からではなく、長年交流があり後に養女にもなった著者から語られる。 

「かあちゃんと、とうちゃん(松山善三)は、こんなにすてきな人だったんだよ! きいてきいて!」 

という、2人への愛であふれてます。よかったですよ、書いてくれて。デコちゃんたちの人となりについて、わしらが知ることができて。 

だってこういうステキな人は、己のことをわざわざ喧伝しないから。 

そして、俳優(女優)というものについて。 

『俳優というのは、常に自分の中にもう1人の自分を持っていなければならない』 

カメラの前では邪魔な「私が! 私が!」という自意識を消し、厳しい客観性を持って完全に自己を客体化する、ということ。 

女優の仕事とは、スクリーンの中で自分をきれいに見せることではなく、あくまで役の女を理解してその人間になりきることであること。 

これこれ、これやで! 

美人女優ならずとも、少しでもきれいに見せたい、見られたいと、思うやん? 

それって、女みんなが抱えてる、業やん? 

だって、かわいい、きれい、若い、これらで女は生まれてからずっと、多かれ少なかれ、意識無意識問わず、差別を受けてきたわけやから。 なんで関西弁。

その、女を縛るものから、解放されねば。本質を見極めねば。じょゆう。 

ああ、デコちゃん最高。女として、人として、ほんとにかっこよい。 

マントラが増えました。デコちゃんデコちゃんマイケルエマーソン。 

ではまた来月。


はよ確定申告せな。

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