いわゆる女優サマたちの「あいたた……」エピソードは面白い。実害の及ばない遠くから眺めてるぶんには。この本『女優にあるまじき高峰秀子』はあれだ「スカッとジャパン」だ。デコちゃん高峰秀子が、どんだけかっけーか、という話です。
確定申告の時期ですね。
この世界の片隅で俳優をちんまりしているので職業欄「俳優」で申告し、そのたび気恥ずかしさに悶える山本ですがこんにちは。
で、そのすみっこ俳優やまもとは、撮影現場とかで、ひとさまの芝居みるのがとても好きなのですが、さらに、撮影待ってたりしてるときそのひとがどう居るか、どんな居かたをしているかをみるのが好きで。
というのも、なんだかそういうところに、そのひとの本質とか仕事に対する考え方が、一部なりとも顕れる気がしてな。
そんで、とてもいい居かたをしているすてきなひとを見つけると、俄然胸熱、泣きそうになるんですけどこれはなんですか。ホルモンの異常ですか。
いい居かた。それは大抵、なんか、飄々としている。
周りに気を遣わせない、感じ。壁を作るでもなく、話しかけたらふつーに返して、でも黙ってても、別にその沈黙が重くない感じ。
知り合いとはしゃぐでもなく、わざわざ場を盛り上げるでもなく、すっとそこに居る。
それはもともとがそういう性格、というよりは、現場の円滑さとか効率とか、そっちを考えた上で、そうしている、そうしてきたんだろうなあ、と、そのひとの蓄積までが見える気がして、ああ、なんかほんと、かっけー。あれ、妄想入ってますか?
実際どんなひとかは知らんが、現場での姿勢がとてもとても好きで、こうありたいと憧れる俳優さん。ビバ。
そんで、現場でなんだか嫌な感じの時、たとえば、うわあ媚びてんな~とか、すげえちやほやしてんな~とか、ひとをみて態度変えてんな~とか、そういう気持ちの悪い状況を見ちゃった時、憧れのひとたちの名をマントラのごとく呟くのです。
「マイケル・エマーソン。マイケルエマーソンならきっと。おのれはまいけるえまーそん……」
実名だしてアレな感じになるとアレなので、あえてメリケンの俳優さんにしましたが。
ていうか、マイケル・エマーソン会ったことないので現場でどんな風か知りませんが。
でもぜったいこのひとは、いい居かたのひとと思う。なんか。
- 著者
- 斎藤 明美
- 出版日
- 2018-11-28
非難を覚悟で言えば、女とはお喋りで感情的で意地悪な動物だ、と私は思っている。そしてさらなる非難を覚悟で言えば、女優とは、その女のイヤな部分を凝縮した生き物である。
週刊誌記者として延べ300人近い女優に取材した著者が得た、女優観、女性観。
一方、それに対し全く異なる生き方を貫いていた「高峰秀子」という存在。
大女優である高峰秀子は、なぜ女優が嫌いだったのか。
さて、ここには著者が仕事で会ってきた「女優」たちがわんさか出てきます。
対談の取材部屋に自前の鏡台を持ち込み、1時間以上かけて化粧したのち約束の時間から相手を40分待たせる女優サマ。
地方に講演でよばれて、事務所の社長ほか取り巻き5人をつれていく女優サマ。
「目立ちたくないの」と真っ黒なサングラスをかけ、頭には真っ赤なスカーフ、立てたコートの襟に顔をうずめて取材場所に現れる女優サマ。
「上映会」と銘打って、若かりし頃の出演作を他人に観るよう強要する往年の女優サマ。
自分の事務所から取材場所まで歩いて3分なのに、ハイヤーで送迎させようとする女優サマ。
実名は出てこないので、誰のことやらわたしにはさっぱりわからんのですが、おそらく現在若くても60代以上の、昔の女優サマたち。
高慢、不遜、わがまま、無理難題、差別、怠慢、媚び、見栄、虚飾。
それが「女優」にまつわる属性とか。
こんな今どきコントでしか見ないようなザ・女優サマたち、いっぱいいたんスか、へえ~。なんだか、絶滅した恐竜の話を聞くみたいで、面白いスね。
今はどうなんスかね、いるんスかね。
わたしはそこまでアレな女優サマに出くわしたことがなくて。ややアレくらい。
見たことあるのはむしろ演者に対してアレな……ゲフンゲフン。
掘り下げるとナニなんでこのへんで。
で、女優に対する著者の辛口具合が、もう。
女優はそれぞれに愚かである。
女優が自分のことを語る時、その大半を費やすのが“自慢"である。
女優は言ってみれば、その自己愛の海に溺れている生き物だ。
厚化粧の女優は、たいてい大根である。
女の中でも、女優ほど歳をごまかす人種はいない。
女優の好物、権力と金。
私が出逢った多くの女優は、女優を職業とは考えず、女優が人格とでも思っている節があった。
彼女たちは間違いなく、己を特別な人間だと考えている。
あはは、すげーな。よっぽど大変だったんでしょうね。
しかも著者は、女で、年下で、雑誌記者で、それこそ女優サマたちナメてかかってきそうじゃん~。逃げて~。
さて、これら女優サマたちと対極のところにいるのが、大女優・高峰秀子、デコちゃんですが、これがまあ筋が通ってすっぱりさばさば。デコちゃんの見方、考え方が、なんせかっけーのですよ。気持ちがよい。
ん、この構造、どこかで。
そう、これはもう「痛快TV スカッとジャパン」だ。はい、論破。
前出の女優サマたちの器のなんと小っせーことか。
そもそもデコちゃんは「女優」の本分の、演技そのものがすごいのでね。
では、デコちゃんはどんなひとだったのか。
それは目次でもうわかります。ざっとこんなかんじ。
……などなど。
デコちゃんが「女優」という仕事の役割をどう見て、それに向き合ってきたか。
女優を「商売です」と割り切り、それ以外の時間をどう普通の人間として生活し、真っ当に敬意をもって他人に接したか。
それらは、本人の口からではなく、長年交流があり後に養女にもなった著者から語られる。
「かあちゃんと、とうちゃん(松山善三)は、こんなにすてきな人だったんだよ! きいてきいて!」
という、2人への愛であふれてます。よかったですよ、書いてくれて。デコちゃんたちの人となりについて、わしらが知ることができて。
だってこういうステキな人は、己のことをわざわざ喧伝しないから。
そして、俳優(女優)というものについて。
『俳優というのは、常に自分の中にもう1人の自分を持っていなければならない』
カメラの前では邪魔な「私が! 私が!」という自意識を消し、厳しい客観性を持って完全に自己を客体化する、ということ。
女優の仕事とは、スクリーンの中で自分をきれいに見せることではなく、あくまで役の女を理解してその人間になりきることであること。
これこれ、これやで!
美人女優ならずとも、少しでもきれいに見せたい、見られたいと、思うやん?
それって、女みんなが抱えてる、業やん?
だって、かわいい、きれい、若い、これらで女は生まれてからずっと、多かれ少なかれ、意識無意識問わず、差別を受けてきたわけやから。 なんで関西弁。
その、女を縛るものから、解放されねば。本質を見極めねば。じょゆう。
ああ、デコちゃん最高。女として、人として、ほんとにかっこよい。
マントラが増えました。デコちゃんデコちゃんマイケルエマーソン。
ではまた来月。
はよ確定申告せな。
やまゆうのなまぬる子育て
劇団・青年団所属の俳優山本裕子さんがお気に入りの本をご紹介。