アメリカとソ連の冷戦終結が宣言されたマルタ会談。現代史において、もっとも重要な会談だといわれています。この記事では、内容や開催された背景、中心人物だったブッシュとゴルバチョフの人となりなどをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひご覧ください。
1989年12月2日から3日におこなわれたマルタ会談。約44年間続いたアメリカとソ連の冷戦終結が宣言され、歴史の大きな区切りとなりました。
地中海のほぼ中央にある島国・マルタ共和国の沖に停泊したソ連のクルーズ客船「マクシム・ゴーリキー」の船内が舞台となったことから「マルタ会談」の名称で定着しています。
アメリカ側からはジョージ・H・W・ブッシュ大統領、ソ連側からはミハイル・ゴルバチョフ書記長、そのほか両陣営の政府高官が出席しました。
冷戦は、1945年の第二次大戦末期におこなわれたヤルタ会談に端を発することから、この会談では「ヤルタからマルタへ」というキャッチフレーズが掲げられました。
マルタ会談に参加したブッシュ大統領、ゴルバチョフ書記長それぞれの来歴を確認しておきましょう。
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、1924年6月12日に、共和党上院議員だったプレスコット・ブッシュとドロシー・ウォーカー夫妻の次男として誕生しました。ブッシュ家は祖先がイギリス王室にも連なる名家です。
高校卒業後、海軍に志願。第二次大戦中は雷撃機のパイロットとして日本軍と戦い、2度も撃墜される経験をしています。帰国後はバーバラ・ピアスと結婚。イェール大学に進学し、かつて父が所属し、後に息子も所属することになる秘密結社「スカル・アンド・ボーンズ」に加入しました。
大学卒業後は土木・建築会社のセールスマンとなり、1960年代後半から政治家への道に進みます。共和党全国委員会委員長、国連大使、駐中国特命全権公使などを歴任した後、1976~1977年にはCIA長官、1981~1989年には副大統領を務め、1989年に第41代大統領となりました。
ブッシュ大統領は「従軍経験のある最後の大統領」ともいわれ、その経歴からもわかるとおり、外交や安全保障問題に造詣が深く、政策方針にも大きく影響を与えています。軍事力の行使に関してバランス感覚が優れていて、過度に依存することも忌避することもなく、必要に応じて軍を統率できる均衡のとれた人物でした。
湾岸戦争では多国籍軍を編成してイラクの侵攻を食い止め、ドイツの東西統一を支援し、イギリスやフランスの反対を押し切ってドイツのNATO加盟を実現させるなど多くの功績をあげています。
マルタ会談については、アメリカ政権内部でも「時期尚早」と反対する声が多くありました。これらの反対意見を説得し、開催に踏み切ったのもブッシュ大統領の功績のひとつです。
一方のミハイル・ゴルバチョフ書記長は、1931年3月2日、北カフカスに位置するスタヴロポリ地方の農民の子として生まれました。第二次世界大戦後、14歳からコンバインの運転手として働きながらも、成績優秀だったためスタヴロポリ市当局からの推薦を受け、19歳でモスクワ大学法学部に入学します。大学在学中に、後に妻となるライーサ・マクシーモヴナ・チタレンコと出会いました。
1952年、ソ連共産党に入党し、大学卒業後の1955年にはスタヴロポリ市コムソモール第一書記に就任。以降、スタヴロポリ地方の官僚として出世を続け、1971年には40歳にして党中央委員に選出されます。1980年には史上最年少で政治局員となると、1985年には54歳の若さでソ連共産党書記長に就任しました。
就任後、首相にニコライ・ルイシコフ、外相にエドゥアルド・シェワルナゼを抜擢するなど、中央・地方・軍などの人事を刷新。ゴルバチョフがたびたび口にした「プロツェース・パショール(改革ははじまった)」という言葉が流行します。
改革はとどまらず、「ペレストロイカ(=再建)」や「グラスノスチ(=情報公開)」といった標語を掲げ、米ソ首脳会談で核軍縮交渉を加速させました。さらにはアフガニスタンからのソ連軍撤退、中ソ関係の改善などを次々と実現させていきます。
冷戦を集結させ、現代史においてもっとも重要な会談といわれるマルタ会談が成功した背景には、ブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長、この2人のリーダーシップがありました。彼らの存在がなければ、冷戦が大きな波乱なく終結することはなかったと、多くの歴史家が評価しています。
「軍備管理・軍縮問題」、「東欧問題」、「ドイツ再統一問題」、「ソ連経済問題」、「中東紛争問題」の5点を中心に、マルタ会談は実施されました。ドイツにおけるベルリンの壁崩壊など、東西冷戦の終結へと世界が動き出すなか、マルタ会談は冷戦終結を追認するかたちとなったのです。
ただし、この会談で何かが「合意」されたわけではありません。むしろマルタ会談の意義は、東西陣営を代表する首脳が会談し、冷戦の終結を宣言した事実そのものにあるといえます。ブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長が並んで写った写真とともに、冷戦終結の大きなイメージを世界に与えることになりました。
ちなみに会談を通じてブッシュ大統領は、ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカなど一連の改革を支持するとしました。共同声明でゴルバチョフ書記長が述べたとおり、この会談を通じて「世界はひとつの時代を克服」して、「新たな時代」への第一歩を踏み出すことになったのです。
またブッシュ大統領はマルタ会談を記念して、出席者全員に冷戦の象徴だったベルリンの壁の破片を渡したそうです。
ゴルバチョフ書記長が提唱した「新思考外交」と呼ばれる理念が、マルタ会談開催の背景となっています。
1968年にチェコスロバキアで起きたプラハの春から、1979年のアフガニスタン侵攻にいたるまで、ソ連の軍事介入を正当化する根拠となっていたのが、「社会主義陣営全体の利益のためならば、一国の主権を制限しても構わない」とする「制限主権論」でした。この論理は当時のソ連最高指導者レオニード・ブレジネフの名を取って「ブレジネフ・ドクトリン」と呼ばれています。
ゴルバチョフ書記長はこのブレジネフ・ドクトリンを撤廃し、アフガニスタンからソ連軍を撤退させ、東欧の民主化や東西ドイツの統一容認、核兵器の削減を実現しました。この新たな外交理念である「新思考外交」こそが、冷戦の終結、そしてマルタ会談開催の背景になっているのです。
- 著者
- ロバート マクマン
- 出版日
- 2018-07-14
冷戦史の入門書ともいうべき一冊。作者は、アメリカ外交史学会の理事長を務めた経歴もあるロバート・マクマンです。
1989年にマルタ会談がおこなわれて冷戦が終結し、1991年にソ連が崩壊してから約30年が経ちました。当時を知らない世代が増えていくなか、「冷戦とは何だったのか」「現代にどのような影響を及ぼしているのか」をあらためて考えることは、大きな意義があるでしょう。
冷戦が終わりソ連が崩壊した後も、ロシアは依然、大国として存在しています。中東の泥沼の対立は解ける兆しもなく、冷戦の象徴ともされる朝鮮半島の分断も続いているのです。
実は現代に起こっている問題の多くが、冷戦を背景としているものであるという事実を前にすると、冷戦史を紐解くことは重要なことだとわかるでしょう。
- 著者
- 佐々木 卓也
- 出版日
- 2011-11-14
本書は、最新の学術的成果を踏まえつつ、冷戦の特性や特徴を当時の時代的背景を考察しながら、ひとつの流れとして分析している作品です。
アメリカとソ連という超大国が、地球を滅ぼすこともできるほどの核兵器を抱えて睨みあっていた時代。キューバ危機など一触触発の事態を経ながらも、結局両者が直接対決することはありませんでした。
冷戦を、単にアメリカとソ連の対立や、代理戦争という側面だけで見るのではなく、事態をエスカレートさせないために彼らがどのように歩み寄り、抑制がなされていたのかという視点で見ることは斬新でしょう。
マルタ会談にいたるまでの流れを知ることができる一冊です。
対立してきた二大国の首脳が、戦争ではなく会談によってひとつの大きな時代の節目を作り出したという点において、マルタ会談は非常に意義のあるものだったといえます。その背景には、ブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長という2人の最高指導者の信念とリーダーシップがありました。この記事が、マルタ会談や冷戦について考えるきっかけになれば幸いです。