アニメ映画化が決定している上橋菜穂子作『鹿の王』。同作者の『精霊の守り人』『獣の奏者』のアニメ化の際にも成功をおさめた「Production I.G」によって映像化がなされます。 壮大な世界観をもつファンタジー、そしてウィルスというミクロなものと戦う医療ミステリーとしての両側面を持つ本作。命というものに対して深く考えさせられる内容です。この記事ではそんな本作の7つの魅力をご紹介します!
上橋菜穂子が描く、上・下巻におよぶ長編小説(文庫版は全4巻)。児童向けのつばさ文庫からも発行されています。
ファンタジーやミステリーといったジャンル分けが簡単できないほどの壮大な世界観に、読む手が止まらなくなるでしょう。
2015年には本屋大賞を受賞し、第4回日本医療小説大賞を受賞。発行部数は上下巻合わせて100万部を超えるなど、大ヒットの作品です。
- 著者
- 上橋 菜穂子
- 出版日
- 2017-06-17
物語は、2人の男が中心となって進んでいきます。
1人は飛鹿(ピユイカ)と呼ばれる、鹿を操り戦うグループを率いていた、ヴァン。彼は戦いに敗れ、地下のアカファ岩塩鉱で働かされています。しかし、ある晩、謎の獣が岩塩鉱を襲撃。獣に噛まれた人々が謎の病を発病して次々と死んでいくなか、なぜか彼だけが生き残るのです。
もう1人は、東乎瑠(ツオル)帝国の医術師ホッサル。岩塩鉱で確認された謎の病の原因究明にかりだされます。
この2人がどう関わっていくのか、また病に関する事実にどう立ち向かっていくのかが見所のストーリーです。
そんな本作は「Production I.G」の手により、アニメ映画化が決定。作者である上橋も映像化は困難だと考えていたそうですが、いったいどんな魅力的な映画になっているのか、楽しみです。
本作は、実在しないツオル帝国やアカファ国を詳細に描くファンタジーです。その国の自然や生物の描写がリアルで美しく、「生きている」ということの素晴らしさを痛感させられるでしょう。
たとえば、ヴァンが若い鹿と遭遇するシーンで「若い鹿は騒々しい。ーその煩さがうらやましかった」という一説が出てきます。ここにあるのは、生き物が生きているというシンプルな事実と力強さ、それに対する賛歌です。たった一文で、生命の奇跡を感じられます。
そうした「生」というリアルを描きつつ、本作はファンタジー小説でもあります。鹿を操るという特殊な能力を持つヴァンを中心に、さまざまな謎や不思議が登場するのです。
- 著者
- 上橋 菜穂子
- 出版日
- 2017-06-17
ヴァンをはじめ、そこで生きる民は国を治める者に振り回されながらも、力強く生きています。しかし、そんな彼らの生活を脅かす存在が出現。それが、岩塩鉱で発症した感染症です。ここで、本作の医療小説としての面白さが発揮されます。
感染症についての流説に惑わされる民の姿は、身につまされるものがあるでしょう。医学の知識がない者は、かつて一国をほろぼした病だという情報だけを聞き絶望感を味わいます。自分の専門外の分野で恐ろしい噂を聞き、「自分たちには、どうにもできない」と思ってしまうのは、身につまされるものがあるはずです。
しかしそこで諦めず、感染症の原因究明のために歴史を振り返り、新しい技術も取り入れていこうとするホッサル達。その抗体について判明するまでのストーリー展開はとてもリアルで、医学に詳しくない人は、その部分でさまざまな知識を得られるでしょう。
本作の大きな魅力は、登場人物たちそれぞれの思いです。
特にヴァンは、かつて失った妻やわが子、そして仲間たちへの悔恨の思いにさいなまれている人物で、つい道場してしまうような人物。
しかしそれだけでなく、自分とともに岩塩鉱で生き残った幼子ユナを守り抜くという、強い決意も持っています。彼は、自分の目に映る者を救おうという意志がとても強い人物で、その力強さが魅力です。
そんな彼にやがて心惹かれていくのが、サエ。彼女は、ツオル帝国に支配される前のアカファ国で奴隷を追っていた氏族の娘で、優秀な技量の持ち主です。その場の痕跡から、どこへ誰が向かったのかを嗅ぎ当てる力を持っています。
ツオル帝国の王に命じられてヴァンを追っていましたが、その際に逆に彼から救われることとなりました。
- 著者
- 上橋 菜穂子
- 出版日
- 2017-07-25
ヴァンが守り救うのは、人だけではありません。偶然出会ったオキという民族のトマを助け、彼が扱いあぐねていた飛鹿をも助けました。そしてヴァンは、トマに飛鹿の育て方を教えるのです。
ヴァンは、かなり高い身体能力を持っています。そのうえ、火馬の民のもとにいる「キンマの犬」に噛まれた際には、その獣を操る能力を手に入れるのです。通常キンマの犬に噛まれた者は病を発病し、高熱にうかされて死んでいくのですが、なぜか彼は高熱が出ても息絶えず、能力を得たのでした。
一方、医術師ホッサルは「病を治す」ということに、文字通り命を懸けています。オタワル王国出身の彼は、病の奥にある、国同士の抗争や政治的な目論見に気づきます。しかし、彼は政治には興味を示しません。彼の従者マコウカンや助手ミラルは、そんな彼のために命を懸けるほどの思いを抱いていました。
この物語は登場人物たちそれぞれのキャラクターと、強い想いがストーリーを進めていきます。紹介した他にもツオル帝国に制圧された火馬の民の族長オーファン、鷹狩中にキンマの犬に襲われるイザムなどの国にかける想いも強く、読者はその思いに引きずられるように物語を読み進めることになるのです。
冒頭に、とても印象的なシーンが描かれます。「光る葉っぱ」と呼ばれる生き物について、少年と祖父が対話するシーンです。
卵を産んだ光る葉っぱが一斉に死んでいくのを見て、少年は強くショックを受けます。それに対して、祖父は伝えるのです。これこそが自然の摂理なのだ、と。
まだ物語が始まる前のこの場面が、すでに生きるとはどういうことなのかを読者に問いかけています。この「光る葉っぱ」は、実在の生き物「エリシア・クロロティカ」というウミウシをモデルとしているそうです。
私たち人間から見ると「子供を産んですぐ死ぬ」ということは、とてつもなく過酷な運命のように感じられるでしょう。しかし、それはウミウシたちにとっては当然のことで、自然の摂理なのです。
また、この「光る葉っぱ」が一斉に死ぬのは「病の種を身にひそませているからだ」という祖父の発言は、感染症に関する布石にも感じられるでしょう。
幻想的ながら、考えさせられるところの多い始まりのシーンです。
本作のタイトルは、かつて飛鹿に乗って戦闘する集団を率いる頭であったヴァンのことを示しているようにも思えますが、実は群れを支配するものを「鹿の王」と呼ぶわけではありません。
この言葉の意味は、作中でヴァンによって語られます。「盛りを過ぎた鹿が、本当の意味で群れの存続を支えて尊ぶ者」となった状態のことを指すそうです。ヴァンがラストで見せる行動は、まさにこの言葉に相応しいもの。その展開を目にして初めて、タイトルの意味が理解できるのかもしれません。
また、岩塩鉱で発症した病は、獣を媒介として移り、高熱によって人を死に至らせる「黒狼熱」だということがホッサルらの努力で判明します。彼は過去の歴史を紐解くとともに、自分が感染する危険をものともせず、発病した人の診察にあたります。黒狼熱は、かつてアカファ国を滅ぼした病でもありました。
その時の原因は、ある身近な生物。飛鹿、火馬、トナカイなどは生息地に生えるものを食べていたので免疫をもっていましたが、人々は何の免疫もなく、高熱にうかされてその命を失っていったのです。今回の病原は、キンマの犬でした。どうやら病気の免疫や感染に関する大きな秘密を、この犬が持っているようですが……。
ウィルスの正体やその感染ルートを突き止めていく医療ミステリーとしての要素を持つ本作は、生物の生態系や体内のメカニズムまで丁寧に説き明かしていく、本格派です。しかし、ヴァンだけがキンマの犬を操る力を得るというあたりは、ファンタジー小説として面白い点でしょう。
彼だけが噛まれても感染しなかったというのも、不思議な点です。このこともあり、彼はさまざまな陰謀に巻き込まれていくことになります。
どちらかといえばヴァンがメインである本作。その最新作である『鹿の王 水底の橋』は、ホッサルが単独主人公の物語です。
『鹿の王』の、その後を描いた物語。ホッサルは助手であったミラルとの関係も深まり、かなり人間的な魅力を増している様子です。
次期皇帝争いが勃発しているツオル帝国で、彼の医学や命というものへの強い思いが明確になっていき、クールな印象のあったイメージが、ガラリと変わるかもしれません。
- 著者
- 上橋 菜穂子
- 出版日
- 2019-03-27
祭司医である真那に招待されて清心教発祥の地に向かったホッサルとミラルは、清心教医術の驚くべき歴史を知るとともに、医術者同士が対立するありかたに疑問を抱くようになるのです。
医療の理想というものに観点を当てながらも、医療だけに偏らず、陰謀渦巻く国の様相が描かれていく本作。その真相が気になって、一気にラストまで読み進めてしまうことでしょう。
「オタワル人は、この世に勝ち負けはないと思っているよ。
食われるのであれば、巧く食われればよい。
食われた物が、食った者の身体となるのだから」
(『鹿の王』より引用)
これは、オタワル人のミラルが放った言葉です。食物連鎖のなかに人も組み込まれているのだということに気づかされ、ハッと胸をつかれる言葉でしょう。
「私は、その途方もなく大いなるものの前で、立ち尽くす気はありません。
そのすべてを『神々の領域』と名付けて納得し、
触れずに目をつぶる気もちになれないのです」
(『鹿の王』より引用)
ホッサルの、医学というものに対する心構えがわかる言葉。わからないものをわかってやろうという気概が感じられます。それはもしかしたら、医療従事者に共通する想いなのかもしれません。
「おのれの身体に残る命の火が消えていくまで、生きねばならない」
(『鹿の王』より引用)
ヴァンはどんなに辛くても、自死ということを考えません。それは彼の中なかに、この言葉のようなポリシーがあるからです。ヴァンという人物が魅力的なのは、やはりこういった強さがあるからなのでしょう。
「病に命を奪われることを諦めて良いのは、
諦めて受け入れるほかに為すすべのない者だけだ。
他者の命が奪われることを見過ごして良いのは、
たすけるすべをもたぬ者だけだ」
(『鹿の王』より引用)
こちらもホッサルの言葉です。抗体の摂取を拒んだ者にかけたこの言葉のなかにも、自身の医学とうものへの想いがにじみ出ていますね。
「生き物はみな、病の種を身に潜ませて生きている。
身に抱いているそいつに負けなければ生きていられるが、負ければ死ぬ。
ほかのすべてと同じこと」
(『鹿の王』より引用)
冒頭の不思議なシーンで、光る葉っぱが死にゆくことを悲しむ少年に、その祖父がかける言葉です。「ほかのすべてと同じこと」という言葉が、ずっしりとした重みをもって響きます。
キンマの犬を操る能力を得たヴァンは、かつてツオル帝国に自身の身内を殺されていることから、ツオル帝国を敵とみなす火馬の民の長となることを求められます。
しかし彼は過去の因縁を切り捨て、目の前にいる人々を守ることを選ぶのです。再び孤独になり、そのまま人々を守る道を突き進もうとしますが、今の彼にはユナとサエがいます。
かつて赤子だったユナはすくすくと成長し、今ではヴァンを父として慕っていました。ヴァンが彼女に心癒される場面が、作中では何度か描かれます。ずっと守る対象であったユナの存在ですが、戦士であり、追われる身でもあるヴァンにとっても、彼女はなくてはならない存在となったのです。
- 著者
- 上橋 菜穂子
- 出版日
- 2017-07-25
彼は、物語冒頭は逃げた奴隷として追われ、中盤ではキンマの犬に噛まれたにも関わらず生き延びている検体として追われます。そして最終的には、国と国との争いに決着をつける力を持った者として追われることとなるのです。
国や医療、政治や人種といった複雑なものが渦巻くなか、自分の気持ちに正直に、シンプルな決断を下していくヴァン。そんな姿は、読んでいてほれぼれとすらしてしまいます。
キンマの犬によって広がっていった黒狼熱。自然に広まっていったと思われていたそれに、人の手が加えられた可能性が浮上してきます。そして、その人物として疑われることになるヴァン。さまざまなものに巻き込まれた彼の運命は、果たして……。
命について考えさせられる、壮大な医療ファンタジー『鹿の王』。アニメ映画と合わせて、ぜひ楽しんでいただきたい名作です。