日本をはじめとする先進各国で、社会保障費の高騰が問題視されています。そして解決策としてしばしば提言されるのが「ベーシックインカム」の導入です。2017年にはフィンランドで試験導入され、世界から注目が集まりました。この記事では、仕組み、メリットとデメリット、AIとの関係などをわかりやすく解説していきます。あわせてもっと理解が深まるおすすめの関連本も紹介するので、ぜひ最後までご覧ください。
政府が国民に対し、無条件で一定金額の現金を支給する社会保障制度を「ベーシックインカム」といいます。18世紀末に活躍した哲学者、トマス・ペインとトマス・スペンスらが提唱し、20世紀後半から国家レベルでの導入が議論されています。
ベーシックインカムの目的は、全国民が最低限の生活を送るのに必要な所得を、政府が保障すること。そのため日本語では「最低所得保障」や「基礎所得保障」、「最低生活保障」と呼ばれることもあります。
最大の特徴は、収入や性別、年齢などに関係なく、すべての人が受け取ることができる点。現代の日本で実施されている年金制度や生活保護制度、失業保険制度は、お金を受け取るためには一定の条件を満たす必要があります。制度自体も複雑になり、支給の対象から外れてしまう人が生じているのが現状です。
これに対してベーシックインカムは、制度の簡略化にともなう社会保障費のコスト削減ができ、また全国民が支給対象となることで貧困の改善につながると期待されています。
その一方で、すべての国民に一定の金額を支給するには、膨大な財源が必要となります。そのため導入にあたっては、財源の確保が大きな論点となっているのです。
たとえば日本では、年金や生活保護、失業保険などのさまざまな社会保障政策を一本化し、その結果削減できた社会保障費を財源に転用する案、富裕層を中心に増税して財源とする案などが出ています。ただ、社会保障のセーフティーネットがかえって弱まってしまうという懸念や、不正受給、非合法組織への資金流入に繋がりかねないなどの懸念があるのも事実です。
同様の議論は日本国外でもされていて、ベーシックインカムに対する評価はいまだに定まっていません。2019年現在、試験的もしくは限定的な導入や、近似した制度を採用している国はあるものの、本格的に導入している国家は存在しない状態です。
全国民に一律、一定の金額を支給することで、メリット・デメリットの双方が発生すると考えられています。
まずメリットです。ベーシックインカムによって最低限の所得が保障され、貧困や労働問題の改善につながると考えられています。すべての国民に一律に支給されるため、生活保護制度とは異なり後ろめたさを感じることはなくなります。また、生活保護の支給対象にならない「プチ貧困層」への支援が手厚くなるのもメリットでしょう。
また年収によって支給額が左右されることもないため、より豊かに暮らしたい人が働き続けることに何の問題もありません。一方で生活のために無理な残業を重ねたり、不利な環境で非正規雇用を続ける必要はなくなります。
勤労意欲を低下させるのではないかという懸念の声もありますが、2017年1月から2018年12月までフィンランドで実施されたベーシックインカムの試験では、起業意欲の増加をもたらしたというデータも。必ずしも勤労意欲の低下をもたらすわけではないようです。
次にデメリットです。先述したとおり、膨大な財源を確保しなければならないことが、最大の欠点だといえるでしょう。
東京大学の柳川範之教授は、日本でベーシックインカムを導入する際の問題点について次のように述べています。
日本の2018年度予算でいうと社会保障費は100兆円弱です。これを国民全員に平等に配ると6~7万円になります。
(中略)
たとえば東京のような都市で月6万円とか7万円でまともな暮らしができるでしょうか。しかし、それを大きく超える額を出した場合、財政がさらに悪化します。社会保障費の総額を変えずにベーシックインカムに移行する場合、もうひとつ問題があります。とくに低所得者や貧困層のあいだでいまより受取額が減る人が出てくる、という点です。(プレシデントオンライン「「全国民に月7万円」は誰も幸せにしない」より引用)
ここで指摘されているように、日本の財政で1億人を超える国民にベーシックインカムを支給するとなると、個人に分配される金額はけっして高額ではありません。しかしこれを引き上げようとすると、財政のさらなる悪化や増税などの問題が生まれてくるのです。
またベーシックインカムを導入すると、年金制度や生活保護制度が統合されてしまうため、すでにこれらの制度を利用して現金を受給している人のなかには、かえって支給額が減ってしまう人も生じる可能性が懸念されています。
先述したとおり、2019年現在、国家レベルでベーシックインカムを導入した国は存在しません。しかし地域によっては実施しているケースや、欧米を中心に試験的な運用を試みる国は増えています。
たとえばアメリカのアラスカ州では、1976年から「アラスカ恒久基金」というベーシックインカムに近い制度が実施されています。公益ファンドの収益を財源に、条件を満たした住民へ年間1000ドルから2000ドルの支給が実施されているのです。
またフィンランドでは、2017年1月から2018年12月まで、ベーシックインカムの検証試験がおこなわれました。支給の対象になったのは、無作為に選出された2000人の失業者たち。月に560ユーロが支給され、雇用の上昇にはいたらなかったものの、既存の社会保障制度と比較して生活満足度が上昇し、起業意欲が高まったという報告がされています。
そしてイタリアでは、2018年の総選挙で第一党となった「五つ星運動(Movimento 5 Stelle)」が、政権公約として「市民所得」と呼ばれる限定的なベーシックインカムの導入を掲げています。貧困ラインを下回る人々に対象を限定しつつ、最大で月に780ユーロ相当の小切手を支給する構想です。しかし年間100億ユーロの経費がかかる見込みで、他のEU各国からは批判が生じています。
一方スイスでは、2016年6月にベーシックインカムの導入をめぐって国民投票が実施されました。その結果、財源確保への不安や移民流入の危惧などから否決されています。月2500フラン以上の収入がある場合、ベーシックインカムの受給資格を得られないというもので、勤労意欲の低下に繋がるという懸念も背景にあるようです。
世界各国で注目されていることがわかるベーシックインカムですが、最低所得の保障や社会保障費の高騰だけがその理由ではありません。AI、つまり人工知能との関係にも、関心が寄せられているのです。
近年、AIの開発はさらに加速し、これまで人間がおこなっていた仕事をAIが代替するようになってきています。将来的には、AIによって仕事を奪われる労働者が増加することが見込まれているのです。
すると人間の仕事は、AIが担当しない分野に限定されることとなります。具体的には、クリエイティブな職業や、AIの導入がコストに見合わない職業です。就業先が二極分化することで、中間層の消滅や所得格差の拡大が生じてしまうと予測されています。
この格差を埋めるために有効な施策となり得るのが、ベーシックインカムです。AIの仕事で得た利益を財源とし、安定的なベーシックインカムを実現して人間が労働から解放されると予測する論者もいるほど。
良くも悪くも、AIの普及は私たちの労働環境を大きく変化させています。ベーシックインカムとともに、どのように活用していくべきなのか、今後も議論がされていくでしょう。
- 著者
- 井上智洋
- 出版日
- 2018-04-17
人口知能と雇用の関係を研究する経済学者、 井上智洋の作品です。ベーシックインカムを、税金を財源とするものと、通貨発行益を財源とするものの「二階建て」構造にすることで、AIにまつわる問題を克服できると主張しています。
ベーシックインカムの概要や仕組みなどから解説してくれているので、初心者にもおすすめの一冊。また「労働は美徳」とする価値観が、ベーシックインカムの導入の大きな障害になっているという意見も興味深いでしょう。未来の経済の在り方を考えるきっかけになる一冊です。
- 著者
- ルトガー ブレグマン
- 出版日
- 2017-05-25
オランダの歴史学者、ルトガー・ブレグマンの作品です。歴史的な観点を踏まえつつ、ベーシックインカムの導入や、1日の労働時間の削減、国境線の解放の必要性を主張しています。
かつては、「女性は政治に参加すべきでない」という考えが当たり前だったのに、現在では逆の価値観が当たり前になっていることを例に挙げ、ベーシックインカムについても今の価値観から切り離して考える必要があると指摘。さまざまな視点から私たちの暮らしを考えています。
ベーシックインカムに肯定的な意見の人も否定的な意見の人も、刺激をもらえるでしょう。