「一生のお願い!!」。小学校低学年の頃、僕の口癖だった。 今思えば、なんて恐ろしい言葉なんだろう。 「一生に一度」だぞ? 自分の一生の長さもわからない、これからの人生何が起きるかわからない。 もしも、その一生のお願いを人生でたった一度、たった一度だけ使えるとしたら……。 ……これは、究極だな。
昔っから好きな話のネタがある。
「究極の選択」だ。
『一生それしか食べれないとしたら、何食べる?』
『一生一色の服しか着られないとしたら、何色を選ぶ?』
皆さんも考えてください。この馬鹿げた質問を、出来るだけ真剣に考えてください。
これは、令和という新時代の幕開けに、日本政府が発表した法律です!!
……というくらいに真剣に考えてみてください!
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、
、、
、、、答えは出ましたか?
大抵の人の答えは1問目は、米。2問目は、黒だと思います。
ちなみに僕もその、大抵の人の中の一人です。
答えが一緒になるなら面白くなくない?と思う方もいらっしゃると思います。
この「究極の選択」。面白いのは結果じゃないんです!
話を進める途中で、「自分」というものを切り捨てていく様が面白いんです。
「一生」という言葉の呪縛によって。
例えば、僕は水色が一番好きです。
この春も、古着屋さんで水色の1960年代のスウィングトップを購入しました。
中にグレーのパーカーを着て、パンツは全体を引き締めるためブラックスキニー、足元には水色のコンバースでスウィングトップと色を合わせようか。なんて考えています。
しかしそれは、色を選べるという自由があるから。
「一生一色」という枷をかけられたら、途端に自分の一番は揺らいでいきます。
せっかく1万(大金)をはたいて購入したのに着れないの!?
でもどうしても着たかったら全身水色の男か…。
「お前この法律出来た時、水色選んだのかよ(笑)」
「ママ〜、あのお兄ちゃん全身水色着てるよ〜?」「こら!指差しちゃダメ!!」
ああ、ダメだ!! 水色を選んだら僕は街の笑いものだ……!!
深く考えれば考えるほど、
「適当」を選ぶのが、この究極の選択なんです。
ちなみにこの場合の適当はいい加減という意味ではなく、相応しいという意味です。
そして「適当」とは、「ぴったり」というニュアンスではなく、あくまでも程度が「程よい」ということです。
それではもう一つ、究極の選択を。
『一生一冊の本しか読めないとしたら、どの本を選ぶ?』
適当な、程よい本を僕は知っています。
- 著者
- 木下 晋也
- 出版日
- 2009-01-23
日常生活の中のちょっとした機微やすれ違いにある、普通の人なら見逃してしまうような面白さを、8コママンガという変わったフォーマットと気の抜けたような絵柄で描く、たんぱく質不足な副菜系8コママンガ。
クスッとしてしまうほんのり哀愁のある笑いは、まさにポテンヒット。
僕がこの本を「究極の選択」の中で選んだ理由。
程よい。
不機嫌な日、悲しいことがあった日、疲れた日。どんな日でもすんなり読める。
そして気づけば、疲れを程よく癒してくれる。
いや、でも待って?この漫画は全10巻でしょ? 一冊しか選べないってルールじゃないの?
……心配いりません。
どの巻を選んでも、程よい。
ちなみに僕は、4巻だけ持っていません(笑)。
またそれはそれで、程よいんです。
何巻からでも良いです。皆さん一度手にとってポテン生活を読んでみてください。
ああ、確かに究極の選択で選ぶ本かも。とわかってくれると思います。