第一次世界大戦後に締結された「ヴェルサイユ条約」。平和な世界を築くはずだったのに、世界が再び争いへと向かっていったのはなぜなのでしょうか。この記事では、賠償金など具体的な内容や問題点、条約締結後に築かれたヴェルサイユ体制などをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、チェックしてみてください。
1919年6月28日に、フランスのヴェルサイユ宮殿「鏡の間」にて調印されたヴェルサイユ条約。第一次世界大戦の講和条約です。
日本語の正式名称は「同盟及連合国ト独逸国トノ平和条約」といい、この条約にもとづく国際秩序を「ヴェルサイユ体制」と呼んでいます。
詳細は1919年1月18日から開催された「パリ講和会議」で定められ、日本もイギリスやフランス、イタリア、アメリカと並ぶ主要国として参加しました。
講和条約の仲介役を担ったアメリカのウィルソン大統領は国際協調を唱えましたが、フランスによるドイツへの積年の報復という側面が色濃く反映され、敗戦国ドイツに対して過重な負担を強いる内容になっています。緒押印式がおこなわれた「鏡の間」は、1871年に「普仏戦争」の仮条約締結とドイツ帝国の成立が宣言された因縁の場所で、フランスにとってはかつての雪辱を晴らす絶好の機会だったのです。
ではヴェルサイユ条約の内容や問題点を詳しくみていきましょう。
全15章440条で構成されていて、多岐にわたる取り決めがなされていますが、大きくは「国際連盟」「領土の処分」「軍備の制限」「賠償金」の4つに分けられます。
国際連盟
第一次世界大戦中の1918年1月8日にアメリカのウィルソン大統領が発表し、ヴェルサイユ条約の前提となった「十四か条の平和原則」にて提唱された史上初の国際平和機構です。ヴェルサイユ条約の発効日である1920年1月10日に同時に発足しました。連合国の勝利に貢献した日本は5大国の一角を占め、常任理事国となります。
領土の処分
ドイツは国外に所有していたすべての植民地と権益を放棄するよう定められ、中国の山東半島の権益は日本に与えられることになりました。それに加えて、パラオやマーシャル諸島など赤道以北の南洋諸島は、委任統治領として日本が譲り受けることになります。
またドイツは、アルザス・ロレーヌ地方をフランスに返還、ポーランド回廊をポーランドに割譲、ザール地方やダンツィヒは国際連盟の管理下にされるなど、人口の約10%、国土の約15%を失う結果となったのです。
軍備の制限
ドイツは徴兵制を廃止させられ、陸軍、海軍ともに兵力を制限。航空機や潜水艦の保有は禁じられ、所有できる兵器の種類や数、弾薬数まで細かく規制されました。
賠償金
戦争責任はドイツにあるものとし、1320億金マルクの賠償金が課されることになりました。これは第一次世界大戦前である、1913年のドイツの国民総所得の2.5倍というとてつもない額でした。
アメリカのウイルソン大統領が提唱した「十四か条の平和原則」では、国際連盟の設置以外にも、「秘密外交の廃止」「海洋の自由」「関税障壁の撤廃」「軍備縮小」「民族自決」など現代に通じる画期的な提案がなされました。
この原則にもとづき、ウィルソン大統領は敗戦国であるドイツに対しても「賠償金なし」を唱えていましたが、その姿勢はフランスやイギリスにとっては受け入れがたいものでした。
結果的にドイツに対して多額の賠償金を課し、さらに財源を生み出すアルザス・ロレーヌ地方やザール地方など天然資源の産地は取りあげるという、過酷なヴェルサイユ条約が締結されます。また支払いが履行されない場合には、ドイツの工業地帯であるルール地方をフランスが占領することもめられました。
イギリス側の担当者としてドイツへの賠償金試算に従事していた経済学者ケインズは、著書のなかで、自分の試算を大幅に超える賠償金が課されたことに対し、「これでは再び戦争が起きるだろう」と批判しています。
ドイツ政府が賠償金の支払いのために資金調達をした結果、インフレが発生してマルクの価値が大幅に下落。さらに期限までの支払いが困難となったドイツが延期を求めると、フランスはこれに応じず、ルール地方を占領してしまいます。
インフレによる不況にあえぐドイツ国内の政情は不安定に。そして反発心のなか台頭したヒトラー率いるナチスが政権を獲得して、第二次世界大戦への道を歩み始めることになってしまったのです。
条約締結後の国際秩序を「ヴェルサイユ体制」と呼びます。これは、アメリカが中心となって唱えた「国際協調」という発想と、フランスやイギリスを中心とする敗戦国の再起を抑止する「帝国主義」の発想があわさったものだといえるでしょう。
国際連盟の設立、不戦条約の締結、ワシントンやロンドンで開催された軍縮会議など国際協調が進められた一方で、敗戦国ドイツには過酷な賠償金を課し、再起を抑止する体制を構築しました。
また第一次世界大戦中にロシア革命が起こりソ連が成立したため、勢力の拡大を防ごうと資本主義国家の連携を目指したことも特徴です。
ドイツが所有していた領地の大半を継承することになったフランスとイギリスが、分割に不満を抱く日本やイタリアなど新興国の台頭を抑え込もうとする帝国主義的な側面もあります。
このように、主にヨーロッパを中心に構築されたヴェルサイユ体制ですが、これを補完してその影響力をアジア・太平洋地域におよぼすために築かれたのが「ワシントン体制」です。
「九ヶ国条約」「四ヶ国条約」「ワシントン海軍軍縮条約」を基礎としていて、東アジアに権益をもつ日本と、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、中国、オランダ、ベルギー、ポルトガルの9ヶ国が参加。日本の膨張を抑えようとする体制が構築されました。
その結果日本は、ヴェルサイユ条約によってドイツから得た山東半島の権益を中国に返還することになります。これに不満をもった国民は「弱腰外交」と非難。すると軍部は強硬路線へと舵を切り、1931年の「満州事変」へと突き進んでいくのです。
- 著者
- 神野 正史
- 出版日
- 2016-07-08
当時、世界でもっとも民主的だといわれていたワイマール憲法。そのなかで、なぜ史上最悪の独裁者といわれるヒトラーが政権を握ることができたのでしょうか。
本書では、ヴェルサイユ条約締結後の欧米とドイツの動きを解説。第一次世界大戦による凄惨な争いを経て、平和を望んでいたはずなのに、新たな火種を生み出してしまった要因を探っていきます。
イラストが豊富でわかりやすいのが特徴。ひとつの点だけ見ても理解できない、大きな歴史の流れを読むことができる一冊です。
- 著者
- 牧野 雅彦
- 出版日
戦争の責任は、開戦国にのみ課せられるものなのでしょうか。本書は、ヴェルサイユ条約によって初めて明記された「戦争責任」を掘り下げた作品です。
公正な講和を求めるドイツ、国際協調を主導したいアメリカ、普仏戦争の恨みを晴らしたいフランス、ドイツが再び立ち上がれないようにしたいイギリス……さまざまな思惑が入り乱れるなかで締結されたヴェルサイユ条約。その形成過程を丹念に追い、息が詰まるような攻防を描いています。