沖縄返還までの道のりが5分でわかる!返還前の生活や密約なども簡単に解説!

更新:2019.6.10 作成:2019.6.10

第二次世界大戦後、25年以上が経ってから実現した沖縄返還。同じ日本であるにも関わらずアメリカ統治下に置かれ、渡航にはパスポートが必要でした。この記事では、返還までの道のりをわかりやすく紹介するとともに、返還前の生活や密約なども解説していきます。

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沖縄返還までの道のりを、第二次世界大戦後からわかりやすく解説!

 

第二次世界大戦の講和条約として1951年に署名された「サンフランシスコ講和条約」。この条約によって、日本を管理下に置いていたGHQは活動を停止しました。しかし沖縄は、アメリカの施政権下に置かれることになったのです。

アメリカ政府のもとで琉球政府が発足し、一定の自治は認められていたものの、最終的な権限はアメリカが掌握していました。

当時は1950年に「朝鮮戦争」が勃発し、東アジアの情勢が緊迫度を増すなかで、アメリカにとって沖縄は軍事的に高い価値をもつようになっていました。さらに1955年には「東西冷戦」の代理戦争ともいわれる「ベトナム戦争」が始まります。沖縄は爆撃機の拠点や後方支援基地として機能。西側陣営の最重要拠点となり、米軍基地が建設されていきました。

しかし基地の増大にともない、アメリカ軍兵士たちによる事件や事故が多発。反戦世論の影響もあり、沖縄の人々は「本土復帰」を訴えて抵抗運動を起こします。1960年には「沖縄県祖国復帰協議会」が結成され、初代会長には後に沖縄県知事を務める屋良朝苗(やらちょうびょう)が就任しました。

国政においても、佐藤栄作総理大臣が「沖縄が日本に復帰しない限り、戦後は終わらない」と述べ、「日米安保条約」の延長とともに沖縄返還を課題として掲げます。しかし安保条約の延長に反対を唱える日本社会党や日本共産党が反発。さらに新左翼や学生運動なども巻き込み、反安保とともに反返還のキャンペーンがくり広げられました。

1970年12月に、アメリカ軍兵士が交通事故を起こすと、これをきっかに暴動が発生。これまで鬱屈としていた沖縄の人々の不満が爆発します。

当時の大統領ニクソンは、ベトナム戦争終結を公約にしていたこともあり、アメリカ政府も沖縄返還へと動き始めました。アメリカにとっては日米安保の延長のほうが重要だったことなども背景にあったようです。

しかし沖縄の軍事的拠点としての価値がなくなったわけではありません。日米間の交渉の結果、アメリカ軍基地を県内に維持したまま、沖縄返還協定が調印され、1972年に沖縄は日本に復帰しました。

 

沖縄返還と、アメリカ軍基地があるメリットとデメリット

 

普天間基地移設問題に代表されるように、沖縄にとって頭痛の種となっているのが、アメリカ軍基地問題です。

沖縄の面積は、日本の国土面積のわずか0.6%。しかしそのなかに、31の米軍施設があります。これは全国の在日アメリカ軍施設の約20%、面積でいうと約70%に当たり、沖縄本島だけで見てみると、面積の約20%を在日アメリカ軍施設が占めている計算になるのです。

日本政府は、沖縄の基地負担軽減のために、基地の返還に取り組んでいます。しかしアメリカ軍を必要以上に削減することは抑止力の低下に繋がりかねず、沖縄が国防上の最前線に位置するという現実があるため、難しい判断が求められているのが現状です。

では、沖縄にアメリカ軍基地があることについて、メリットとデメリットを考えてみましょう。

まずデメリットとして挙げられるのが、「事件や事故の発生」です。アメリカ軍による事故は年間平均で41件、犯罪は年間平均150件起きているという調査があります。沖縄で暮らす人々にとっては、生活が脅かされているのです。またアメリカ軍基地があるために土地の開発が難しくなっている現状もあります。

一方のメリットとして挙げられるのが、「抑止力」です。自衛力に制限がある日本にとって、アメリカ軍の存在は欠かせません。仮にアメリカ軍が撤退することになると、日本は憲法を改正して自衛力を保持する必要に迫られるでしょう。

またアメリカ軍の防衛施設整備事業、日本人雇用、軍用地の借地料、個人消費など、沖縄がアメリカ軍から享受している経済効果は、年間で2100億円以上にのぼるといわれています。さらに基地負担軽減や観光振興を名目として、日本政府からは多額の給付金が与えられているのです。

安全保障上の理由だけでなく、経済的な理由からも、沖縄にとってアメリカ軍基地の存在が重要なことがわかるでしょう。

しかし、これらのメリットがあるからといって、アメリカ軍兵士による事件や事故を看過すべきでないことも明らかです。綱紀粛正によって現地の人々の負担軽減が急務であると、多くの専門家が指摘しています。

 

沖縄返還前の生活は?パスポートが必要でお金はドル?

 

1945年に占領されてから、1972年に返還されるまでの約27年間、アメリカの統治下にあった沖縄県。住民たちの生活も、本土とは異なっていました。

たとえば通貨。アメリカ統治下で流通していたのは、日本円ではなくアメリカドルです。また切手も琉球郵便仕様で、額面は5セントなどでした。

さらに交通ルールもアメリカ流です。左ハンドル、右側走行が基本。これは沖縄返還後もすぐに切り替えることが難しく、返還から6年が経った1978年に変更されました。

そして極めつけは、沖縄の人が本土へ行く際には、パスポートと渡航証明書が必要だったことです。

その一方で、アメリカは沖縄の人々を日本人とは異なる独自の民族だと考えていて、無理な同化政策をとることはありませんでした。文化や教育面では現地の制度を尊重しています。文化財の破壊を防ぎ、散逸した古文書を収集し、首里城の復元もおこないました。

 

沖縄返還に関する「密約」とは

 

1972年に実現した沖縄返還ですが、これに際して、日本とアメリカとの間に「密約」が結ばれていたことが明らかになりました。

その内容は、公式の発表ではアメリカが支払うことになっていた地権者に対する土地原状回復費400万ドルを、日本政府が肩代わりしてアメリカに支払ったというものです。

毎日新聞社の記者である西山太吉が、取材上知り得た機密情報を野党議員に漏洩し、国家公務員法違反で有罪判決を受けたことがきっかけで世間に知られることとなりました。西山は情報を得るために、外務省女性事務官に近づき、酒を飲ませ、無理やり男女関係を結んだうえで機密情報を盗んだそう。倫理感に欠けた取材方法が非難されました。

しかし毎日新聞は、「報道の自由」を掲げて抵抗。結果的に西山と女性事務次官は有罪となりましたが、機密資料の入手方法に注目が集まったため、密約そのものへの追及はほとんどおこなわれませんでした。

時を経て2000年、アメリカ側の機密が解除されたことで密約の存在が明るみにでます。密約は実際に存在し、日本は施設引き渡し費用として3000万ドルを支払っていました。西山が掴んでいた400万ドルという情報は、一部だったということです。

それでも日本政府は否定を続けましたが、2009年に鳩山由紀夫が総理大臣に就任すると、外務省内に調査委員会が設置され、2010年3月に密約の存在を認めています。

 

客観的に沖縄基地問題を知ることのできる一冊

著者
高良 倉吉
出版日
2017-01-17

 

作者の高良倉吉は、沖縄県庁で要職を務めた人物。本書では、琉球処分、沖縄戦、アメリカ統治時代、日本復帰という近代以降の激動の沖縄の歴史を、「行政」の観点で読み解いていきます。

特徴は、基地問題を含めた沖縄の現状を客観的に見つめている点でしょう。賛成、反対という思想を脇に置き、まずは現状を解説することに徹底しています。そのうえで、沖縄返還以降、沖縄はさまざまな問題を調整しながら前進してきた、沖縄経済は米軍基地に依存せずとも自立してやっていけると主張しているのです。

基地問題に関してはメリット、デメリットがそれぞれありますが、議論をする際は「声の大きな人」の主張に惑わされがち。まずは冷静に現実を知ることが重要です。考えるきっかけをくれる一冊です。

 

沖縄返還に翻弄される若者の物語

著者
真藤 順丈
出版日
2018-06-21

 

2019年に「直木賞」を受賞した真藤順丈の作品です。

グスク、レイ、ヤマコという3人の若者は、アメリカ統治下の沖縄で、アメリカ軍基地に忍び込んでは食料や衣服、建築資材などを盗む生活をしていました。やがて沖縄が返還されると、彼らは警官、教師、テロリストと別々の道を歩み始めるのですが、それでも同じ夢を追いかけていきます。

フィクションですが、作中で描かれる事件は、実際にアメリカ統治下の沖縄で起きたもの。彼らと同じような思いを抱いていた若者が、きっとたくさんいたのでしょう。エンタメ小説でありながら、当時の沖縄を知れる歴史書としてもおすすめの一冊です。