5分でわかる荘園制!日本、ヨーロッパ、唐の制度をわかりやすく解説!

更新:2021.11.18

およそ1000年もの間日本の土地制度の中心にあった「荘園制」。一体どのような仕組みだったのでしょうか。この記事では、日本の荘園制の推移とともに、ヨーロッパや中国の制度も解説。おすすめの関連本も紹介するので、チェックしてみてください。

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荘園制とは。まずは日本の制度を簡単に解説!封建制との違いや荘園公領制も

 

公的支配を受けない一定規模以上の私有地を「荘園」といいます。日本では主に、貴族や大寺院、上皇などが所有したものを指します。また中世ヨーロッパや中国、インドなどでもみられました。

日本における荘園制の始まりは、奈良時代です。それまでは、すべての土地と人民は天皇に帰属するという「公地公民制」が原則だったため、土地の私有は認められていませんでした。しかし奈良時代になると人口が増加し、財政需要を満たすために新たな土地の開墾が必要になります。723年に「三世一身法」が制定され、開墾者から三世代先までの墾田私有が認められました。

その後743年には、開墾した土地の永年私有を認める「墾田永年私財法」が発布されます。すると貴族や豪族、大寺社など資本力をもつ人々が活発に開墾をし、私有地を増やしていきました。これを「初期荘園」といいます。

平安時代になると、政府から支給された農地を耕して収穫物で税を納める制度は崩壊し、その代わりに国司という行政官が諸役免除など権限をもつようになりました。田堵(たと)と呼ばれる有力農民層は、国司と直接契約を結んでいたのですが、農地を租税免除の地として認めてもらうことで税負担を軽くしようとする者が現れます。彼らの土地は「免田寄人型荘園」と呼ばれました。

鎌倉時代になると、課税を強化しようとする中央政府への対抗策として、「寄進地系荘園」という、有力者へ土地を寄進する動きが広がっていきます。

荘園の寄進を受けた貴族や有力な寺社などは「領家」と呼ばれるようになりました。また領家からさらに有力な皇族や摂関家に寄進されることもあり、最上位の荘園領主を「本家」、本家と領家のうち荘園を実効支配する領主を「本所」と呼びます。土地の所有権は何重にも重なる複雑なものになっていきました。このような重層的な土地支配構造を「荘園公領制」と呼びます。

室町時代になると、戦乱が相次いだため、荘園の支配体制も流動化していきます。やがて豊臣秀吉による「太閤検地」が実施され、荘園制は1580年代以降に終息していきました。

重層的に何人もの主君が存在する荘園公領制と入れ替わるように成立したのが、基本的にはひとりの主君が支配をする封建制です。家臣は主君に忠誠を誓い、戦になれば兵を率いて参戦。主君は家臣に対して領地という利益を与える主従関係が基盤でした。

日本の荘園制の崩壊

 

武士の台頭によって大きく変化をしていった日本の荘園制。初の武家政権である鎌倉幕府が成立すると、御家人のなかから荘園の徴税事務や管理を担う「地頭」が任命され、貴族や寺社が本所として担っていた役割が武士に移ることになります。

建武の新政を経て室町幕府が成立すると、幕府は在地武士を組織し、戦乱を抑制するために「守護」の権限を強化しました。荘園領主からの年貢徴収も守護がおこなうようになります。彼らは「守護大名」と呼ばれ、一国の支配権を握っていきました。

戦国時代になると、武力を背景とする地域支配が強化され、荘園における従来の入り組んだ権利関係は徐々に解体されていきます。

1591年に豊臣秀吉が天下統一を成し遂げると、秀吉は土地の権利関係を整理。度量衡の単位を統一するために全国で「太閤検地」を実施し、原則としてひとつの土地にはひとりの耕作者のみを認めました。これによって、奈良時代から続いてきた荘園制は終わりを迎えることになったのです。

ヨーロッパの荘園制をわかりやすく解説

 

日本で荘園制が確立した8世紀頃、ヨーロッパにも荘園が出現します。「領主の直轄地」「農奴の保有地」「自由農民の保有地」という3つの階層で構成されていました。

「領主の直轄地」は、領主が直接支配する土地で、生産物は領主の一族や郎党の生活に費やされます。

「農奴の保有地」は、領主へ納入する労役や生産物などの貢納を支えるための土地です。農奴とは、領主に所有されている農民のこと。日本における小作人と考えるとよいでしょう。

「自由農民の保有地」は、農奴が課されている貢納は免除されていたものの、領主の裁判権や慣習に従属する必要がありました。

このように領主が直接経営する荘園を「古典荘園」といいます。12世紀から13世紀頃になると、貨幣経済が徐々に浸透し、領主が直接荘園を経営するのではなく、土地を農民に貸与して、生産物もしくは現金を納めさせる方法が一般的になりました。これを「純粋荘園」もしくは「地代荘園」といいます。

ヨーロッパの荘園制は、貨幣経済が進んで領主と農民の関係が希薄なるにつれ解体が進み、14世紀頃に崩壊しました。

中国・唐の荘園制をわかりやすく解説

 

中国では、漢の時代から皇族や富豪が土地を所有する「荘」や「園」が存在し、これが後に「荘園」と呼ばれるようになりました。

南北朝時代の北魏以降、中国で実施されていた土地制度が「均田制」です。これは国が国民に土地を給付し、収穫物の一部を国に納め、定められた年月が経過した後は国に土地が返却されるというもの。唐の時代になると、たび重なる天災や過重な労役によって立ち行かなくなり、崩壊します。

その結果、貴族や武人、地方の豪族などが個人で土地を私有するようになり、各地で荘園が形成されていったのです。

中国の荘園は、荘院や荘宅と呼ばれる屋敷、庭園、農地などで構成されるのが一般的。荘院や荘宅には荘園の所有者や家族、管理者が住み、佃戸と呼ばれる小作人や奴隷が働いていました。

その後、衰退しつつも続いていた荘園制は、1949年に社会主義を掲げる中華人民共和国が建国されたことにより消滅しました。

初心者にもおすすめ、包括的に学べる一冊

著者
永原 慶二
出版日
1998-08-01

 

日本中世史を勉強するうえで避けては通れないのが、当時の社会基盤だった荘園制です。

本書では、制度の全体像とその移り変わりをわかりやすくまとめています。貴族、天皇、武士と権力を握る人が変わるにつれて、荘園の在り方も変化していったことがよくわかるでしょう。

難しい言葉を使っていないので文章も読みやすく、荘園制について総合的に学びたいと考えている人におすすめです。

武士を中心に荘園制を紐解く

著者
服部 英雄
出版日
2004-10-01

 

本書は、武士の視点から荘園を描いた作品。資料を紐解き、彼らが荘園のなかでどのように生活をしていたのかを説明しています。

武士団を「総合商社」にたとえる視点は目からうろこ。武力を背景に荘園を支配しながら、市場や流通の利権に関わっていたことがわかるでしょう。

用語の解説や資料も掲載されていて、ビジュアル面からも理解を深められる作品です。

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