どんな時代にも一定の需要があるホラー作品。その需要が高まった第1次ホラーブームが落ち着いた頃、新創刊の雑誌で「戦慄のバイオホラー」と銘打った作品の連載がはじまりました。 足もとから忍び寄る得体の知れないものが顔を出す『マンホール』の恐怖はどのようなものなのでしょうか。社会派の漫画として、ホラーのなかでも奥行きのある作品です!
12月の夕暮れ、ありふれた商店街の光景に奇抜な存在が紛れていました。その存在とは、全裸で頭髪がなく、手足が血にまみれたふらふらと歩く男。さらには、涙と鼻水とよだれを流し、右の目だけが白濁しています。
男はたどたどしく「ママ」と言ったかと思うと、通りすがりの大学生の目の前で吐血しました。その血を浴びてパニックを起こした大学生は男を突き飛ばし、手にした携帯電話も放り出して走り去っていきます。突き飛ばされた男は背の方から倒れ、そのまま頭を強打して死亡。遺体を調べてみると、謎の寄生虫が検出されました。
翌日、携帯電話が事件現場に残されていたことから、奇怪な事件の重要参考人として大学生は警察に出頭します。しかし、事情聴取の最中、徐々に記憶や認識が怪しい言動が現れ、ついには勝手に退席してしまいます。警察署を出て、すぐに車にはねられて死亡。割れた頭部から這い出たのは、あの全裸の男と同じ寄生虫でした。
刑事の溝口健と井上奈緒は全裸の男・堀川義人の身許確認のため、堀川の母を訪ねます。堀川のギャンブルと暴力で苦しんでいた両親は、彼を「施設」に預けたと言います。その証言をもとに2人が「施設」へと向かうと、そこは何もない空き地。しかし、蓋の空気穴がすべて埋められている奇妙な細工が施されたマンホールがあります。
溝口の指示で井上がマンホールの底に降りると、そこには信じ難い事実が……。隠されていた歪んだ正義が、人々を恐怖に陥れようとしているのでした。
筒井哲也は1974年に愛知県に生まれた日本の漫画家です。2002年に「月刊少年ジャンプ」誌上でデビューしました。のちに自身が運営するwebサイトに掲載していた漫画が人気を呼び、それがきっかけとなって「ガンガンYG」に『リセット』を連載。さらにwebサイトに公開していた『多重夢』や『ダズハント』が雑誌に掲載、単行本化され、広く実力を知られるようになりました。
その実力は国外でも評価されています。フランスでは『ダズハント』、『リセット』、『マンホール』の3作が出版され、人気作品を博しています。さらに『有害都市』はフランスで先行発売し、コミック評論家・ジャーナリスト協会賞を受賞しました。この作品は、長崎県で『マンホール』が有害図書指定された自身の経験をきっかけに描かれました。同作は国内でも文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞しています。
シャープな描線で描かれる画風はすっきりと見やすく、人物や建物、自然など表象物の正確さは見事。展開にも読者の見通しを裏切る巧みさがあります。社会問題とテクノロジーを合わせてテーマとすることが多く、どの作品も読みごたえがある作家です。
グロテスクでショッキングな描写はホラーの重要な要素です。『マンホール』は冒頭からパンチのあるショックが用意されています。たとえば、すでに紹介している「全裸の男」です。全裸であるだけならただの変質者ですが、『マンホール』の「全裸の男」はグロテスクでショッキングに描かれています。
目や鼻、そして口からも水分が洩れ出て、一方の目は白く濁って見えていません。手足や胸許周辺をおびただしい量の血で染めながら、人語のようなそうでないような、言葉になりきらない何かを喋ります。男が現れたのは夕暮れ時の商店街のありふれた日常。その中に突然現れたものがこれほど異質であれば、見る者に大きなショックを与えます。
遺体の解剖で切り開かれた眼球から引きずり出される寄生虫、生きた人間の体内で寄生虫がうごめいている様子、自動車事故で頭蓋が割れた遺体とそこから出てきた寄生虫……。高い画力で明瞭に描かれたショッキングなシーンは、息もつかせぬほど連続します。
丁寧に描き込まれたグロテスクでショッキングな描写によって、読者はホラーの醍醐味である恐怖をじっくりと味わえます。ホラー好きにはたまらないでしょう。
- 著者
- 筒井 哲也
- 出版日
- 2015-04-17
「戦慄のバイオホラー」と謳われる『マンホール』の恐怖は大きく分けて2種類あります。ストレートな恐怖と読み進めるうちにじわじわと迫ってくる恐怖です。冒頭に登場する「全裸の男」はまさにストレートな怖さといえます。
その男は真冬だというのに何も身につけず、朦朧とした様子で、手足や喉許・胸許には血糊が。異形な存在が日常の風景に割って入る違和感や、何をしでかのすか分からない恐ろしさが伝わってきます。
その原因は細長い身体をくねらせて移動する寄生虫でした。虫、特に足のない虫に嫌悪感を覚える人は少なくないでしょう。寄生虫は人に寄生すると脳に達し、人の欲望や思考能力を奪ってしまいます。
何も望まなくなり、何も考えられなくなったとき、人は1人の人間として生きていくことができるのでしょうか。人が自分の意志を失い、人ではない存在になっていく怖ろしさがあります。これが2種類目のじわじわ迫ってくる恐怖です。
病の原因である寄生虫のことや、感染者の血液によって伝染すること、蚊を媒介して病が拡散されることなどが徐々に判明。迫りくる怖ろしさは増していきます。「現実の世界にも同じことが起きてしまったら」、と想像させてしまうリアルさが恐怖を煽ります。
物語の舞台は真冬。そのため「蚊による爆発的な伝染はない」と思われました。しかし意外な原因によってパンデミックの危険が生じます。その可能性を目前にしても一般人にはなす術もありません。
こうして寄生虫による恐怖がじわりじわりと迫ってくるのですが、実は本当の怖ろしさはそれだけではありません。その全てを企んでいた人間にあったのです。
『マンホール』の物語のキーは、もちろんマンホールに秘められています。冒頭に出てくる全裸の男は、マンホールから這い出て姿を現しました。ではなぜ、男はマンホールの中にいたのでしょうか。ここからはネタバレを含みますので未読の方はご注意ください。
男は「ある者」にマンホールの中へと連れてこられたのです。この「ある者」が、寄生虫とマンホールを使って男をまともに口もきけないような状態にしていました。そして彼と同じような犠牲者を多く出し、ついには無差別に寄生虫を蔓延させようと企んでいます。
そのためには犠牲者の意識を一時的に奪い、一定期間幽閉しておくための設備が必要でした。日本のいたるところにあり、広い範囲でつながっていて、一定期間、人目につかない場所……。
それがマンホールのなかでした。マンホールは「ある者」にとって、使い捨ての隠れ家として最適だったのです。
誰しも日常でマンホールを見かけることがあるでしょう。マンホールの蓋には地域ごとの意匠もあり、見て楽しいものも増えてきました。しかし、その蓋の下で何者かが息をひそめていたらと想像するとぞっとします。
普段あまり意識することがないところの「見えない怖ろしさ」を、本作はうまく物語に組み込んでいるのです。
『マンホール』は寄生虫によるバイオホラーであると同時に、常軌を逸した人間によるサイコホラーでもある二段構えのホラーと言えます。
『マンホール』には「ロボトミー手術」に言及するシーンがあります。ロボトミー手術とはかつて実際に行われていた、大脳の一部を切り取る手術です。精神疾患の治療法のひとつとされていましたが、人権を損ない医学倫理に背くこととして、現在は行われていません。
先の項で述べた「ある者」は、この手術を「必要なこと」だと言います。ロボトミー手術のような物理的なアプローチは必要である、と。しかしそれは精神疾患を持つ人々に対してではなく、社会に対して。
1人では死にきれないからと無関係の人を巻き込む。小学生にも満たない子供に淫らな行いをする。堀川義人のように、ギャンブルにのめり込んで親に暴力を振るう。そういう行いをする者を「ある者」は「クズ」と呼び、社会に蔓延る「クズ」を浄化することを目指しました。
浄化のために「ある者」は寄生虫とマンホールを使い、クズもクズでない人々も危険に陥れていきます。そしてそれは社会にとって有益なこと、正義であると確信しています。
感染者を治療して一度はパンデミックを防いだとしても、自らの正義を疑わない「ある者」は何度でも繰り返すでしょう。そのような者が存在することは、伝染病よりもさらに怖ろしいことです。
バイオホラーに隠された、狂人の恐ろしさを描くサイコホラー。この二段構えのホラー構造が『マンホール』の魅力といえるでしょう。
『マンホール』を含むスプラッター作品を紹介した<グロくてエグい最強のスプラッタホラー漫画おすすめ5選!>の記事もおすすめです。
- 著者
- 筒井 哲也
- 出版日
- 2015-04-17
足許から忍び寄る恐怖をひしひしと感じることができるホラーの秀作『マンホール』。未読の方はすぐにでもご一読を。「ちゃんと怖い」ホラーです。