それは、僕の人生の中でもっとも贅沢で大切な時間だった。 ブツッ、ブツッ、と音を立てて、ツァラレアンダーの古いシャンソンがゆっくりと蓄音機から流れ込んでくる。 ……さあ、幕が上がる。
今か今かと、役を背負った自分の出番を待っている。
マリーさんの台詞をキッカケに、勢い良く舞台上手の袖から飛び出していく、さあ、今日も贅沢な時間を生きれるぞ。
「つかまえたよ、マリーさん」
いつもここで夢が終わってしまう。
あまりにも夢に出てくるもんだから、はじめっからすべてが夢だったのかと不安になり、度々この戯曲を開いてしまう。
舞台が終わり、十年が経った今も夢に見るこの戯曲の題名は「毛皮のマリー」
田舎から出てきた19歳の春。俳優という仕事にも、ましてや東京にも慣れていなかった頃、はじめての大役をいただいた。
幕が上がると、ほのかに流れ込むお香の香り。アール・ヌーヴォーで装われた贅沢な一室。
演技力で「役」を自称するに何の不自由の無い、役者たちの怪演。セリフはシャボン玉のように儚く、かと思えばナイフより尖ってみせる。
大天才の詩人、寺山修司さんが。大天才の俳優、美輪明宏さんのために書き下ろした戯曲。
その舞台はすべてが魔法だった。
僕がいまも夢に見る理由はわかっている。
欣也として生きた19歳、僕はあまりにも幼かったからだ。
こんなにも本を開くたびに新しい気持ちを発見したり、行間が見えてくる本に出会ったことはない。きっとこれからも無いのではないかと思う。
観劇が好きな方や、お芝居に携わっている方は「行間を読め」という言葉を一度は耳にしたことがあると思います。
この本は、その行間を読み手それぞれの人生から、勝手に感情で行間が埋まっていく不思議な本だと思います。
夢に見る理由として、あまりにも幼かったという表現は、僕があまりにも人生経験が乏しかったという事です。
年齢が上がるにつれて、より色濃く深い作品になるこの戯曲、みなさんぜひとも読んでみてはいかがでしょうか。
そしていつまでも本棚の中に忍ばせておいてください。
- 著者
- 寺山 修司
- 出版日
美しい男娼マリーと養子である美少年・欣也とのゆがんだ激しい親子愛を描き、1967年の初演以来、時代を超えて人々に愛され続けている「毛皮のマリー」。そのほか1960年安保闘争を描いた処女戯曲「血は立ったまま眠っている」、「さらば、映画よ」「アダムとイヴ、私の犯罪学」「星の王子さま」を収録。寺山演劇の萌芽が垣間見える、初期の傑作戯曲集。
最後に、戯曲の中から好きな言葉をひとつ。
人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。あたしはその中で出来るだけいい役を演じたいの。芝居の装置は世の中全部、テーマはたとえ、祖国だろうとそんなことは知っちゃあ、いないの。
役者はただ、じぶんの役柄に化けるだけ。これはお化け。化けて化けてとことんまで化けぬいて、お墓の中で一人拍手喝采をきくんだ・・・
そしてこのコラムを書き終わる前にもう一度「毛皮のマリー」を読んでみました。
僕がいまも夢に見るのは、欣也という役は、幼くないと演じられない役だからだと気付きました。
そしてもう自分には演じきれない役を、少しうらやましく思っているんです。